敗北と価値 - 2/4

「雑なんだよ」
「練習すればきっともっと上手くなるわ」
「だから怪我をしてこいというのか。俺はもう絶対にこんな大怪我なんぞしない。お前の手厚い看護を受けたくはないからな」
 だが感謝する部分もない事もなかった。
 急性期にはつききりで看病してくれていた様子であったし、薬や包帯の替えのために必ず時間きっかりにやってきた。寝て回復を待つ以外する事のないセジェルよりも大変だったかもしれない。
「嫌味ね」
 そう言う今も覇気はなく少し眠たそうだし、顔は青白く疲れているように見える。
「剣闘奴隷の看病なんて、誰かに任せておけばいいだろう。お前がする事ない」
「だって、もし奴隷女の健気な寝ずの看病にほだされて情が移って手に手を取って駆け落ちなんてされたら困る。無駄な買い物になっちゃうわよ」
 そういう事だろうとは思った。返事によってはこちらの態度も随分変わるというのに、とセジェルは思う。
「それに前に言ったでしょ。わたしあなたの事大事にするって。どんな怪我をしても見捨てないって」
「本気だとは思っていなかった。所詮金持ち娘の道楽、暇潰しだと」
「これで信じてもらえた? わたしがあなたに対してきちんと責任を持つという事」
「ああ、まあな。いい医者に見せてくれたのも事実だ。そして手当をしてくれたのも。怪我して使い物にならん俺を放り出さなかったのも」
 セジェルがそう言うと娘の顔は花が開くようにほころんだ。
「信じてもらえるって嬉しいね」
 確かに寝ずの看病とやらには頑なな情をほだす効用があるらしい。セジェルは一瞬そう思った。一瞬だけ。本当に、ほんの一瞬だけ。
「じゃあ、治療費払えるようにがんばろうね! そういえば、銀の短剣の分の負債もまだまだ残ってるからね!」
「畜生め……」
 そういう生臭い話さえしてこなければ、もう少し気持ち良くこの不自由な日常を送れるだろうに。こんな時、セジェルは己が限られた自由しか持っていない事をまざまざと突きつけられる。
 しかしこの形で大都市に潜伏できたのは幸運だったのかもしれない。行動に制約はあるが、確かな身分は保証されているからだ。
 ふと包帯を巻く娘の手が止まる。
 娘の手の甲と腕の内側は他のどの皮膚よりも薄く、まるで絹のようで、その下の血管が青く透けて見えるほどだ。こんな腕、こんな首、元は軍人であったセジェルならばすぐに圧し折れる。だがそうしないのは前述の理由もあるし、そして何より……まあ少しは気に入っているのだ。
「傷跡残るかしら」
 娘の顔に一瞬だけ影が差したように見えた。珍しくそういう暗い顔をされると、セジェルは何と声をかけていいかわからなくなる。金の話なら守銭奴と謗ってやるのだが、今の言葉がもし自分を哀れんでいるものならば、気にしないように言ってやるのが人情かもしれない。
「大枚はたいて買ったものが疵物になったら、さぞ悔しいだろう。価値が下がるからな」
 しかし持ち前の皮肉っぽさが口をつく。
「ううん、宝石とは違うもの。箔がつくというものよ」
 セジェルの包帯を巻き終わった娘は軽く彼の広い背を叩いた。
「ライオンと戦って生き残った男。うん、なかなか悪くないわ。これからの対戦相手はみなあなたの傷跡を見てそう恐れる。そうして怯んでいる所を仕留めるの」
 皮肉で返した事が幸を奏したようだが娘の返しにどことなく癪なものを感じ、セジェルは面白くなさそうに寝台に横たわった。
 寝台に沈んだ身体で大きく息を吐けば、傷跡が引き攣れて痛んだ。
「まだ痛むの?」
 顔を顰めたセジェルに娘が問いかけてくる。あまりにもその顔が心配そうで深く考えもせず軽い嘘が出る。
「いや、もう」
 痛みはない事を伝えれば、眉尻を垂らして悲しそうにしていた娘の表情は解け、落ち着いた柔らかさをたたえた。「そう、よかった」そこに金だの打算だのは見られず、年相応で純粋な安堵だけがあった。
「よかった。本当に」
 娘はセジェルの肩口に頭を寄せ、もう一度呟いた。
 嘘をついてみてよかったかもしれない、とセジェルは一瞬そう思った。一瞬だけ。本当に、ほんの一瞬だけ。
 途端、セジェルの肩を撫でていた娘の手がするすると下へと蛇行して、次にしっかりと掴んだのはセジェルの股座だ。
「ぐっ……お前何を」
 触れられて初めてセジェルは自身が昂っていると気付いた。
「わあ、最低すぎる。わたしが心配して寄り添っているのにそうなんだあ」娘の表情は堕落したものへととってかわっていた。「いくら半月の間できなかったからって、それはないわ」
 娘の初々しく甘えたしぐさは罠だったのだ。だがここまで分かりやすいと清々しくもある。
「う、うるさい、疲れてるんだ!」
 その手を払おうにも、腕を素早く動かそうとすると胸の傷に障る。
「疲れてると、なに? 疲れていると勃起するわけ?」ほっそりとした器用そうな指が腰布の上からくるくるとセジェルの象徴をなぞる。「まあ恥ずかしがる事ないわよ。それって健康的でいいと思う。元気になった証拠よね。だって瀕死の時は何やっても立たなかったし」
