頭痛持ちの彼 - 1/5

 ドゥーベ氏は頭痛にこめかみを押さえた。
 過多な蝋燭の明かりと大勢の人々、大広間に反響する喋り声、それと混ざり合って凶悪な騒音をまき散らす室内楽、体臭と混ざり合って吐き気を誘う香水の香り。ドゥーベ氏の頭痛を誘発するすべての因子がそこに揃っていた。こんな時は、暖炉のほの灯りか青白い月明かりだけの薄暗い部屋で、愛する妻イザドラに優しく抱擁されながら、彼女の仄かな蜂蜜のような香りを嗅ぎ、その薄い胸に頭を乗せ彼女の冷たい手でこめかみを撫でてもらうに限るのだ。どんな薬だってこれに勝るものはないと彼は思っていた。
 だが今回の頭痛の種の殆どはイザドラにあった。壁に凭れた彼からやや離れた場所で、男達にちやほやされている彼の妻。彼らはあまり素行のよろしくない男ばかりであり、特にその中心的人物、D……伯爵は実によくない男だった。
 女と見ればすぐに秋波を送る、見境のない男! 嫁入り前の娘を誑かし、品行方正な人妻を惑わせる。姦通した女性の数を数えるよりも、星の数を数えた方が早いと自身で標榜する黒い孔雀。ありとあらゆる悪徳の権化。
 非常にけしからん! ドゥーベ氏は苛立った。
 確かにD……伯爵は婦女子が好みそうな麗しい偉丈夫ではある。
 それに比べて自分は、とドゥーベ氏は痛みで嫌が応にも卑屈になり始めた頭で思う。身体は大柄で、これだけでも難があるというのに、顔は見る者に畏れを与えるような凶悪な形相といえた。額と鼻は迫り出し、目は獰猛な飢えた肉食獣のように鋭く、その上の厳つい眉は粗野な印象を与える。引き結ばれた唇はふてぶてしくいつでも口角が下がっていて、機嫌が悪いのかと遠巻きにされる程だ。顎はがっしりとして岩でも噛み砕いてしまいそうな鋭い歯を収納していた。赤ん坊を抱けば泣かれ、すれ違う子供達は蜘蛛の子を散らすように逃げ、女には倦厭される。陰で熊と嘲笑されているのは厭でも耳に入ってくるし――この時ばかりは、自身の仕事に役立つ利点である地獄耳を呪った――、本当に容貌で損をしていると自身でも思う。
 先日も今宵の晩餐の準備をしていた使用人の一人がセーヴル磁器の揃いの皿の一枚を粉砕した時、彼にしてみれば形あるものはいつか壊れると思っていたし、きつく叱ったつもりはなかった。ただ、注意したのだ。次からは気をつけるように、と。だがその使用人は――女子供ではない、いい歳をした男だというのに――震えあがって手に持っていたもう一枚の皿を手放し、床と激突させたのだった。
 その話をした時、イザドラは優しく笑った。彼もすぐに気付きますわ、見かけと違ってあなたがとっても優しいって。彼女はそう言って、ドゥーベ氏の痛む頭を撫でた。
 しかしこんな顔も仕事をするのにはそれなりに役には立っていた。何より人に甘く見られる事がないし、同時に威圧感を与えられる。そのお陰か彼の持ち前の手腕のお陰かどうかはわからないが、彼は今や警視総監としての地位は盤石であった。国王陛下や部下からの信頼も厚く、彼は自らの仕事をとても誇りに思っていたし、遣り甲斐のある仕事を愛していた。
 こんなに広い城を賜るに到ったのも、ひとえに彼の仕事ぶりの賜物であった。泣いて過呼吸になる子も死んだように黙り、罪人は震え上がって靴を脱いで裸足で逃げ出す血も涙もない秩序の番人。その渾名がドゥーベ氏の手腕を物語っていた。
 そんな彼の地位や爵位、財産に惹かれて近寄ってくる女もいないではなかったが、彼はそんな女は箸にも棒にもかけなかった。自分に優しく接するイザドラの事だって最初はそうなのだとばかり思っていて適当にあしらっていたが、彼女はそんな人間ではなかった。孤独と絶望を知っている、本当に心根の優しい娘なのだ。
 そんなイザドラが、嗚呼、私だけのイザドラが、軽薄な男達に囲まれてにっこりと笑っている! ドゥーベ氏は胸を掻き毟って瀕死の竜のように咆哮したい気分だった。
 このパーティーはイザドラに良き友が出来ればいいと思って彼が開いたもので、決して男にちやほやさせるためのものではない。
 だからイザドラにそぐわしく年頃の近い、品行方正といわれていてそれなりの家柄に嫁いでいる、良家の女性ばかりを呼んだのだ。それがどうしていつの間に、あんな不良男達が混じっているのだ。尻を蹴って使用人口から追いだしてやる! とドゥーベ氏は息巻いたが、イザドラはそんな夫を宥めて彼等に誘われるままに踊ったり、ああして笑ったり。
 イザドラは男というものを知らない、純粋な子供のようなものだ。切なげな表情で、夫からもかけられた事のないような甘い言葉を吐かれれば――例えそれが陳腐で、流行小説の引用であったとしても――、その裏に隠された浅ましい肉欲になど気付かずに、影に連れ込まれて取り返しのつかない事になるに違いない。
 そうなったら傷つくのは彼女で、そんな姿を彼は見たくはないのだ。
 これはきちんと教えてやらなければなるまい。
