マナがT4-2に“肉体的に籠絡”されT1-0という巨大なロボットで暴れまくったのは、先週の金曜の夜のこと。
T4-2が「私がパイロットで〜す♡」などと衆人環視の真っ只中で言い放ったため、あれから随分な騒ぎになっている。テレビ、新聞、ラジオ、あらゆる情報媒体でT4-2とT1-0について見聞きしない日はない。
「大体なんで自分がパイロットだなんて言ったわけ」
マナは自分の上からT4-2を押し退ける。部品に隕鉄が用いられているT4-2と身体のどこかが触れていれば、磁力はT4-2の腕力程度には強まるようだ。この調子ならトラックの一台くらいは余裕でひっくり返せるだろう。いわんや汎用亜人型自律特殊人形をや。
「完全に秘匿するよりも、あの場では最低限の事実を開示した方が良いと判断いたしました。そのため私の他に搭乗者がいたなどとは、誰も夢にも思っておりませんよ」
口調は平坦だが、どこか得意げな語り口で苛々する。T4-2は完全無欠に欠点を内包しているため、マナはその仕草にも言葉にも人間と同じような腹立たしさを感じてしまう。彼女にとってT4-2は精巧な機械ではなく、小癪で気障な野郎でしかない。
「三日三晩の追求は幾分か煩わしく思われましたが、あなたのことは一言も漏らしてはいませんので、どうかご安心ください。そもそも、聞かれもしませんでしたが」
大袈裟ではなく三日三晩、T4-2は署内に缶詰だったらしい。T4-2の相棒であるマナの兄も同様で、ようやっと帰ってきた時には、こちらは酷く憔悴しきっていた。マナは初めて兄を心底可哀想だと思った。そしてブリキ野郎に振り回される者としての親近感を覚えていた。
T4-2がマナに語ったお偉い方々との“話し合い”の結果は「再び超技術による事件が起こった際にはT4-2がT1-0を用いて迅速に解決すべし。それ以外の時には警察官としての職務を全うせよ」という案外鷹揚なものだった。
「そんなことってある!?」と思ったし、その場でそう叫んだが、昨今増えてきた超技術犯罪への対策のため、元々T1-0はT4-2が現場に馴染んだ後に導入する予定だったらしい。それが下々への通達なく少々……かなり早まっただけのことのようだ。T4-2も現場に馴染んでいるとは到底言い難いだろう。というか絶対浮いている。
そしてそれよりも何よりも「そんなことってある!?」とマナが慟哭したのは、T4-2が内藤家に同居する運びとなったことである。
マナの兄がT4-2を公私共に監視するという側面が多分に強いが、というかその向きしかないが、表面的には人間社会に不慣れな機械に人間らしい心や生き方を学んでもらうというお題目である。
T4-2は昨日の退勤後に大量の服やら靴やら、そしてついでのような手土産と共に内藤家にやって来て、慇懃で紳士的な態度で長ったらしい名称と、略称と、自称を名乗った。つまり「牧島重工製四五式トロイリ四型汎用亜人型自律特殊人形第弍号」「T4-2」「内藤丁」この三つ。
何故このブリキ男は勝手にうちの苗字を名乗っているのだ、という気持ちを込めて兄を見ると、兄はうんざりしたような顔で首を横に振った。
人間社会で働く上では姓名が必要不可欠ということなのか、墨田署の誰もがT4-2と満足に発音出来なかったのか、T4-2が内藤丁という自称を強行に自薦したのか……おそらくこの全てが奇跡的に噛み合わさって結実した離れ業だったのだろう。
こうしてT4-2改め内藤丁は、内藤家で暮らすことと相成ったのである。
昨夜は夜這いをかけられるのではないかとマナは気が気ではなかったが、夜半になっても男は現れず、眠気に敗北して寝て起きた結果がこれである。
「あんたと一つ屋根の下なんて」
マナはT4-2の背を押して部屋から追い出しにかかる。
T4-2の身支度は既に万端だ。上半身にゆるやかに添わせたサスペンダーで上品にスラックスを吊っている。ちなみに本日は非番なので、ネクタイはなし。
対してマナはまだ乱れた浴衣。下着はなし。
「私は防犯面で非常に有用です」
ぴっと両の人差し指を立てて宣うT4-2。
「どの口が言う」
人を尾行したり、監視したり、押し倒したり、勝手に部屋に入って致したりするくせに。
「重い物も持てますし、ちょっとした機械の整備もできます。ちなみに昨夜は居間のラジオを直しました。私は役に立ちます。一家に一台ものです」
こんな自己肯定感と性欲の肥大した変態機械、各家庭にあってたまるかよ。マナは心の内で吐き捨てた。
自室の襖を開けると、ちょうどマナの妹の内藤アキが二階から降りてくるところだった。
色白で、豊満かつ小柄な花の二十歳である。肩まで伸ばした髪はいつでも移り気な感じでウェーブして、身動きする度に軽やかにふわふわ揺れる。まつ毛は長く、唇はふっくら、その下の黒子はちょっと扇情的。マナから見ても程よく肉感的で超絶に美人だ。T4-2の言葉を借りるなら、完全無欠の被造物!