「お前、俺を弄んだのか! どうりで覚醒した時にいつもお前が傍にいると思った。鬼畜! この鬼畜! 少しでも感謝した俺が間違っていた!」
「ほら、勃起するのって血が溜まるせいだって聞いた事があるから。失血死寸前だとどうなるのかなと気になったらもう、どうしようもなくて。わたし欲望には忠実みたい。肉欲じゃないよ、知識欲の方ね」
 半立ちだった肉の柱は今や熱く硬くそそり立ち、久々の意欲の充満に痺れて辛い。一度血の巡りが高まったそこを押しとどめる事は不可能だった。
「は、あ、ふざけるな! ふざけるな……っ!」
 娘の手がセジェルの腰布を肌蹴させると、それに押し込められていた一物が勢いよく反り返り、ばちんと腹に当たった。
 セジェルはこんな守銭奴相手でも埒をあけたがる見境のない己の肉体に羞恥を覚え、真っ赤になった顔を激しく横に振った。
「こんなにしているくせに。嫌なら押しのければいいでしょ」
 娘は簡単に言うが、だがしかし竿を滅茶苦茶に扱かれるとそういうわけにもいかない。
「ひ、ぃ、おぉ、やめ……」
 腰が浮き、まるで手淫を求めているかのようになってしまう。
「大丈夫、ちゃんと処理してあげるから」
 はっきり言って全然大丈夫そうな声色と表情ではない。
「自分の処理も兼ねてだろうっ」
 試合後にいつも娘にされていた淫らな躾が脳裏に刺すように蘇る。それに伴いその快感を焼き付けられた肉体がうねる。特に尻の中に重たい快感の記憶が過る。太い怒張を押し込まれ、奥へ叩きつけられ、抜かれ、また突き上げられる感覚が。
「ううん、そこまで鬼畜じゃないよ」
「お、お前はっ、これが鬼畜の所業じゃないなら何だっ」
「お慈悲でしょう、お慈悲」
 と、言いながら娘は無慈悲にもセジェルの肉棒の先端を激しく擦る。弄られる度にびちびちと先走りが垂れ、セジェルの肉棒をしとどに濡らす。
 セジェルのごつい雄の象徴は自ら生みだす滑りを借りて、苦労を知らないであろう柔らかく繊細な手に吸い付き、与えられるすべてを最大限に受け取ろうとしている。
「扱きやすくなってきた。気持ちいい?」
 わざと音を立てるように手を蠢かせ、娘はセジェルの快感に崩れかかった顔を覗き込む。
「よくない……よくないぃっ……んお、おっ、ああ」
 否定はするものの、セジェルの腰には焦りともどかしさ、そして快感が溜まってゆく。そしてその許容量は限界に近づいていた。
「嫌なら変な声出さないで。被虐趣味みたい。エジプトの軍人ってみんなそうなの? まあ、戦いを自ら生業とする人って極端に嗜虐か被虐に嗜好が振れるのかもね」
「違う、俺は、ちが……う、ちがうぅ!」
「少なくとも被虐趣味ではあるでしょ」
「お、おいっ、いい加減にもうやめ……」荒い息を吐きながらも抵抗の意志は失わないセジェルの睾丸に娘の指が絡まり、締め付けと愛撫が施される。「おひ、んお、おお、うぉ」最後の抵抗の意志がそれによって乱暴に剥ぎ取られた。
「はいはい、疲れるだろうし、そろそろ逝ったら?」
 娘の掌が睾丸を包み込み持ち上げ、指がその裏側の秘められた場所を優しく押した。
「お゛……ッ!?」
 突き抜けるような快感に開け放たれたセジェルの目が、ぐるんと裏返る。腰の奥と目の裏側で火花が弾け、脳の神経の一本一本を焼き尽くす。
 会陰を圧される度に腰が痙攣し、浅く細かい絶頂が始まる。
「んお、おぁ、あ、ああああぁ……ッ」
 何度か射精を伴わない絶頂を連続的に味わわされた後、セジェルは声にならないくぐもった悲鳴をあげ、大きな身体を突っ張らせながら、とうとうその先端から白い粘液を吹きあげた。
 何の挿入も受けてはいないというのに、その瞬間尻の穴は淫らにねっとりとひくついた。まるで娘の男根を締め付けるかのように。完全に娘に覚え込まされた絶頂の動きであった。
「ああ……あぅ……」
 守銭奴相手に遂情してしまった己の身体が恨めしく、セジェルは寝台に仰臥しながら情けない声をあげた。
「ふう。いつも思うんだけど、逝く瞬間凄いよね。普通に女とする時もそうなの? 恥ずかしくない? というか女とした事ある?」
 娘は布でセジェルの浅黒い肌に飛び散った白い精液を拭きながら問い詰める。
「俺に……っ、こんな事をして、いいと思って、いるのか……」
 一方セジェルはしどけなく横たわったまま力ない目で娘を睨み、息も絶え絶え詰った。
「いいに決まっているでしょ。わたしは偉いんだから。大体あなた奴隷じゃないの。わたしの」
「怪我人だぞ。俺を試合に出して金を回収したいならこう手荒に扱うな」
「そう自分を憐れんでいないで、もうそろそろ少しずつ身体を動かしていった方がいいよ。ご飯食べてごろごろしてばっかりだと身体が鈍っちゃうから。その筋肉、むざむざ脂肪にしたくはないでしょ。じゃあ、おやすみ」
 言いたい事だけ言うと娘は寝台から立ち上がって踵を返し、さっさと地下室を後にしようとする。セジェルは咄嗟に娘のギリシア風の衣服の襞に指を絡めた。
「あれ、もしかして一人で寝るのが心細いの」