大司教のいとも絢爛なる幸運 - 2/9

「この厨房を造ったのは、機材を揃えたのは誰だ! 貯蔵庫にオーブンにサラマンドル、パン型にナイフ。誰にも迷惑かけないと言うならそれらも自分で揃えてからだな!」
「そうおっしゃるだろうと思いました、はい」
 タベルナの予想通り、大司教は白くて頑丈そうな犬歯を剥き出して咆えた。
 彼女自身も大司教の言に納得するしかない。確かに大司教の言うとおりだ。加えて、オーブンにいれる火だって、食器を洗う水だって大司教のものなのだ。つまり火種も水源も借りている事になる。
 その点において考えが足りなかったとタベルナも反省する。
「申し訳ありませんでした、猊下。わたし、厨房を私物化していました。以後気をつけます」
「以後の話をしているんじゃない、今の話だ。今使われている分はどうするつもりだ。見なかったことにしろと? 余に寛大な処置を求めるか? んん?」
 小さな料理人の前に大司教がずいっと詰め寄ってくる。タベルナは大男と流し台の間に挟まれてたじたじとするしかない。
 こうなったら詫びの印に大司教に厨房のレンタル料を支払うべきかもしれない。しかしそんな事を申し出たら最後、法外な値段をふっかけられるような気もする。あるいはいつものようにいやらしい事をさせようと迫ってくるか。
「まあチャラにしてやってもいいぞ、余と気持ちいい事するならな」
 どうやら後者のパターンで攻めてくる気らしい。
 大司教はタベルナの顎をまるでワイングラスでも持つかのように支えると、手慣れた所作でそれをくいっと持ち上げた。二人の四つの瞳がかち合う。タベルナが大司教の暗闇の星みたいな目に弱いと相手はきっと知っているのだ。
 さすが酒豪、うわばみ、放蕩、遊び人、無駄にマッチョ。えっと、あとはあとは……とにかく聖職者の風上にも置けないだけある。
 タベルナは心の中で相手を茶化してみる事で平常心を保とうとするが、どだい無理な事だった。
「どうだ料理長殿、それで今宵の事は不問としてやるし、これからも自由に厨房を使えるようにもしてやっていいんだ。お前次第だがな」
 低くて甘いその囁きは悪魔の歌のようだ。タベルナはそれにうっとりとして話に乗りかかるが、それでは駄目だ。そんな、愛人のように身体を与えてその見返りを受けるなど。
 だが否定の言葉を発する前に大司教は踊らせるかのようにタベルナをくるりと回転させ、流し台に押し付けた。
「わ、あ……っ」
 もとより大司教はタベルナなんかの選択を聞くつもりはなかったのだろう。
「わ、わ、わたしいやらしい事はしませんよ!」
「ああ、お前はしなくてもいいんだ。余が全部やってやるからな。お前が想像し得る以上の悪徳の限りを」
 邪悪な蛇のような手が首元から服の中に侵入し、浮き出た鎖骨にねっとりとまといつく。首筋に吹き付ける生暖かい息は獲物を決して逃すまいとする地獄の番犬のそれだった。
「う、うう、無理矢理なんて! 猊下は神に仕える方でしょう!」
「聖職者のくせにとでも言うつもりか。何を今更。やらせろ!」
 腰をぐいっと抱え込まれると、大司教の昂りが尻に触れる。
「いやっ、やだ、当たってますっ!」
「当ててるんだよ!」
「やめてえ!」
「本気で嫌がるな失礼な! お前が余の相手をしないからこんなんなってるんだろ! お前なんかこうだ!」
「そんなっ、そこいやあっ」
 木綿布を巻いて潰した胸に手がかかった所でタベルナは服の上からその闖入者を押さえつける。しかし大司教もめげずにもう一方の手で服越しにタベルナの肉棒を弄ってくる。本当はタベルナの女の器の方を弄りたかったのだろうが、タベルナがあまりにも暴れまわるため取り敢えず男の方を扱いて気を削ごうというのだろう。
 目論見通り、その衝撃にタベルナの防備が一瞬緩んだ。
「あう、あ、あ、や、いやぁ」
 タベルナは大司教の手を掴む力を必死に保ちながら顔を真っ赤にして横に降る。
 行為自体は無理矢理だというのに、その触れ方だけが妙に優しい。触っているようないないような、そんな繊細な動きだった。
 大司教の骨太だが柔らかく繊細な手に玩ばれ、タベルナにその気はなかったはずなのに否が応でも昂ってくる。男のさがを知り尽くしているが故の作戦だった。
「いやよいやよもなんとかのうち。な?」
「んあ、ふああっ、おねが、や、やです……」
 タベルナは腰をくねらせて襲い来る魔手から逃れようとする。しかしそれはまるで追尾魚雷のようにどうやっても彼女のそこにへばりついて離れる気配はない。
「胸触らせてくれたらやめてやる」
 そんなの嘘に決まっている。大司教相手に胸を許せば身体すべて許したも同然だ。きっとなし崩し的に絶頂させられ、呆然としているところを組み敷かれて大変なことになる。
「ん、んん、だめ」
 タベルナは内腿を擦り合わせながら拒絶する。大司教の手を追い出そうとしての事だったが、むしろ肉棒が服に擦れて逆効果だった。
「ひぅっ!」
