洗濯日和 - 5/9

 待つというのは性に合わない。
 マナは温かい雫を纏った身体で、濡れたうねる髪を振り乱したままに、タオル一枚でT4-2の部屋に乗り込む。
 部屋の主は明かりもつけず、月明かりと自身の高機能の視覚だけを頼りに、窓辺で己の機関銃を展開し手入れしているようだった。それはどことなく儀式的で神聖な行いに見える。
「なんとも勇ましい事です。布切れ一枚、身一つで」
 腕の一振りで機関銃を格納した男が振り向く。
「騒々しい柄物」「パイソン柄」「の部屋着」「ガウン」「着てる人にどうこう言われたくない」
「似合いませんか?」男は全身鏡越しにマナを見ながら浴衣のような前合わせを人差し指でなぞる。数日前にも見たお決まりの所作。「あなたにはどうでもいい事ですね。それよりも、身体が冷えますよ」
 T4-2は巨大な洋服箪笥を開け、中を漁る。
「あっためてくれたらいいじゃない」
 マナは無造作に腕を広げ、濡れたタオルを床に落とす。冴えわたる月光に照らされる野生の動物めいた健康的な裸体。
 女の挑発的な物言いと仕草に、鋼鉄の男は鎧のようにがっちりした肩をすくめる。
「そういう言動はくれぐれも、私以外にはなさいませんよう」
 ふんわりとした上等なバスタオルがマナの身を包む。
「尻軽と思われるから? それとも妬けるから?」
 よく洗浄され、乾燥させられたタオルはとても心地よい。趣味の良い香り付きの石鹸の芳香がマナの嗅覚を慰め、長く柔らかな毛足は身に着いた雫をくまなく吸い取る。
「そのどちらもです」
 T4-2の部屋を見回せば、ちょっとした花束やら鉢植えやらが整然と置かれている。この界隈の住民の、“心尽くしの返礼品”というやつだろう。
 路を歩けば花やら食べ物やらを供えられ拝まれる汎用亜人型自律特殊人形の姿が目に浮かぶ。まるで道祖神ではないか。
 花より団子の内藤家の面々にとって、文字通り花束など歯牙にもかからず、そのすべてがT4-2の部屋行きになったのに違いない。その他は彼らの貪欲な胃袋の中。
「あんたは人気者ね」馥郁たる花の香り。トップスターの楽屋はきっとこんな感じだろう。「贈り物が沢山」
 T4-2が花の一輪を優雅に引き抜き、それでマナの身体の線をなぞる。その高級な布地の様な肌触りがマナを悦ばせる。
 深紅のそれはマナの臍から薄い腹をゆっくり撫で上げ、豊満な胸とその先端をなぞる。そして首飾りを這い、鎖骨の間で宝石の様に咲く。
「私が得た物は、すべて、余すところなく、あなたの得た物」
 花は首筋を辿り、接吻するようにマナの唇にあてがわれる。花弁越しに触れるT4-2の唇。
「私もまた、余すところなくあなたの物」接吻したまま熱っぽく囁くT4-2。
 その声に、マナの身が震える。悪寒にも似た悦びの収縮。唇が離れ、足元に落ちる薔薇。
「寒いのでしょう。濡れた髪はきちんと拭かなければいけません」
「ドライヤーあったらいいのに。次は電気屋の前で大立ち回りをしよう」テレビも欲しいな、と胸算用は荒唐無稽に弾む。
「悪い人ですね。それくらいなら、私が電気屋さんのご主人か奥方と同衾して物品を強請る方が平和でしょう」
「たちの悪い冗談」
 私は冗談は言わないのですが、とぼやきながらマナの髪に指を伸ばすT4-2。
「あるいは私をお使いになるか。髪は多少傷むかもしれませんが、代用にならない事はないでしょう」
 マナの耳元で水分が蒸かされる、じゅう、という音。横顔を掠める熱い湯気。
 うねりが消えて真っ直ぐに伸びた髪がマナの目の前に一房垂れる。
 美しいといつも心中賛嘆する、薫のような艶やかな直毛。
「うそでしょ」
「はい、ほんの一時のまやかしに過ぎません」
 T4-2の高熱を帯びた人差し指と中指が蟹のハサミのようにカチカチ打ち合わされる。
「まやかしでもひやかしでもあやかしでも構わない。できるんならやって」
