嫉妬と献身 B - 5/7

『ありがとう、内藤丁くん』
 染み一つない壁に直接投影された映像は、会議室で見た物よりはコンパクト。映写装置もまた小さく、それ自体から出る音声に幅や厚みはない。だが、街頭テレビのそれよりは透き通って冴えている。
『ところで今気づきましたが、あなた、こいつ“ら”、と仰った?』
 エレベーターの小さな到着音と共に、画面内のマナは嘔吐して倒れた。
 マナは思わず「最悪」と呟く。みっともないことこの上ない。
『マナさん』珍しく上擦る合成音声。
「私のせいです。もっと早く、あの下郎に仲間がいる事に気づいていれば、あなたをこのような目に遭わせずに済みました」
 床に座る男の膝の上で、その手が力強くぎゅうっと握られる。拳を握り抜いて手を壊さんばかり。マナはT4-2の手に自分の手を重ねて、彼の蘇った自責の念を鎮めるように叩いてやる。
「なにもかにも自分のせいだと思わないでよ、ほんとに自意識過剰だね」
 二人は部屋の床に直に腰を下ろし寄り添って、室内の壁に投影される映像に視線を注いでいた。
「この女が悪いんだよ」
 電影の中、パーマのかかったショートヘアを悠然と整えながら、エレベーターから女が降りて来る。
 細身な身体のラインに沿った濃い色のパンツスーツにピンヒール。編み上げになった純白のコルセットベストの下は素肌。寄せられた豊満な胸が歩く度に揺れる。男装にしては、いたく扇情的。
『遅ぇんだよ』
 倒れていた瞬間移動男が鏡の破片を振り落として立ち上がる。元より気絶などしていなかったのだろう。
『エレベーターがなかなか来なくてね』
『階段で来いやぁ! こっちは死ぬかと思ったんだぞ! てか多分肋骨折れてる!』
 男は身体を労わるように懐に手をやる。
『折れてはいません。動かないで下さい。撃ちます』
 T4-2の声。
 袖口から勢いよく展開された短銃が見切れるギリギリに映り込む。
「最終的に、私はあれの肋骨の二本にひびを入れました」
 本数を示しているのか、Vサインか、立てられる二本の指。
「やるね。最高」
『選べ。その女を渡してから、少しずつバラされて苦しんで死ぬか、少しずつバラされて苦しんで死んでから女を連れて行かれるか』
 T4-2に銃口を向けられても怯むことなく男は言い放つ。
『そのどちらの結果にもなりようはありません』
 糸が切れた人形のようにぐったりしているマナにかけられるT4-2の外套。
『私に生物学的な死は訪れません。そして貴様のような三下に、この方を軽々しく触れさせるわけがない』
 T4-2は荒々しく手袋を脱ぎ、男に投げつけた。
『決闘の合図! 見ものだね』女が興奮した声を上げる。
 男が手袋を足蹴にして駆け出す体勢になるのと同時に、その姿がふと消える。
『俺は決闘なんざしねえよ』
 マナのすぐ側に男が現れ手を伸ばす。
 気絶したマナを引き寄せるT4-2の腕。
 一発の銃声。勢いよく引きになる画面。
 これらはほぼ同時に行われた。
 そしてT4-2の放った銃弾は見事、スーツの脛に穴を空けていた。男のずっと後方に立つマネキンの。
 一発必中の精密射撃は果たして外れたのだ。
『威嚇射撃か?』男は性悪く嗤う。
 超能力のせい? とマナが問えば、T4-2はええ、と頷き映像を指差す。
『もう一人いるようですね』
『間に合ったっすかね?』
 声の主は登りエスカレーターに乗ってきた、マナより幾分か若い男だった。シャツにジーンズの、まったくラフな格好。しかし身綺麗さは十分にある。髪は無造作に短く、学生っぽさが残る顔。そしてその容貌と服装に似合わぬ、カウボーイのようなごついベルト。
 T4-2はそちらに油断なく銃口を向ける。
『撃っても当たらないと思うけど、念のためね』
 すぅーっとエスカレーターに運ばれてきた若者は、降り口のステップで素直に立ち止まって諸手を上げた。