 先端からじわりと快感の証が滲み出て、服に染み込むのを感じてタベルナは情けない声を上げる。服を汚すその不快感が羞恥となり、その羞恥が何故かなおさら快感を生むのだ。
「ふうむ、だめそうな声には聞こえん。そうだな、もっとやって欲しそうな、そんな声に聞こえる。素直でない奴だ。寛大な余はそなたにあと二度チャンスをやる。胸触らせろ」
「い、いや……ぁ」
 胸へ迫る手にはいやましに力が籠められるが、一方で股間のそれは優しい。まるで大司教自身の二面性を表しているようだ。などと冷静に考察している暇はタベルナにはない。
「さ、わ、ら、せ、ろ!」
「んんー、いやあぁ……!」
 敏感になっている先端を指の腹で擦られる。その指は滑りを借りて素早く動き、タベルナの腰が抜けそうになる。いや、もう既に下半身は砕けきっていて、大司教の腕によってのみ支えられているという体たらくだった。
「んっ、ひゃああ、ひうぅっ……」
 遊び慣れない場所を弄られ、タベルナは流し台に上体を倒して甲高い声で喘いだ。腰の奥に溜まる快感がいつにも増して重たい。忙しさ故に最近自身の性欲に無頓着だったツケだ。
「ああ少し優しくしてやったらこうだ。すぐ聞き分けが悪くなる。馬と同じだな」
 馬扱いされた事に憤慨するどころではなかった。大司教に無理矢理与えられる快感がタベルナの我慢や理性を削いでしまうからだ。
「たまに厳しくしてやらんとな」
 湿った服の先端を指の腹で円を描くようになぞられ、肉棒が浅ましくぴくんぴくんと震える。それはもっとと強請っているようにタベルナには感じられて、なんとかそれを沈めようと内股が弱弱しく力む。
「ふぁ、あん、んゃ」
 タベルナはきつく目を閉じ、頭を横に振る。
「どうした、女のようなかわいい声を出して。やっと余となんだかんだするつもりになったか」大司教がぐっと身体の重さをタベルナにかけ、耳元で囁く。「余の股間に尻を擦りつけて来おって。」
 大司教の手技にタベルナの腰が踊り、浮いた臀が大司教の股間をこすりつけて意図せず悦ばせてしまっていたのだ。
「あ、あんん、ち、ちがいます、ちがう、の……」
 性に未分で清潔そうな印象を与えるその容姿が熱に蕩けて、今や初々しい娘のものとなっている。
「ああ、いつもの凛とした表情も所作もなりを潜めて、お前は本当に……」
 感極まったような声を出しながら、大司教が背後からタベルナに圧し掛かり、服を剥ぎ取りにかかる。
「欲しいものならなんでもやるよ。何が欲しい、んん?」
 きっちりと首元で素肌を守っている第一ボタンから順に、器用に素早く陥落の憂き目にあう。胸元を抑え込んでいるそれが同じ目に遭うのも時間の問題。
「わたし、わたしは……あ……」
「余が欲しいか?」
「し、あわせ……しあわせが、ほしい……」
「そんな物、手では掴めんぞ」
 とうとう大司教の手が膨らみの真上にかかり……。
 ああ、ここまで来たら大司教の思うままになってしまうのもいいかもしれない。とにかく埒をあけて楽になってしまいたい。それも、大司教の手の中で。身を任せて抱かれる法悦というものを……パネトーネが焦げる。
「だからやめてって言ってるじゃないですかあ!」
 嗅覚に訴えかけてきたパネトーネの悲鳴がタベルナを正気に戻した。
 タベルナは流し台についた左腕を曲げたまま思いっきり後ろに突き出す。
「へぶ」
 無駄な肉のついていない肘はまるで骨で作られた原始の武器だった。それは大司教の鳩尾を寸分の狂いなく捉え、後方へと弾き飛ばした。
「ごめんなさい猊下。でもパネトーネが焦げるんです!」
 タベルナは服の乱れなんて気にせずに布巾を引っ掴むとオーブンを力強く開けてその坩堝から中身を救出した。危機一髪、パネトーネは焦げてはいなかった。それどころか黒光りする獣の背のような素晴らしい焼き色をたたえていた。
「パネトーネが焦げるだと。余だって焦がれてる……」
 横隔膜と胃の反乱に大司教は顔を真っ青に染め、こみ上げる酒とシュトレン、そしてここ半日以内に食べたその他もろもろの逆襲に慄きながらも言った。
「うまい事言いますね。さすが猊下」
 と、服のボタンをとめなおすタベルナ。言い方は捉えようによっては馬鹿にしているようにも聞こえたが、至って真面目に感心していた。
「お前、絶対なんか武術やってるだろ……」
 大司教は鳩尾を押さえながらえずいた。
「いいえ猊下」
「うそつけ、ならどうして余の胸骨がこんなに痛む。おかげで萎えた」
「それは何よりです」
 タベルナはほっと胸を撫で下ろした。タベルナ自身ももうそういう事をする気分では無くなっていたのだ。それに、そんな事にうつつを抜かしていてはまたいつ料理を焦がすか分からない。
「ああ、何よりもよくない。なにがどうして突然こうもお前を強くするというんだよ」
「不思議ですよね。きっと神様が助けてくれているんでしょう。わたし結構真面目に教会に通っていますから」
「余は料理人よりも信心深くないと!」
 料理人どころか、人並み以下の信心のくせに、とタベルナは肩を竦めた。