「おはよう」
朝から妹に目が眩むマナ。
「おはよう。お姉ちゃん、思ったより早かったね」
「早かったですか。並だったとは思いますが、寝起きですからね」
T4-2の返事はアキの言葉とは不穏に噛み合っていないのだが、アキは疑問を抱くこともなく続ける。
「いつもはもっと遅いんだよ」
特に今日みたいな休みの日は起こすの苦労するの、とアキは笑う。
「いつもは遅い。なるほど。今朝は私がいったからでしょうか」
行ったのか、イったのか、穏やかな喋り方からは前者の意味のように受け取られるだろうが、マナは絶対後者だと思う。
「うん、丁くんに起こすの頼んだからかもね」
アキは性格に表裏がなく、それゆえ人の言葉の裏も“読まない”。昨日会ったばかりの怪しいロボットとも、穏やかに仲良く接することができる、内藤家一の逸材である。こんな素直で愛しい妹に妙な虫が寄り付いた暁には、マナは超能力だろうがなんだろうが駆使して駆除する所存だ。
「これから毎朝私がします」
何をするというのか。ナニでもされるのか。
対してT4-2には唾棄すべき穢れた二面性がある。淫乱エセ紳士と言った方が俗っぽくてそぐわしいかもしれない。
「そうしてくれる? 助かるなあ。丁くんが来てくれてよかったよぉ」
「そう言っていただけて、大変嬉しく思います」
アキの格別の笑顔にT4-2も軽く頷き、ついでのようにマナに意味ありげな眼光を向け、彼は先んじて居間へ向かった。
「丁くんってデボネアだよね」T4-2の背を見ながら、アキがマナにこっそりと囁く。「いつも頭のてっぺんから指の先までピンと神経通ってる感じ」
「あんたは人の良い面を探す天才ね」
確かに言われた通り、T4-2の動きには無駄がなく、怠惰に動く部品は一つもない。そしてその所作には色気が滲み出ている。あと、マナをじっと見つめる外車っぽい高性能な光学鏡は時折偏執を孕んで、彼女を視線だけで犯しているように感じるときもある。
「あとなんか、一見紳士的だけどエッチな感じするよね。特にお姉ちゃんを見るときの目はちょっと……うまく言えない」
「あたしの心を読んだ?」
マナはアキを見ずに言う。目は心を映す鏡。こういうとき、妹の澄んだ目は直視できない。
「ふいんきだよ、ふいんき。お姉ちゃんの心を読むわけないでしょ。アタシは誰にも、特に家族にはテレパシーは使わない主義って知ってるでしょ。それが乙女の嗜みなの」
内藤アキは人の心が読める。
マナと同様、いわゆる超能力者で、T4-2のいうところの“読心術の使い手”だ。
しかし他人の心が読めたところでそれを利用してやろうと思う程の上昇志向も悪意も熱意もない。寧ろそこそこ楽しく生きるためには他人の心などわからない方がいいとさえ思っている。ただ、寝起きのぼうっとしたときには、意識的な能力の遮断が効かず、勝手に周りの思考が頭の中に入ってきてしまう。それを避けるためにアキは人一倍早寝早起きである。毎日の睡眠時間は優に十時間を超え、非常に肌艶よく健康であった。
「ま、でもアタシは同じコンチネンタルならリンカーンよりベントレー派っていうか、ケリーよりアステアっていうか、カブトよりクワガタっていうか、盾より剣っていうか、ビールよりエールっていうか、保安官より諜報員っていうか……」
この言い様、本当に心を読んでいないのだろうか、とマナは訝しむ。
「あれでもうちょっとおカタい顔と性格してて、縦横がシュッとしてて、チョークストライプのダブルスーツ着るようなセンスだと完璧なんだけど。もうね、結婚してもらう」
妹の趣味はよくわからない。そして何より、あんなのがこの世に二体三体といてたまるかという気持ちになる。しかし、一匹見たら百匹はいると言うし……いや、考えるのはやめておく。あと、たぶんロボットとはこの国の制度上結婚できない。
「スーツならT4-2も着てるじゃない」だからといって熱をあげられても困るのだが。あの変態冷蔵庫野郎に。
「あーれーは、ブレザーだよ。ちなみにダブルってお酒のことじゃないからね」
廊下の隅で話し込んでいる女達に、玄関横の居間の戸口からT4-2が呼びかける。