『無抵抗の人間は撃てないっしょ』
『てめぇ! 悠長に立ち止まって乗ってんじゃねえよ! 弾当たるところだろうがァ!』
 男が怒声を浴びせる。
『すいませぇん』
 若い男は緊張感なく首だけ曲げて頭を下げた。
『ちょっと失礼、お尋ねしたい事が』T4-2が掌を三人組に向けて突き出す。『まだ人数は増えますか』
『いやおれで最後。真打登場っす』若者の答えに、スーツの男が馬鹿野郎! と怒鳴る。
『そうですか』
 言うなりT4-2は躊躇なくケーブルを射出し三人を拘束にかかる。しかしその鉤付きの先端はふと逸れて、近くの柱に巻き付いた。
「証明のしようはありませんが、彼の前では銃弾、ケーブルなど、あらゆる射撃・投擲・飛来物の命中率が三割程度になります」
『便利な能力ですね』
『三割くらいは当たるっすよ。野球なら結構な打率でしょ。けど一発必中の人には、体感三割はほぼ当たんないのと一緒!』
 若い男は白い歯を見せてニカッと笑った。歯並びが大変良い。
『けど、ゼロが三割になるのはかなりのもんよ。それにこっちは外れようが構やしねぇからな』
 下手な鉄砲も何とやら、鷲鼻の男が腰から銃を引き抜いて撃つ。
 T4-2を狙ったであろう銃弾はふと逸れるが、渦中の人物は敢えて手を出し銃弾を受け止める。そうしないとおそらくマナに命中していただろう。
 鋼鉄の掌で潰された銃弾が床に落ちる音が惨劇の始まりの合図。
 響く連続した発砲音。
 T4-2はマナを抱え、ケーブルを巻き戻す勢いで柱へ向かって飛び銃弾を回避したようで、情景が目まぐるしく変わる。
 超能力によって消えては現れる銃弾。あり得ない角度からの銃撃。止まらぬ縦横無尽な攻撃と立体的な回避、あるいは身を翻し軀を張っての防御。
 防振平衡補正機構もここまでの大立ち回りだと焼石に水なのか、機敏な動きに映像が大いに揺れて、じっと見ていると乗り物酔いにも似た症状を覚える。
 女までもが銃を用いて射撃とも言えないような酷い撃ち方をするために、売り場の全身鏡はくまなく割れ、ショーケースも滅茶苦茶。服飾品が飛び、マネキンの胸が弾け、ハンガーラックが傾く。
 T4-2の方もなりふり構わず機関銃を放てば何発かは当たるだろうが、彼は無益な破壊を良しとしない。思いもよらぬ方向に逸れた銃弾が窓を突き破り屋外に飛び出す事、そして無関係の誰かに当たる事を懸念しているのだろう。加えて、放った何十発もの銃弾に転移の能力を用いられて自分達に降り注ぐ事をも。
 かといって、敵の間合いに入り、肘に格納された刃物や徒手空拳で反撃するのはマナが邪魔すぎて現実的でない。しかしマナを置いて行けば即座に瞬間移動で奪われる。
 非常によくない状況だ。
 呻き声を発して目覚めそうになったマナが、再び嘔吐し気絶する。電影の端に映る女がニッコリ笑って拳を握り締めているのが見える。
「最悪」
「彼女は胃袋でも掴めるのでしょうか」なんとも家庭的ですね、とT4-2。
「いや、神経だって。ふくくう何たらを掴むとか」
「なるほど、腹腔神経叢圧迫による迷走神経反射ですね」
 言葉の意味はよくわからないが、マナにとって鬼門の能力というのはわかった。
「彼ら一人一人はそこまで強力ではありませんが、三人揃う事で私の射撃とあなたの能力をほぼ無効化しています。敵とはいえ鮮やかな人選と手並みと言えましょう」
「素直に感心しないでよ」
 とはいえ持ち前の長広舌の調子を取り戻してきたT4-2に多少の安心は覚える。
 それに、映像監督本人による音声解説はなかなか豪華なものかもしれないとマナは思う。
『私の名前は内藤丁』T4-2は銃弾の嵐の中、一人興味なさそうにぼーっと突っ立っている若者に問う。『あなたは?』
『え? ムスクテール』
 若い男は素直に答えた。
『私はストマッカー』
 女も何という事はないという風に言う。