 ドゥーベ氏はイザドラのもとに大股に歩み寄る。それに気付いた男達は驚き目を見張った。それもそのはず、七フィートに届こうかという巨躯の男が常より恐ろしい顔をもっと歪めて、そして烏の濡れ羽色の上着をはためかせて近づいてくる姿は、まるで地獄の使者のようであったからだ。
 彼は妻の細い腕を掠め取った。
「どうしたんですの」
 イザドラはドゥーベ氏を見上げて首を傾げながら微笑む。その愛らしさにドゥーベ氏の心臓がぎゅっと縮まる。
「頭が痛いのですか」
「いや、話がある。盛り上がっているところ失礼、妻を借りてもいいかね」
 ドゥーベ氏は殆ど恫喝めいた有無を言わさぬ地を這うような低い声でそれだけ言い残し、返事など聞かずにイザドラを攫って行った。
「ブリュノさん、ブリュノさん……」
 迫りくる寒気に舐められている肌寒い廊下に出て大股で歩いているとイザドラが後ろから焦ったような声を上げる。
 彼は、なんだね、と振り返りもせずに返す。
「もっとゆっくり歩いて下さらないとわたくし辛いわ。あと、腕が痛いの……」
 イザドラが消え入りそうな声で嘆願する。
 小さなイザドラには、大柄なドゥーベ氏の歩調に合わせるのはいささか骨の折れる事だった。それに繊細な庭木のような腕を大の男に思い切り引っ張られて歩いているのだ。痛みを感じない方がおかしい。
 それくらい彼はよく知っていたが、しかし今は頭に血が昇ってそれどころではない。
 ドゥーベ氏は寝室の扉を勢いよく開けるとイザドラを中に押し込めた。そして壁に押し付け、逃げられない様に顔の両側に手をついて鋭い目で見下ろす。
「怖いわ、ブリュノさん」
 イザドラは伏し目がちなそれをもっと伏せて俯いた。ドゥーベ氏はお構いなしにそんな妻の顎を持ち上げる。
 薄暗い部屋でも分かる。イザドラの際立った美しさ。とてもこの世の物とは思えなかった。
 何百年も深海の遺跡で眠っていた古代の彫刻のような雪花石膏の滑らかな肌。いつでも潤んで輝いている瞳は、古代の秘薬、翡翠。思わず吸い付いてしまいたくなるような唇は夜露に濡れた薔薇石英。花のかんばせを縁取る精緻な螺旋を描く豊かな巻き毛は、太古の至宝、琥珀だった。まだ少女と言っても差し支えのない歳の未熟でほっそりとした華奢な身体。それはいつだって冷たい。情事に彼女の夫が燃えて、火照った身体を押しあてる時も。まるで造り物の人形のようだった。
 ドゥーベ氏はたまらなくなってイザドラの薔薇石英に自身の薄い唇を押しあてた。そして乱暴な接吻を必死に繰り返す。肉厚な舌で遠慮深げに戸惑う小さな舌を蹂躙する。裏側をぞろりと撫で、巻き取り、扱く。自身の昂った粘度の高い唾液を送り込み、イザドラのさらりとした清潔なそれと混ぜ合わせる。
「ん、ん……」
 鼻にかかったかわいらしい声を上げて、イザドラの喉がこくりと鳴る。溢れそうになった二人の唾液を呑み込んだのだ。
 それに満足したドゥーベ氏は、やっとイザドラの唇を解放した。
 そしてイザドラのローブを脱がせるために、その胸元に手をかける。外国から輸入したレースや花飾りがあしらわれた海老茶のビロード地の前を寛げると、コルセットに押し上げられた小ぶりだが形の良い胸が現れる。それに顔を埋めながら彼はドレスを剥ぎ取り、床に無造作に落とすと、鳥籠のような堅牢なパニエに取り掛かった。
 イザドラはというと、抵抗もせず夫のするに任せている。猥らな行為の予感に穏やかに微笑み、夫の頭を腕で抱擁し撫でる。
 ドゥーベ氏は荒い息を吐きながら、妻の腰の両側に張り出している猛禽の羽のようなパニエを壊してしまわない様に慎重に外した。
 最後はイザドラの身体の前面に顔を沿わせながら身体を屈めて足元に跪き、純白の下着を捲り上げる。ドレスと共布の海老茶の靴下留めと、長い絹の靴下、そしてそれに包まれたほっそりとした白い足がドゥーベ氏の目を焼く。そしてその目の前に晒される、立派な男性器。彼は生唾を呑んだ。
 イザドラは半陰陽であった。生まれながらに男性器と女性器の両方を持ち合わせた、類稀なる奇形。それ故に、結婚や誰かと愛し合う事とは生涯無縁と考えていたらしい。結局は紆余曲折を経て、ドゥーベ氏と連れ添うようになったのではあるが。
 ドゥーベ氏は初めてイザドラの身体を見た時は驚きこそしたが、不気味に思ったり軽蔑したりはしなかった。それどころか美しく神々しいとさえ思ったのだ。この身体を、はたして男女の醜い肉欲に塗れさせてもいいのだろうか。そう逡巡できたのも一瞬で、彼は……。
 神聖と崇める女神の前にかしずく一人の男はその象徴に恭しく口づけた後、その先端を口に含んだ。ともすればドゥーベ氏の物よりも男らしく立派なそれは、彼が奉仕するとすぐに起ち上がった。最初は先端を焦らすように舐め、徐々に奥へ飲み込み舌を這わせていく。手はほっそりした腰や小さな尻、内股を愛撫する。
「んふ、ふふ……」
 イザドラは快楽に笑っているような声を漏らす。左手は必死で怒張を舐めるドゥーベ氏の後頭部を、右手を広い肩にあてて。