こんな日もいつか来るのではと思っていたが、それがまさか今日とは、とマナは頭を抱える。
時刻は昼休み直前。
工員たちは仕事そっちのけで窓から外を見るか、ラジオの放送に釘付け。勤務時間内だというのに街頭テレビまで走る者さえいる。
ラジオから流れてくる情報によると、こうだ。
大型建築重機が暴走し、作業に従事していた建設中のマンションを破壊。ロボット刑事と彼の駆る巨大ロボットが出撃し対処に当たっているとの事。
行かないと駄目かなあ、とマナは独り言ちる。
日々の食い扶持を稼ぐだけで精一杯のしがない労働者に、仕事よりも正義を重んじろと言うのは酷ではないか。
「そういう所があの鉄屑はわからんのよ。絶対行かない」
窓から見える遠近感の掴めない黒い巨体は警戒色の重機のクレーンに横殴りにされて吹っ飛ぶ。巨体は電車通りを越え、変な体勢で住宅密集地に倒れた。
美徳回路の奴隷は公共物を壊さないように立ち回ってしまう。そしてそれ故に滅法弱い。
蟹鋏を思わせる双腕のついた重機は四つ脚で道路の舗装を掻きながらT1-0に迫る。
次なる戦場は住宅地……目算正しければマナの自宅近くである。これは、なかなか良いような悪いような。良い状況にしてやるには、美徳回路の働きだけでは難業であろう。
行かないと駄目だろうな、とマナは三角巾と前掛けを毟り取り、工場から走り出た。
職場から休み休み走って十五分。坂を登って住宅街にさしかかり、避難する者達の流れに逆行して進む。
「あんた! どこ行くんだい!」
ミシンやらアルバムやらを満載したリヤカーをフラフラ引いていた横尾がわざわざ立ち止まってマナに怒声を浴びせる。
「雨降りそうだから洗濯物が心配で」
マナは天を仰ぐ。空模様というよりは、争う二つの巨大な機械を見る。
まだ距離は一丁ほど離れているだろうが、金属同士が打ち合う音は、それでも耳にうるさく、辺りに影を落とす。
T1-0はケーブルで重機のクレーンを極めるが、その拘束の中でクレーンは多段伸展してT1-0を打ちのめす。
マナは操縦席で「嗚呼」と呻吟するT4-2を想像する。そしてちょっとときめく。打ちのめされる彼を思うと昂るのだ。汎用亜人型自律特殊人形を使って変態行為に及びたくなる。この戦いが終わった後にはT4-2を自宅に連れ込み——
「馬鹿言ってんじゃないよ、踏み潰されるよ!」
避難中の住民が横尾に向けて、こんな人ほっといて、さっさと逃げた方がいいよ、と言い残して荷物を引き引き走り去る。
素性もはっきりしない、口も見てくれも悪い行き遅れは近所の厄介者。気にかける必要などないのだ。
「あたしの事はどうでもいいでしょ。それより、よく見てな。物真似機械のいい所」
マナはリヤカーの後ろを足蹴にして勢いをつけてやり、横尾を行かせる。
戦いの中心地に近づけば、当たり前だが人っ子一人いない。活気のない空き地、人の気配のしない家、商店、妙に静かな横尾の家。
真上で響く重たい音。身体が浮きそうになる地響き。
T1-0が空き地に片膝ついて身を屈めて盾を展開し、重機の猛攻を防ぐ。
マナに差し出される艶消しされた漆黒の手。それはダークフェンダーから奪い取ったジェット搭載の右腕だった。市街地では銃火器よりも使いやすいだろうし、なによりジェットパンチは見栄えがいい。
マナはT1-0の物となった手に身を任せ、操縦席に降りる。
「お仕事中に出動とはご苦労様ね、保安官さん」
「幸いにしてこれも仕事とみなされますので、お手当はいただけます」
展開した盾を生贄に防戦一方な割に、鷹揚な様子の男。マナが来るのは見越していたとでもいうかの如く。
T4-2に代わって前座席に腰掛けるマナ。その腰に回る平和と自由のかかった双腕。隙間なく密着する互いの身体。金属なのに、T4-2はいつも清廉な香りがする。
「直列式神経接続」
背後の男が宣言すると、マナの肉体と精神は一瞬にしてT1-0とT4-2の物。
