正夢の彼女 - 2/6

 イザドラが夫の身体に手を這わせる。姦計長ける蛇のように蠢くそれが、夫の敏感な胸の先端を掠め、下腹部にかかる。
「あ、ああっ……」
 夫は固く目を閉じ、喉を反らした。
 その理性を蕩けさせられるのは妻である自分だけ。イザドラはそう己惚れる時もある。でも大抵は快感に弱過ぎる夫が心配だった。
 けれどそんなあやふやな彼が好きなのだ。
「すきよ、すき、ブリュノさん」
 背徳の源を服の上からやわやわと揉みしだいてやると、それはゆるく立ち上がってくる。
「あ、くお、お、イザドラ、や、やめ、なさい……」
 夫の武骨な手は寝台を掴んで快感に耐えて硬直し震えている。それと対照的にイザドラの手は滑らかに動き回る。まるで獲物に絡みついて捕食する軟体動物だった。
「すきなのよ、すきだからやめられないわ」
 イザドラは夫の上で腰をくねらせ下腹を擦りつけた。服越しではあるが、お互いの怒張が擦れて邪な快感が高まる。
「すっ、好きなら何をしてもいいのか!」
 上擦った情けない声がイザドラの嗜虐心を加速させる。
「そうね」
「それならば、裁判所も警察も火刑法廷も、い、いらないな、いいんだな、君はそれで! 悪人が大手を振って外を歩いても」
「ええ」
 自分でも淫蕩に顔が蕩けているのがわかる。夫に向ける貞淑な笑顔というよりは、同衾するだけの相手に向けるような堕落した色好みのそれだった。
「わたくしの国には法も秩序も脅威もないの」
「だとしても、君は遠慮と配慮というものを知らないのかね」
 夫の焦りに寄せられる眉根が、荒い息に震えて濡れる薄い唇が、妙に淫らでそそられる。
「知らないわ。あなた何でもわたくしによく教えて下さるけれど」そう言いながらイザドラは夫の重たい毛織の上着をはだけさせた。「そればかりは教えていただいてない事だもの。それにこれは夢なのだから、遠慮も配慮も何もする事ないわ」
「何を言っている、寝ぼけているんだな。それとも酔っているのかね」
 下からの悲痛な叫びを無視し、イザドラはアザミ模様の刺繍の施されたベストに手をかけるとそれを思いっきり左右に引っ張った。
 イザドラは数秒後の事を脳裏に思い描く。
 ボタンを絹織の生地に繋ぎ留めている糸が最後の力を振り絞って抵抗するも、それは限界を振り切った女の力で虚しくも容易く引き千切れるだろう。そして精緻な模様の彫られた鋼のボタンが葡萄弾のように炸裂し、辺りに散らばるのだ。
 果たしてその通りになった。
「い、イザドラっ!?」
 夫はコントラバスのE線が切れるような音を立ててリネンの海原に弾けたボタンに驚き、妻を見上げた。
「ふふ、夢だから何でもできますの」
 さすがにやりすぎだと思ったのか夫は身を起こそうと腕を寝台につくが、それよりも早くイザドラは含んでいた笑いを解放し、夫に挑みかかった。
 シャツの上から乳首を咥えてぴちゅぴちゅと唾液を絡ませ舐り回すと、すぐにそれは固くなって彼女の柔らかな舌を求めるように立ち上がってきた。
 イザドラは妻の嗜みとしてしっかりと夫の泣き所を心得ていた。
「ああ、ふうぅ、くぁ……」
 低く抑えた喘ぎ声がイザドラを一層喜ばせる。抵抗する気はもう削がれたのか、夫の身体は寝台に溶けるように沈んでゆく。
「ふふ、やらしい。こんなにここを固くして。しかもご自分から押し付けてらっしゃるのだもの。あなたの方がよっぽどはしたないのよ」
 胸を持ち上げ反らして、イザドラの唇にそのふっくらした乳輪を、舌に凝り固まった乳首を押し付けてくる夫を言葉で責め抜く。
「あ、ああ、違う、これは……」
 夫は否定するが、敏感にさせられた胸の先端にイザドラの吐息が当たって善いのか、声は頼りなく揺れて消えた。
「なにが違うんですの」
 こうなってしまっては、もう夫はイザドラの思うがままだ。このまま言葉で責めたり、過ぎた快楽を植え付けたり、時にお尻を軽く叩いたりすれば、それは威厳の皮を脱ぎ捨て品行方正な夫や厳格な警視総監ではなく、妻に屈するただの淫乱な奴隷になってしまうのだ。
 そこまで来ると、夫は自ら肉体を開いてイザドラを受け入れるようになる。媚肉が先を強請り、絶頂を求めてうねるのだ。
 それはイザドラにとってとても甘美で淫靡で善いものなのだが、一つだけ贅沢を言うとすれば――本当に贅沢な事だという事くらいわかっていたが、でも――たまに荒々しさを見せてくれてもいいのではないだろうか。
 例えばいつも嫉妬に燃えて地獄の気を発散させながらイザドラを攫う時なんかは、三回に一度くらいはその炎が、燃える水が発火した時のようなねっとりした持続性の物であったらいいのにと思う。つまり、世の人々が思うように泣いて許しを乞うても三日三晩、休ませず眠らせず食べさせず、子供が人形を手荒く弄ぶように手酷く凌辱してくれてもいいのだ。
「違うだの嫌だの言って、けれどいっつもわたくしにやられてばかり。本当はこういう事がしたいのに違いないわ。あなたほんとうにいんらんよ」