「マナさん、アキさん、朝食の準備が整いましたよ」
次いで、前掛け姿の末の弟、内藤薫も湯呑みや急須を乗せた盆を手に現れる。
「早く。片付かないだろ」
薫は十六歳。男子高校生をやっている。白磁のような肌に人形のように整った中性的な顔貌の持ち主だ。黒く針金のように真っ直ぐな髪は、前髪も襟足も伸ばしがち。そのせいで折角整った顔ながら、少々陰鬱で同世代の中では埋没しそうな印象を与える。実際、学校ではあまり目立たないように生活しているらしい。
「信じらんない、まだそんな格好!」
寝巻き姿のマナを一瞥すると、薫はくるりと踵を返す。そのとき運悪く薫の持った盆にT4-2の腕が当たり、盆の上の湯呑みが一つ床に滑り落ちる。湯呑みは硬い床に激突し、細かい破片を撒き散らして割れた。
「申し訳ありません。ついうっかり。どうかお許しください」
床に膝をつき破片を集めようとするT4-2を薫が止める。
「そのまんまにしといて、後で直すから。座ってていいよ」
「こんな粉々の物を直すのですか」
「うーん……」薫の目が泳ぐ。「うん、趣味。ジグソーパズルみたいな?」語尾は完全に浮く。
内藤薫もまた超能力者である。
薫は粘土質の物質を自由自在に操ることができる。因みにその肉体は不死身の土塊だ。いや、実際死んだことはないので不死かはわからないが、ノーブレーキのトラックに轢かれたときは死ぬかと思う程の激痛はあったが死ななかった。潰れたりバラバラになったりはしても、土さえ補給できれば元の状態に戻ることができるのだ。ただ、乾燥した気候は苦手だ。年老いたようにひび割れてしまう。湿った関東の夏はいいが、乾いた真冬の気候は年頃の女性のように結構気を使う。
「ツイてないなあ」呟く薫。トラックに轢かれたり側溝に落ちたり財布を落としたり傘を盗まれたり、決して運が良い方ではなかった。
「T4-2にやらせりゃあいいのに。客じゃないんだから」
湯呑みの破片と薫をT4-2や兄から隠すように立ちはだかるマナ。
「捨てられたら困るだろ、うちビンボーなんだから。湯呑み一つでも」それに、父さんの湯呑みだし、と薫。
「帰ってこない人間のもの取っといてどうするの」
「もうこれしか残ってない」
薫がその手を翳せば、湯呑みの破片が寄り集まり、たちどころに元通り。傷一つなくなったそれは食器棚の奥の方へ密やかにしまっておく。忘れた頃にまた使えるように。
内藤家の父親は数年前から音信不通だ。後を頼むと何故かマナにだけ告げて蒸発した。秀は当時相当荒れて、父の持ち物をすべて処分してしまった。今でも秀の前で父の話題を出そうものなら不機嫌になるほど。
母親も随分前に亡くなっており、今はマナ、秀、アキ、薫の四人暮らしで、そこにT4-2が転がり込んできた形になる。
着替えてきたマナが居間の座卓に着くと、向かいに胡座をかく兄が、新聞から顔を上げて一言ちくり。
「アキみたいにもっとしゃっきり起きて来い、いい歳してだらしねえな」
内藤家の長兄にして大黒柱、秀は墨田署刑事課務めにしてT4-2の相棒であった。歳の頃三十を過ぎ、むさ苦しさに磨きがかかったその姿。警察としては威厳に満ちて良いかもしれないが、それ以外の場では威圧的な雰囲気を与えがちだ。本人は至って誠実にして実直な性格なのではあるが。
「私が悪いのです。もっとマナさんを早くに……」
「やめて。黙って。喋らないで。静かにして。どうか」
マナはすかさずT4-2を止める。喋らせるままにさせておいたら卑猥な単語を出力しそうだ。
「お前らはいつからそんなに仲がいいんだ」
秀はマナと、その隣に行儀良く座しているT4-2を顎で指して睥睨する。
「そのように見えますか? それは喜ばしい限りです」
妙に距離の近いT4-2を遠ざけるように、マナは身体を捩る。
「仲なんてよくない全然よくない」
「けどお前今まで“どうか”なんてご丁寧な言葉使った試しがないぜ。丁の専売特許みたいなもんだ。それをこいつのことあげつらうように言いやがるから」
伊達に刑事の端くれやってないな、とマナは素直に敬服する。