目の前の四足歩行の重機は黄色と黒のツートンカラー。クレーン状の二つの腕の先には蟹の鉗脚状の巨大な把持装置。
本来の仕事に従事している分には、ちょこちょこ動く浜辺の生き物めいているが、こうして相対して刃を向けられると酷く獰猛な捕食者に見える。
T1-0の盾に喰らい付いている把持装置は、鋼鉄板を捻り、紙でも破ろうとでもしているかのような動き。
ミシミシと音を立ててひしゃげてゆく特殊合金。
「うそでしょ!」
持続的な握力はダークフェンダーを凌ぐのではないだろうか。勿論T1-0さえも。
「ESM鋼鉄は剪断に弱いのです」
「センダン? なに?」
とにかくやめさせようと、マナは右腕でクレーンを掴んで捻り上げようとするが、びくともしない。
「その名に恥じぬ膂力ですね」
黒と黄色の斜めストライプの腕に刺青のように記された名はHeracles。その背に負う社名は置菱重工。
「盾は放棄します」
T4-2は身の丈を覆い隠せる程の方形盾を自切。蟹鋏から解放されたT1-0は重機と間合いを取る。曲がりくねって坂の多い住宅街の道路は、後ずさるのさえ一苦労。
しかし重機はT1-0には興味を示さず、その巨大な盾に夢中。盾は蟹鋏でビリビリに破かれ、切り裂かれる。
「なるほど」T4-2が呟く。「どうやら大きい物から壊す特性のようです」
T4-2はT1-0にケーブルを射出させる。重機の両腕に蛇のように巻き付くケーブル。
「電車通りに戻りましょう。避難も終わったようですから、広々戦えます」
近くにT1-0より大きいものがなければ、矛先——矛でなくカニばさみだが——を建物や公共物ではなくこちらに向けてくるという寸法だろう。
「あれ、人乗ってる?」
「いいえ」
「ジェットパンチできる?」
「できます」
「じゃ、ここでやろう」
目下、一番大きく目立つのは自分達だけ。
「致しかねます」
民家や店などの存在が気にかかるのだろう。
「一撃でやればいいだけ」
マナは左腕を引き、蟹重機を引き寄せる。そしてケーブルを振り解く。
「いけません」
焦りを含む合成音声はとても心地よい。
マナは気分よく磁力を開放した。
空を覆っていた雲はいつの間にか散り、真昼の太陽とマナの力がT1-0を煌めかせる。
重機の動きが磔になったように止まる。まるで蛇に睨まれた蛙。
「長くはもたないよ。こうなったらやるしかないし、これはチャンス。新しい腕の見せどころ」
『騎兵隊突撃!』
いたく紳士的な声でマナが叫ぶ。
T4-2の制御下でT1-0の右腕が火を噴く。ジェットパンチで王手の前触れ。
眼下に小さく見える自宅の前ではためく洗濯物。T4-2のブレザーについた茶色い飲み物の染みは綺麗に取れたようだった。
「スカッとするわね」
「今回のあなたの戦いぶりは評価に値しません」
珍しく突き放すような言葉。声色も平坦も平坦、ラジオ越しのニュース音声の様に、冷たくすらある。前照灯の光には真剣な怒りの色合いすら感じる。
広い空き地には、マナの磁力によって動きを止められ、T4-2が放ったジェットパンチで内燃機関に大穴を開けられた蟹重機が無残に横たわっていた。
自動帰巣状態になったT1-0が重機を抱えて飛び立つ。虹を超え、彼がどこへ帰るのかマナは知らない。
「ここまで悪い人だとは思いませんでした」
微笑もどこか非難と呆れを湛えているように見える。
「勝ったし、まだ二回目なんだからこんなもんでしょ」
マナはVサインを振る。一方のT4-2は人差し指一本を立てる。
「一度目よりも酷いものでした。気分良く制圧する為ならば、市井の住民の生活など、どうでもいいとお考えですか」
マナは舌打ちしてT4-2に背を向ける。
「どちらへ。まだ話は終わっておりません」
「仕事だよ! あたしは手当がつくようなあんたと違う、しがない労働者なんだから!」
ロボット警官の事など振り返りもせず、マナは力いっぱい駆け出した。