 イザドラは男を見下ろして言い放った。自分の言葉に自分で昂って、勝手に唇が淫蕩な三日月に歪む。
「淫乱、だって」
 燭台の炎に焼かれた男の瞳が野生の動物のようにぬらりと光ったような気がした。
「そう、淫乱」
「言い過ぎだ」
 剣呑な声色だが、イザドラは怯まず彼の肩を押さえつけて顰めつらしい顔を眺める。
「だって夢だもの……」何をしてもいいの、と言うつもりだったが「何をしているの、ブリュノさん」出てきた声はそれだった。
 気づけばイザドラは寝台に仰臥させられており、見下ろしていたはずの顰めつらしい顔に見下ろされていた。
「署を襲撃したり、こうして帰ってくれば夢だのなんだの言って私を淫乱と謗ったり、君は最近少々悪戯が過ぎる。目を覚まさせてやらなければならんようだ」
「あら、まあ……」
 イザドラは呆けた声を上げた。抵抗する気などさらさらないのにも関わらず、細い両腕は寝台にしっかりと縫いとめられていた。
「ブリュノさん、腕が痛いの……」
 哀れっぽく言っても、激情にかられている夫には通じない事くらいわかっていた。いつも嫉妬にかられて彼女を誰もいない場所へ連れて行く時と同じように。
「腕が痛い、それはかわいそうに。ではこれならどうかね」
 夫がその首でしっかりと蝶結びにされたカーチフをほどくや否や、イザドラの腕はあれよという間に後ろ手に纏められてしまっていた。
「シルクだから痛くはないだろう」
 そう来るとは思わなかった、とイザドラは少しばかりの驚きと、それ以上の感嘆を眼差しに籠めて夫を見た。夫は鋭くも卑猥な笑みを浮かべていた。
 いつも傍若無人な妻が蚕のように寝台に転がっている姿が夫にはさぞ滑稽で見物なのだろう。
「痛くはないわ、だって……」
「夢だから、かね。まあいい。しかしいかな夢でもこうなるとは思わなかっただろう。だがやろうと思えば私はこうして君を掌握できるのだよ」
 そう言い放つ夫の顔には凄みがあって、イザドラの心臓が期待に暴れる。
 夫は自身の上着と無残にボタンの弾けたベストを床に脱ぎ捨てた。
「これから君に教えてあげよう」
 地獄から響いてくるような低い声はイザドラの劣情をそそり、見せつけるように身体を反らしてシャツを脱ぐ姿は肉欲を煽った。
 やはりこれは夢なのだろう。
「痛くはないわ、だってすきだから」
 イザドラには夫の顔が一瞬躊躇ったかのように見えたが、しかしそこで日和見体勢に入られては困るのだ。
「淫乱なあなたがすきだから」
 イザドラが挑発するように言葉で食い掛かれば、ブリュノは妻の上に圧し掛かり挑みかかった。
 ぎしりと寝台が歪む音が部屋に響いた。

「淫らな、ああ、実に……なんて……」
「あ、あ……あ、や、ふぁぁ……」
 ブリュノの抑えた声とイザドラの鳴き声のような喘ぎが交錯する。
「ごめんなさ、あ、ブリュノさん、ぶりゅのさんごめんなさいぃ」
 イザドラの声は甲高く落ち着きを失い、快感と焦燥の吐息交じりだった。ブリュノの身体に包まれて熱を持てあます身体を捩る度に絹が手首を優しく擦った。
 腰の奥が鈍く痛み、身体全体で夫の熱を感じる。くちゅくちゅと二人の間で淫らな蜜の絡む音が響いて、イザドラの耳を犯す。
 ブリュノの厚い胸板に預けた顔は初めての過ぎた刺激に蕩けきり、真っ赤に出来上がってだらしない。厭厭と暴れる腰には夫の太い腕がまわされてまったく自由にはならず、いいだけ犯され快感を擦りこまれていた。
「何を謝っているのかね」
 座位でイザドラを抱きかかえたブリュノが意地悪く問いかける。
「あん、あ、もう言わないわ、あなたを淫乱だなんて、言わないわ」イザドラは男を見上げて哀願する。「だからやめて、もうやめて、やなの……おちんちんごしゅごしゅしないでぇ」
「こんなにしているのに止めろとは」
 ブリュノの手の中でイザドラの醜悪な肉棒が暴れる。先端から焦燥の蜜をだらしなく吹き出し続け、その武骨な手をしとどに濡らしていた。
「こんなに勃起させて、私の手をはしたない粘液で汚しているというのにかね。なんてふしだらな娘だ」
「やぁう! あん、ふぁ」
 ぐしゅ、とブリュノの手がイザドラの肉棒を一際激しく扱いた。
 イザドラの伏せた目から涙がぽろりと零れた。
 弄ばれるってこういう事なのだわ、とイザドラは快感と焦燥でぼんやりとした頭で思った。
 押し倒され、拘束され、夜着を剥かれてがっちりと抱きかかえられた後、イザドラはいいだけブリュノに弄ばれていた。
 最初は身体検査でもするかのように身体を考えた事のないような場所まで隅々まで検められ、そこかしこに口づけられ、恥ずかしくなってしまうような場所まで舐められた。そして肉棒を手荒に扱かれ、限界まで勃起させられたのだ。その後はねっとりと執拗に手で弄うだけで埒をあけさせてくれない。イザドラがブリュノの中でしか絶頂出来ない事をよく知っての暴挙だった。
 だからそんな状態では主導権を握るなど不可能であった。ただブリュノの手で喘がされるだけ。
「おねがい、おねがいよ、わたくしいきたいの」