「お父様は知っているかもね」

試食経典儀収録の「お父さんは知っているのかい」の、伯爵がおじさんなのかどうかについて考えていたら発生したエロなし怪文書です。


「まあ一口におじさんと言ってもだね」髪を整えながら、四十絡みの男は鏡越しに一夜の相手に魅力をたっぷりこめた流し目をくれてやる。「その属性があるからこそ、いやましに艶という場合もある」だろう? と伯爵は肯定を求めて思わせぶりに振り返る。
「ええ、その髪型素敵よ。似合ってる。今度あなたの理髪師を紹介してちょうだい」
 パルテーノペは伯爵の方を見もせずに、自分の髪をその辺に放られた男物の靴下留めで無造作にまとめる。それでも魅力的なのは若さ故か、彼女そのものの特性なのか。どちらでもいいことだ、と伯爵は歳若い娼婦にして高貴な令嬢の身支度を目に焼き付ける。
「その返答は肯定かい。それとも消極的な否定」ただ、それに関してはどちらでもよくない。
 ご想像におまかせするわ、とパルテーノペは完璧な笑みを浮かべる。完全に面倒な客向けのそれだ。星の数ほどの人間を見続けてきた彼にはよくわかる。
「それは否定に他ならないと思うのは猜疑心の強いぼくだけなのだろうね」
「猜疑心が強い、ご冗談でしょう」さっき陥れられそうになったのを忘れたのか、とでもいいたげにパルテーノペは嘲笑する。けれどさっきよりは年相応で自然な笑顔には見えた。「おじさんと言われたくないのなら、いくつに見える? なんて愚問を投げかけないことよ。いくら自分に自信があってもね」
 つい出来心でその質問を投げかけたのが間違いだった。
 何歳何ヶ月かはわからないけれど、おじさんなのは確かよね、とパルテーノペは無感情に言ってのけたのだ。塩対応どころではなく岩塩対応だ。ぶつけられると痛い。事後とはいえあまりにもあまり。
「きみね、もう少し配慮が必要だ。おじさんは繊細な生き物なのだから」
「あなたが、繊細なのでしょ。わたしが愛想良く接するのはお客にだけなのよ、残念なことに」
「おや、ではぼくはお客様でなしにもっと親密な相手ということかい。ほんのちょっとの瞬きの間にそんなことになっていたとは驚きだね。いや喜ぶべきだろう。この館随一の稼ぎ頭と金子によらない関係になれたのだから」
 伯爵はパルテーノペに向けて大仰にお辞儀をする。末長くよろしくしようという意味で。
「ねえ理髪師さん、髪の毛いじりが終わったなら早く帰りましょう。夜が明ける前に家に戻らないと」
「パパが心配する?」
「わたしには信用がある。でもあなたには? あなたお父様の計らいで自由を得ているの忘れたの」
「制限つきの」と、二人の声が同じ言葉で絡み合う。「気持ちがいいね」そう言ったのは伯爵だけ。パルテーノペは一つ息をついて仕切り直す。
「門限」
 娘には門限を課さないくせに四十を超えた大の男に、しかもこの放蕩の修験者に嫁入り前の娘のような行動を強いるなど、どうかして……いない。正しい判断だ。今宵の逮捕未遂事件を鑑みるに。
 自分にはあれやこれやの謂れなき——と、思っている——前科がある。次はないし、そもそも法学博士にして外交官であるパルテーノペの父親の便宜がなければ今頃は鉛の監獄で干からびているところだ。
 牢獄に手枷で繋がれているよりは、娑婆で足枷をつけられている方がまだましだ。とはいえ。
「きみは実につまらないことを思い出させてくれるものだ。さっきまで楽しくやっていたのを忘れたわけでもあるまいに。それとも全然楽しくなかった?」
「入れ替わりだの逮捕劇だの面白いことは一晩に一回くらいに留めておくべきよ。心臓に悪いわ、おじいさん」
「きみの態度のほうがずっと心臓に悪い」
 わざとらしく胸をおさえて倒れ込む伯爵を踏みつけて、パルテーノペは彼を冷たく見下ろす。
「いいかげんふざけるのやめないと、娼館に出入りして門限を破ったこと、お父様に言いつけるから」
「それは……勘弁願いたいかな」
 しばらくきみと一緒に面白いことをしたいから、と伯爵は宣って、これまでそれで落ちなかった者のない完璧な笑顔を浮かべた。
「いいわ、わたしは言わない。けど」
 伯爵の笑顔は続くパルテーノペの言葉に淡く崩れ去った。

「お父様はもう知っているかもね」完