 マナは導かれるまま素直にT4-2の膝に腰掛ける。硬いのに座り心地は悪くない。まるで鋼の玉座。
 次々と、指で挟まれ、伸ばされては乾いてゆく、本人の気質の様に癖の強いマナの黒髪。
 仕上がりはしなやかで、やわらかい。遊ぶ事なくすとんと重力に引かれる髪を摘み、マナは呟く。
「すごいね。ドライヤーっていうよりはアイロン」
「正確に言うと私はアイロンというより鋼鉄ですが」ただの鉄より強靭ですよ、と両手の人差し指をぴんと立てる汎用亜人型自律特殊人形。
 極めて平和的に己を用いようとする鋼鉄の機械。
 圧倒的な武力のための機能が優れれば優れるほど、攻撃性能などおまけのようなもの。
 汎用の名も伊達ではない。
「巻き毛にもできそう。今度アキに教えてやるわ、あんたの使い方」
 T4-2は膝の上のマナを引き寄せ、滑らかな肩に顔を乗せ、耳元で囁く。
「あなた方姉妹に共有されてしまうのですね、私は」
 妙な色を含んでいそうな言葉に喋り方。
 マナの首飾りを這う指先はすでに人肌の温かさ。冷却機能も実に優れているようだ。
「そうした状況があなたのお好みなら、構いませんよ」
「変態洗濯機」
「今日は冷蔵庫ではないのですか」
「変態家電製品」
「必需品という事ですね」
 否定はできない。マナは口をへの字に結ぶ。
「私自身を好いてはいただけなくても、その機能を重用していただけるのは悦ばしい事です……」
 マナの背に金属の手が這い、床に横たえられる。さらりと散らばる黒髪。
 その身にかかる巨影。
 優しい指が慈しむように女の輪郭や身体の線をなぞる。
「内藤マナさん、私の心尽くしの返礼をいたします」
 影の中、マナの顔を照らす月の光のような双眸。
「お金くれるの、お大尽さん」物質主義者の女は宣う。
「あなたに見合う程の金銭など、私は到底持ち合わせておりませんから」
 肉感的に蠢く指が、自身の纏う部屋着の帯をゆっくりと解く。マナの顔の横にとろりと落とされる帯は、柄も相まってまるで蛇のよう。
 T4-2の両手が怠惰に垂れたガウンの合わせを摘んでなぞり下ろす。その動きの淫靡な事といったらない。
 布の狭間にちらつく鋼鉄の肌。薄暗がりに妖しく照る。
「今日の所は、これで」蠱惑的に細められる目。
 自分の軀が礼になると思うだなんて、なんという自信、なんという驕心。
「自惚れ屋」
「否定はしません」淫らな含み笑い。
 T4-2の指が床に散らばるマナの髪を弄う。その手の動きに、マナは髪の毛の一本一本の先まで神経が通っているかのように感じてしまい、身を捩る。
 黒髪が鈍色の指からさらりと流れ落ちる。
「大陸の大河のように滔々と流れる髪も素敵ですが、私は蛇行する急峻な河川のような、指に絡みついてくる髪も好きです」
 頬が熱くなる。その愛の言葉のせいではなく、髪を掬う指が時折耳や首筋を掠めて、その気なく触れては去ってゆくもどかしい快感のせいで。
「ん……つまり……どういう事」
 マナは熱っぽい吐息を漏らして聞き返す。精密機械の言葉はマナには迂遠すぎる。
「言いかえると」朱の差す熱っぽい頬を包む金属の手。夜空に滲むような二つの月光。「あなたが好き」
「それ歌の歌詞でしょ。ほんと口先ばっかり」言葉と裏腹にT4-2の掌にすり寄せられる頬。「あたしは誰かに好かれる程、上等じゃないよ」
「つまり、酒場で声をかけられたのは、単なる数合わせだとお考えという事ですか」
 マナの頬を撫でていたT4-2の親指が彼女の唇に宛がわれ、それを薄く開く。誘うように開かれた桜色の花弁のような唇。そこから覗く整然とした白い歯。奥で怯える様に震える赤い舌。漏れ出る温かくか細い吐息。
 T4-2の双眸は爛々と赫き、手中の獲物を見るような淫らな喜悦の視線が刺す様にマナに注がれる。
「実際そうでしょ」