『馬鹿野郎この野郎ども、何を素直に名乗っていやがるよォ』
 銃撃と瞬間移動の残像が止み、スーツの男が身内を罵る。
『礼儀と所作が紳士を作ると大将も言ってる。ちゃんと名乗っておけとも命じられていたしね』ストマッカーがすかさずスーツの男を示して言い放つ。『こいつはヴァトー・プリーツ。以後よろしく』
『あっ、やめろよォ』
「全員東洋人顔のくせして、横文字の名前を名乗るな!」マナは映像に向けて野次を飛ばす。
「本名ではありません。通称というものですよ」
「わかってるよ!」
 映像の中の姿なきT4-2は、微かにうーん、と唸る。
『ヴァトー・プリーツ。なるほど。あなたの能力はおそらく、物体転移ではなく、空間歪曲ではありせんか』
「物体そのものに力を作用させて別の地点に転送するのではなく、空間を伸縮させて物体を別の地点に転送するのです。スカートのプリーツ加工を思い浮かべて下さい。あのように空間を折り畳んでしまえるのですね」
 毎度の事だが、マナにはT4-2の言っている意味がわからない。プリーツが何なのかさえも。
『どっちも同じじゃねえか』
 マナの考えを代弁するかのようなセリフ。
『いえ明確に違います。過程が、まったく』
『結果は同じだろ!』
「対戦車砲弾が飛んできます」
 ヴァトー・プリーツの胸元のブローチが輝き、超能力の発露を予見させる。
「マナさん、あなたを一瞬でも手放してしまった事を、どうかお許しください」
 ヴァトー・プリーツの傍の虚空が歪み、にゅっと突き出すスリムなペンシル様のシルエットの何か。
 光学レンズが一瞬、T4-2の手によって床に横たえられたマナを映し、次いで細長い対戦車砲弾に向けられる。
「私にはああするしかなかったのです」
『てめぇはこいつに当たるしかねえんだ』
 ムスクテールの能力とT4-2自身の性能によって、砲弾など確実に避けられるだろうにも関わらず、彼は素早く砲弾の前に躍り出てその身を晒す。
 着弾の寸前に展開した大盾と砲弾のぶつかり合う轟音が響く。
 鋭い槍のような先端は爆発的な推進力でもって特殊合金の大盾を溶かすように貫く。
 T4-2は砲弾が胴に到達する間際に盾を放棄する。
 盾と共に吹き抜けを落下していく砲弾の爆発音が音響装置を唸らせる。
「気にしないで」マナは軽く言う。「あたしは気にしてない」
 T4-2がその身を盾にして止めなければ、対戦車砲弾は百貨店の壁をぶち破り、近隣の建物を滅茶苦茶にしていただろう。
 マナを探す光学レンズが、ストマッカーに肩を抱えられたマナの姿を捉える。
『正義の味方は大変だな。一人よりも、その他大勢を優先しなきゃならねえもんな』
 マナとストマッカーの背後で、窓一枚分程度の空間がゆったり歪む。別の場所への捻じ曲がった通用口だ。
「それが正義の味方ってものでしょ」
『俺はなりたかないね!』
「自分から砲弾に飛び込んで行くなんて滅茶苦茶」かっこいいじゃない、とマナは隣に座るT4-2の手を握る。思わぬ行為だったのか、男の手がびくりと震えた。
『マナさん!』
 映像の中、すんでの所でマナの片手を掴んだT4-2が叫ぶ。
 大映しになる青褪めたマナの顔。その目がうっすらと開き、唇が彼の名の形に幽かに動く。
「折り畳まれ隣接した別々の空間の境界線に物体を置き、そのまま勢いよく空間を元に戻したらどうなるのか」
 電影から女二人と、彼の右肩から先が消失した。
「こうなるのですね」
 真っ赤な液体が虚空に迸り……。
 そこで映像が固まり、さながら部屋の壁に血糊がべったり張り付いているようにも見える。
「美徳回路ではあなたを守る事はできなかった。この甚だしい矛盾に、私の感情回路が不具合をきたしてしまいました」
 それでいつも以上に意地悪だったり支配的だったり、くよくよしたりなわけ、とマナは一人納得する。
「あなたは私の脆弱性です」
