大司教のいとも絢爛なる妙愛 - 2/5

「いや、やめてください!」
 現われたのは男らしい厚い胸板でも、白皙の美青年らしい薄いそれでもなかった。真っ白で豊かな、だがしかしまだどこか芯の残っていそうな若い乳房であった。
「やったーっ!女!だっ!」
 大司教は顔を好色そうに歪めて鬨の声を上げた。
「ひどい……」
 タベルナはというと、情けないやら恥ずかしいやら、ともすれば大司教に幻滅しかけながら顔を横にそむけた。
「さて、それではデザートを戴こうか」
 タベルナは今や、ゲヘナフレイムに供された絶世の美女……ではないが女である事は確かだった。
「ついでにたっぷり労ってやろう、お前の功績」
 大司教が噛みつくようにタベルナの唇を奪う。顎を押し下げられ、無理矢理唇を開かれて舌を味わわれる。肉厚な大司教の舌が奥で震えるタベルナの小さなそれを蹂躙し、吸いあげ、いやらしくなぞり上げる。
「んう、ふ、やだ、やめて」
 タベルナが涙ながらに訴えるが、大司教は意に介さない。
「断る」
 間近でその瞳に射抜かれれば、誰だって竦み上がるというもの。
「わ、わたし、猊下の事嫌いになりたくないんです」
 けれどタベルナは一心にそう伝えた。
 大司教の眉が片方だけ嫌味っぽくぴんと持ちあがり、唇が歪む。
「嫌いになればいい。余は誰に嫌われようと別段困らないし、どうせこんな事今晩で最後だ」
 妙に真剣なその眼差しに、タベルナの抵抗が一瞬治まる。
「それはどういう……」
「それにいやだと言われてやめたら、そこで大司教終了だ!」
 大司教はいつも通り、にやりと暗く笑うと再びタベルナに挑みかかった。
「ちょっ、ちょっと、意味が……やーっ」
 お互いの服越しではあるがタベルナの腰に大司教の欲望が触れる。大きくて硬くて何とも雄々しいそれにタベルナの腰が退けた。ゆったりとした法衣ごしでさえ逞しく感じられるそれがタベルナには恐ろしかった。
「んん、ふう、あ、や、やめて」
 大きな手で胸を揉まれ、先端を甘噛みされる。
 しかしいくら暴れようとも、大の男に、それも大柄ですこぶる体格のいい男に組み敷かれていてはどうにもならない。
「や、やだ、やです、たべないで、ぁあ」
 か細く愛らしく鳴くタベルナに、捕食者の食指も進む。
 後ろで束ねられた髪を解くと、それはアルマニャックの瓶を引っくり返したかのように卓に広がり川になった。肌はクレームシャンティのように肌理が細かく、また一つの染みもなく真っ白だ。涙が溜まって煌く瞳は愛の媚薬ショコラトル。唇は艶のある甘酸っぱいさくらんぼ。頬は行為のせいで、それ自体が熟してしまっているかのようだ。
「ああお前は思った以上に素晴らしいな。今までよく、誰の手篭にもされなかったものだ」
 大司教は嘆息した。
「せっかく蝶よ花よと言われるその年頃に、どうして男のふりをする。シャンデリアの輝く大広間よりも、無骨な炎そのものが灯りの厨房にいたいわけか。食べるより作る方が好きなど、余には皆目わからん」
「ちがいます、わたし、わたし料理もすきですけど、ちがうんです、わたし……」
 タベルナの目からぽろぽろと清廉な大粒の涙が零れおちた。
 別段それに心が打たれたというわけでもないのだろうが、圧し掛かっていた大司教が起き上がって娘を見下ろした。
「何が違うんだ」
「わ、わたし」
 タベルナは過呼吸気味な息を落ち着けるために、目を閉じて息を何度も深く吸っては吐いた。
 憎からず想っている相手にこんな事をされるのは、タベルナにとってひどくショックな事だった。というより、誰にとっても衝撃ではあろう。
「過呼吸になるほど余が嫌いなのか。まあ余を好きな人間なんていないだろうが」
「ち、ちがいます、わたし、猊下のお傍に居たくて……」
 大司教の眉が盛大に顰められた。こういう顔になる時は猜疑心にかられているとタベルナは知っていた。
「また適当な事を」
「本当です。猊下はお忘れでしょうけれど、わたしはあの時……」
「余に助けられた鶴?」
「違いますけど! でも似たようなものです……」
「じゃあ戴いてもいいって事だ。その身体で恩を返してもらおうか」
 大司教は事もなげに言い放つと、容赦なくタベルナに手を伸ばした。
「や、やだっ、だからやめてって……」
 大きな手はくびれた腰をなぞり、小ぶりな締まった尻を、そして秘められた下腹部に差し掛かり……。
「えっ」
 その確かな手ごたえに大司教は間の抜けた声を上げた。
 タベルナのほっそりとした脚の間にあったのは、大司教の求めて止まない女のソレではなく、自身のよく知るアレだった。
「うう、う、いや……」
「お、お前は」
 驚愕しつつ、しかし辻馬車も大司教も急には止まれないのだ。惰性で手が勝手にそれを揉みしだいてしまう。
「だからいやだって言ってるじゃないですか!」
 タベルナは自身の顔の横に柱のように聳え立っている大司教の腕を勢いよく払い、巨木のような大司教が倒れ込んで来るよりも早くバネのように身体を起こした。