しかし内藤秀はただの人間である。この四人と一体の中で唯一の、純粋な、まごう方なき、貴重な、普通の人。
恵まれた体格と剣道柔道の腕は凡夫から抜きん出てはいるが、超能力者やロボットと並べると心許ない。そして彼は、自分以外の家族が超能力者であることを幸いにして知らない。知っていたらおそらく、こうまで能天気に刑事をやってはいられなかっただろう。人知の科学と法さえも超越してしまうような生物が存在する中で、脆弱で儚い人間の身で法執行をせねばならないと知れば、途轍もない無力感が彼を押し潰すだろう。ロボット警官やら巨大ロボットの登場にさえ、彼の存在意義は揺らぎかけているというのに。そんなこと、他人や家族の前では人並み以上の理性でお首にも出さないが。
「どうか、なんて言った?」
マナはしらばっくれるが、T4-2がすかさず続ける。
「仰いましたよ、確かに」
余計なことを言うポンコツだ。
「目も良ければ記憶力も良いのねえ」
嫌味たっぷりに返してやるが、そういえばそんなものは通じないのだとすぐ思い出す。寧ろ藪蛇だった。
「ちなみに私は聴力も優れておりますので、居間にいても廊下の端の話がよく聞こえます」
T4-2は自分の耳を指差し、マナを通り越してその隣に座るアキに目をやる。
「チョークストライプのダブルスーツを好む知己はおりますのでご紹介はできますが気質上の問題でお薦めはいたしかねます」
うわっ、いるんだ、とアキが期待のような驚きのような小さい声をあげる。問題はそこではない。
「なんで今まで言わなかったわけ」
マナの声が怒りを湛えていやましに低くなる。こうなるとまずいと知っている薫が卓から僅かに身をひく。
「ダブルスーツの知り合いのことでしょうか」
「冗談で言ってる? 耳がいいことだよ」
マナとアキの、心を読んだだの、テレパシーだの、乙女の嗜みだのという話を聞かれていたということになる。
「そちらのことでしたか。秀さんは私の仕様書に目を通していらっしゃるのでご存じのはずですよ」
おそらく雑にぱらぱら捲っただけの秀が、お、おう、と頷く。
「遅ればせながら、皆さんにも後ほど仕様書の写しをお渡ししましょう」
心底いいことと思っているかのような声色と微笑。
ああ、この機械、やっぱり路地裏で鉄屑にしておくべきだった、とマナの殺意が爆発的に燃え上がる。読心術などなくとも、顔を見ればその心は火を見るよりも明らかだ。
しかしやはり、そんなマナの様子をまったく意に解さないT4-2は新たな爆弾を落としにかかる。
T4-2の隙なく揃えられた五本の指先が、座卓を囲む人間四人をぐるっと指す。
「ところで今し方結論に達したのですが、皆さんそれぞれ……」
超能力者だとでも、今この場で言うつもりか!? マナは全身粟立ち身構える。兄にだけは知られてはならないというのに。
マナがT4-2を内側から瓦解させるためにその腕を掴もうとするよりも早く、機械の声が居間に通る。
「血縁関係にはありませんね。誰一人として、明らかに容姿に近親者同士の類似性を認められません」爆弾というより絨毯爆撃である。「違いますか?」
「うち来て二日目の朝からそういう話するぅ?」
さすがのアキも困ったような笑いを漏らす。否定はしないのが答えになってしまっている。
薫は「こいつなんなの……」という感じに口を半開きにして思考を停止している風。秀は額に青筋をたて、わなわな震えて今にも座卓を乗り越えT4-2に飛びかからんばかりだ。
「なんでしょう、穏やかではありませんね。皆さん落ち着いて」
「教育的指導!」
やにわに叫んだマナはすっくと立ち上がると、T4-2のサスペンダーを引っ張って無理矢理立たせる。T4-2が内藤家に人間らしさを学びに来たというのなら、今こそ人間らしさとやらを見せてやるときだろう。
「話はゆっくり、あっちで聞いてあげるからね」
そしてそんなマナに「嗚呼、そんな、犬のように……」と、言いながらも、どこか恍惚として従順に引っ張られたまま後を着いて行くT4-2。
「朝ごはん食べてて」
長丁場を思わせる台詞を吐き、マナは居間を後にした。