 隣に座るT4-2はマナの視線から逃れるように、顔を前に向けたままだ。とはいえ広い視野はマナの姿をしっかり捉えているのだろう。
「脆弱性って、あたしの事」やらしい意味かと思った、とマナ。「随分な言い様じゃない。女衒の方がまだマシ」
 不満をぶつけられても、T4-2は吐いた言葉を訂正する事も、まして謝る事さえもない。
「で、続きは」
 マナは血飛沫まみれの壁を指差す。
「以降は私が酸鼻極まる醜態を晒すだけの映像となりますが、それを敢えてご覧になりたいのですか」
「いいでしょ、あたしがゲロゲロ吐いてるところを大勢が見たんだし。あたしだってあんたのみっともない姿見なきゃ」フェアじゃないね、とマナは隣に座る映像監督に言う。
「公正と言われると抗えません」
 映像が再開し、凍りついていたものが溶けるがごとく、空中で固まっていた真っ赤なオイルが百貨店の床に滴る。
『解体ショーの始まりだぜ、ロボット野郎』
 アンドロイドと言っていただけた方が嬉しく思います、などと無駄口はたたかず、ロボット警官は地面の一蹴りで男に肉薄する。
 狙い澄ました飛び蹴りはヴァトー・プリーツの胸に吸い込まれるように命中し……いや、本当に吸い込まれている。
 T4-2は俊敏に飛び退り、ヴァトー・プリーツと間合いを取る。
 赤い流線が白い床に後退した軌跡を描く。
『右足』ヴァトー・プリーツの指差す先を映すかのように傾く視界。
 倒れかけた軀を支えるのは左手と、片膝ついた左脚。
 投げ出された右脚の膝から下は消失し、断面からは夥しい量の機械油が漏れていた。まるでポンプで送り出されているかのように、断続的に噴き出す赤い液体。
 嗚呼、というT4-2の幽かな嘆きの息遣いが音響から漏れ聞こえる。
『しかし、なるほど、これでわかりました』
 T4-2は片脚で器用に立ち上がり、続ける。
『直接私に作用しない力なら、あなたの反応速度よりも素早く動けばいいだけの事です』
『出来ればの話だぜ。片手片脚でな』
 輝く隕鉄。次から次へ、十重二十重、大小問わず折り曲げられる空間。
 機敏な跳躍と回転に揺れ動く映像。
 T4-2はヴァトー・プリーツの視線を捕捉し、次の動きを読み、曲げられた空間に飛び込む寸前で思いもよらぬ方向に避けてみせる。
『出来ていますよ。片手片脚でも』
 着地点に罠を張られようが、踵からのジェット噴射による二段跳躍にかかれば無駄な事。
 規則性のない機械的で精密な動きは、直接見ていたならばさぞ優雅なものであったろうとマナは思う。
『もう少しハンデを増やしても構いませんよ。次は富士山頂辺りにでも飛ばしてみては?』
 楽しげにさえ聞こえる合成音声。見せつけるように、片脚の膂力のみでの空中一回転で相手の技を避ける。
『出来るならの話ですが』
 屈曲させた肘から鋭く飛び出す白いナイフ。しかしそれは刹那たち消える。
『どうだ!』挑発に易々と乗った男の勝ち誇った声。
『鼻血』T4-2がヴァトー・プリーツの顔を指差す。
 男は慌てた様子で鼻の付け根を指で押さえる。それでも盛大に滴る血液。
『やばい、過労死する』
 途端に青褪める顔。
『口車に乗せられるからそういう事になるんすよぉ』どうせほんとに富士山にやったんでしょ、と心底呆れたようにムスクテールが言う。
「このように、あまりにも遠方と空間を繋ぐと疲弊するようです。あなたが質量が大きく強固な金属を動かそうとする時と同様に。そしてあの男、動体視力は良いようですが、動く物なら反射的に何でも見境なく力を放つ習性のようですね。あれではまるで飢えたカマキリかカエルです」
「自分を実験台にするのやめなよ」
 マナもまた、心底呆れた声を出す。
「私を使うのが一番人道的な方法です」
『あなた方は何故、ご自身の能力を悪事に使わせるような者に与するのですか』
 攻撃の手の止んだタイミングでT4-2が問う。