 そして豪快な音をたてて卓に伏した大司教の両手を背に押さえつけ、先ほど解かれた自身の髪留めのリボンで両の親指と銀のフォークの三本を纏めて一緒くたにぎゅっと縛った。
「余にこんな事をしてタダで済むと思っているのかっ!」
 大司教は暴れに暴れるが、親指を後ろできつく縛られていてはいかな大男でも処置なしである。それに動けば動くほど、よく磨きあげられた銀のフォークの柄が骨ばった親指を抉る。
「だ、だからやめてくださいってわたし言ったのに……」
「料理だけでなく格闘技の心得が?」
 大司教が情けなく顔を卓に押し付けたまま呟いた。
「いえ、あの、ないですけれど。えっと、暴れないでください、人が来ますし」
 タベルナは大司教の背を存外雑に両手で押さえつけた。そのせいで意図せず股間がその大きな尻に当たってしまう。
「おおおお前は! 男なの!? 女なの!? 何なの!?」
 大司教は一生懸命腰を退き、それが当たらないように身体をよじろうともがいた。
 卓の上の四つ股の燭台と女性的なフォルムのワインのデキャントがギャロップを踊り、タベルナが特別に大司教のために出したシューアラクレームがセーヴル焼きの皿の上で手つかずな事に怒り狂う。
「それはわたしが一番聞きたいです! だから静かにしてくださいってば!」
 タベルナが親指のフォークをぎゅっと時計まわりにねじる。
「いっ痛い痛い痛い!」
 とうとうワイングラスがその目の前で倒れ、テーブルクロスに染みを作った所でやっと大司教は動きを止めた。
「料理だけでなく拷問の心得が?」
「いえ、あの、ないですけれど。落ち着きましたか、猊下」
「これが落ち着いていられるか! 男かと思えば女、女かと思えば男! 余にいらんぬか喜びをさせるな」
 大司教は肩越しにタベルナを睨みつけた。
「あ、すみません」
「そうかお前はアンドロギュヌスか。本物を見たのは初めてだ。わかったから早く拘束を解け」
「やっぱり普通の女の人がいいですよね」
「男なら男で余は構わんがな、どちらでもないなら抱くに抱けん。だから早く拘束を解け」
 そこまで言って、やっと大司教はタベルナが嗚咽を漏らしている事に気づいた。
「タベルナ」
「わたし、きらわれましたね……。好かれないならせめて嫌われないようにしようと頑張ったけれど、やっぱりだめでした」
 タベルナは寄る辺ない子供のように自分を抱き、目から涙をぽろぽろと零していた。
「じゃっ、なんだ、お前は余の事を」
「ずっと前からお慕いしていました」
 大司教は泣きじゃくりながら愛の告白をする娘だか少年だかを前に冷や汗をかいた。
 タベルナがいつからここで働いていたのか、使用人に興味のない大司教からしてみれば見当もつかない。その存在を知ったのだってつい最近、ほんの一年ほど前の事だったのに。
「前とはいつから」
「十年前です」
 他人を愛して屈辱を味わった事こそ多々あったが、秘めたる愛を抱いて十年以上目立たずに密やかに相手に寄り添う事など、大司教には……。
「理解できん」
 なんかストーカーっぽいし。
 大司教は青ざめた。
「そうでしょうとも、猊下はそんな卑屈なお考えお持ちではないでしょう。けれどわたしは、女々しくてどうしようもない人間です。猊下はこの件でわたしを処刑なさるか収容所にお入れになるか、あるいは物好きに下げ渡されるおつもりでしょう」
 タベルナはいつも通り淡々とした口調で言った。
「いいやそんな事はしない。余はお前を……」
「ならわたしは!」
 大司教の言葉を遮るようにタベルナが慟哭した。
 その優しげな顔に凄味が奔る。まるで穏やかな晴天を突如稲妻が引き裂くように。
「想いを遂げるだけですっ」
「えっ」
 ぐい、と大司教の緋色の法衣が捲られ、下衣を力任せに下げられる。
 大きいが引き締まった大司教の尻が露出し初冬の空気に震えた。
「ああ、猊下」
 感極まったタベルナが大司教の腰を抱く。
「ちょっ、落ち着け! 無理矢理とかよくないからほんと!」
「さっき猊下はわたしを無理矢理押し倒しました」
「余はいいんだよ超偉いんだから! ぐがっ!?」
 大司教は不意に腰にはしる衝撃に咆哮した。
 次いで尻の中を支配する不快感。そして熱。
「ん、んお、ぉ……っ!? やめ、あ、あ、やめろっ」
 腰の奥が、腸が液体に舐められてじんじんと熱くなる。
 大司教の尻にはずっぽりとワインの瓶がぶちこまれ、とくとくと酒が注ぎこまれていた。
「猊下、猊下はよく神経が昂った時にお酒を飲まれますね。だからどうかこれで落ち着いて」
「落ち着くのはっ、お前っ……あっぐ、あづ、熱い、へあぁ、あ」
 さしものうわばみも、直に呑まされては覿面である。
 顔は赤らみ、目と口元は緩み、犬のように舌を突き出し涎をとろとろと垂らしてしまう。腹の奥が鈍く胎動し、まるで心臓でもあるかのようだ。腰は小さく震え、尻は笑窪を浮かべて悦んでしまう。
 タベルナはというと、酒が入って行きやすいように絶妙な角度に瓶を傾けたり、前後に動かしたりを繰り返している。小さな親切大きなお世話だった。