 こういう流れになると、目の前の機械はまるで制御を失ったようになる。マナは緊張と期待に生唾を飲み込む。喉が蠕動する。そのごく自然な動きすら、彼女に眷恋ご執心の機械を昂らせるとは露程も知らない。
「実に嘆かわしいです。あなたはもう少し自惚れた方がいいでしょう」
 目付きとは裏腹に諭すような平坦で柔らかな声色。しかしそれもすぐに狂気に満ちる。
「愁いを帯びたあなたはまるで誘蛾灯。どうせ誘うならばその穢れた粉塗れの翅を焼灼して、醜く肥えた害虫を駆除してくださったらいいのに。私の核周りの配線を溶融させたように」
 唇をなぞっていた指がその中に忍び込む。
 深い接吻の舌の代わりとでもいうように、マナの歯列や舌、上顎を這う指。
「はあ? う、んっ、ひゃ……ぇ」
 逃げる舌が追われ、執拗に絡み取られ、扱かれる。舌を指の腹で押すようになぞられると性感が高まる。飲食物、とりわけ酒に敏感で官能の発達した口内は、性器同様に敏感だ。
 鼓動の様にどくどくと脈打つマナの股間。直に触られるのとは違う、内から湧き上がって腰を震わせる快楽。知らず知らず内腿を擦り寄せ快感を追ってしまっている。
「はへぁ、あ……はぁ、んあっ、やああ……」
 舌を抑えられているせいで飲み込めない唾液が唇の端から垂れる。
「あなたと情を交わし、その蠱惑的な唇を吸いながら果てたいと希う者がどれ程いるでしょうね」それこそ星の数程では、と男。零れた甘い唾液を掬うようにマナの細い顎を微笑がなぞり、唇の端で止まる。
「はぁっ……そんなのっ、あんた……くらいのもんでしょ」
「私の感覚はごく一般的です」きょとんと首を傾げる汎用亜人型自律特殊人形。「ですからこの世の人間の九割九分五厘はそう思うはずでしょう」
 規格外も外だよ! と叫びたかったが、その舌に乗ったのは怒声ではなく泡立つ液体。
 滔々と流されるアルコールがマナの舌と喉を焼く。
「んっ、かぷ、あ……、はあぅ……」
 酒屋から贈られたのであろうビールがT4-2の指を伝い、少しずつマナの口と喉を潤す。まるで彼自身の唾液のように感じられて、愉悦に腰が揺れる。
「善いですか?」
 マナの顔の横に落とされる瓶ビールの王冠。六芒星の描かれたそれは、彼女の御用達。
「んん……ぬるい……」
「ビールは冷たい方がお好みですね」覚えておきます、と瓶を引き上げるT4-2。
「あー、待って……待って、飲む、酒ならなんでも飲むってば……」
 T4-2の指に纏いつく酒を舐めつくさんと、マナの舌が自ずと絡まる。その身さえ酒と男を求めて、ガウンを掴み、縋りつく。ヒドロキシを求めゆるくうねる、蟒蛇ヒドラじみた妖艶で堕落した女の裸体。
「嗚呼、はしたない……! しかし、大変善いですよ。淫らで、蕩けるようです」
 面白がるように自身の手の甲に酒の雫を落とし、マナの口内に注ぐ機械。
 マナの舌が甲殻類めいた指を淫蕩に這い、ちろちろと酒を嘗める。
 呑んでいるのか、呑まれているのか、酒にも行為にも酔っているマナには分からない。
 ただ心地よく出来上がりかけている性器を金属の腹部に擦り付ける。淫らに膨らんだその先端からは、とろりと先走りが滴り、T4-2の肌をいやらしく彩る。
「いけませんね、私ばかり愉しんでいるようになってしまって。あなたが酔うと私も酩酊に似た、とりのぼせた感覚を覚えて……もしや神経接続の影響がまだ残っているのでしょうか。まさか、そんな」
 はあ、と深い溜息をついて、T4-2は機械仕掛のむくつけき軀を慰めるように撫で下ろし、ガウンを肌蹴させる。肩からずり落ち、肘のあたりで辛うじて引っ掛かっているだけの、蛇柄のそれ。脱皮の途上のようで、見てはいけない物のような、背徳的な官能美がある。
「恥ずかしげもなく、よくそんな格好するね」
 美徳も倫理規定も何もあったものではない蠱惑的なその姿にマナは昂る。
「感情が発達しているが故に、状況に酔い果てるという事もあるでしょう。これから行う事も、酔った上での過ちです」