君を生き存えさせるためのAtoZ

旧都モルペドオロの、いまは昔の物語。

 迷い込んだ蝶がいた。
 艶かしく揺らめく青い鱗翅が天窓から降り注ぐ光を浴びて彩に煌めき、六つの瞳にも見える模様が蠱惑的に波打つ。
 六眸神の化身と思えば敬虔な心持ちになる。しかし魂のない身でのそうした気持ちなどさして意味あるものではない。
 硝子の器で人為的に造られた魂を持たぬ偽りの命のなす事は、肉の器から生まれた真の生命の行いほどの価値はない。魂のない虚な身が呈する行為は所詮人の真似事に過ぎない。
 しかし魂を持たぬ事こそが偽りの命の唯一にして最上の価値でもある。魂なきがゆえに神に近しく、生贄や降神の憑代に適しているのだ。そして魂のない血肉は別の魂のない血肉へと再組成できる。
 眸門の教会によって造られる命は、いわば消耗品だった。使命を果たして機能を停止した肉体は原初の不定形の有機体に戻され、硝子の蛹の中で攪拌されてまた新たな命の素材となる。
 まるで芋虫が蛹になり、その中で分解、再構成され蝶に変容メタモルフォシスするように。
 彷徨う蝶は遊ぶように広間を飛び回り、子供達が差し伸べた手に止まる。屈託のない笑みを浮かべ、彼らは蝶の翅を無造作に掴む。
 嗚呼、あの蝶は無垢なる残虐に「やめなっさあああい!」耳の奥まで痺れる大声に茫洋とした思考は一瞬にして轢断される。
 いつもこうだ。夫の声はその上背と同じくらいに大きく、そして前触れもなく張り上げられる。
 やはり我が夫には——ズイノビアは思った——生来とは異なる精神が宿っている。
 バシリス公の精神は変容した。
 初めて相見えた時には表面上社交的かつ穏やかではあるが、その瞳の奥底深くでは陰鬱な何かが燻る気配がひしひしと感じられた。
 そんな彼を、燃える水のような人だ、と称したのはバシリス公の乳兄弟のレックス卿だった。
 それなのに実際に共に暮らすとまったくの正反対な気質で戸惑うばかりだった。
 一度目の求婚の際にはズイノビアに対する偏狂のような感情が伺えたのに、夫婦となってからは興味関心というものが色褪せたように感じられた。公から引き継いだ慈善事業についても、それ以外の余暇についても完全に放任されている。何をすればいいのかと問えば、何か打ち込める趣味を持ってはどうかと提案してくるだけだ。
 妻であるズイノビアにはそうして一線を引いた態度であるのに対して、しかしそれ以外の物事には大抵熱心に真摯に介入する。
 現に今もバシリス公は大広間から逃げ去ろうとする子供達の後ろ襟を掴んで生き物を甚振るのをやめるよう諭している。おそらく元の彼ならば子供らのなすがままにしていたのではなかろうか。
「脳まで毒が回ったのかもしれない」共に成長してきた朋友の明らかな異変に気付かぬわけもなく、先ごろレックス卿はズイノビアの前でそう吐露した。「私がもう少し早く処置をしていれば……」
 バシリス公は教会騎士であるレックス卿と共に邪竜と果敢に戦い、そして見事討ち果たした。そして竜の生贄となるべく造られたズイノビアはその任を免れた。
 しかしその代償にバシリス公は邪竜の穢れた血を一身に浴びて猛毒に冒され、身体の末端から腐り果て死を待つほかにない憂き目に晒された。
 バシリス公は腐敗が肉体の中枢に辿り着く前に自分の手脚を切断するようレックス卿に依頼した。しかし瀕死の乳兄弟を前に狼狽えるばかりのレックス卿はなかなか刃物にその手を伸ばさなかった。
 代わって覚悟を決めたのはズイノビアだった。生まれた時より課されてきた生贄としての役目を突如奪われた彼女は兄と慕うレックス卿の苦しみを肩代わりする事によすがを見出しかけていた。
 しかしズイノビアが岩場に突き立てられたバシリス公の剣に手を伸ばしかけたその瞬間、意識を手放す寸前だったはずの公は目を剥いてレックス卿を面罵した。
「てめえぇえぇがやるんだよおお! このウスノロがっッ!」
 思えばこの時には既に精神が変容していたのではなかろうか。竜の棲家に至る前に求婚された時には、まだその目に陰鬱で邪な影が宿っていた。しかしそれ以降、彼の眼差しにそうした湿った偏執的な色はない。濁りなく真っ直ぐで、慈愛の豊かな煌めきがあった。そしてズイノビアを見る時にはどこか哀しげな影がそこに加わる。
 失った手脚の代わりの真鍮の四肢を眸門の教会より贈られたバシリス公は再びズイノビアに求婚した。
「折角この世に生を受け、生贄として命を捧げる必要もなくなった。君にはこれからの生を自由に豊かに全うして欲しい。このまま教会に戻ってはそれも叶わないだろう。だから形だけ私と結婚して教会の軛から解放されてはどうだろうか」しかし結婚したくないと言うのならば、何か別の方法を考えよう、とバシリス公は不安げな顔をするズイノビアを安心させるように微笑んだのだった。
 結婚したくないというわけではなかった。ただ、そういう風に選択肢を与えられた経験がなく、困惑しただけだ。できれば彼の意向に沿いたかった。どういうわけか。
 結婚してもバシリス公は必要以上に妻に触れるような事はしなかった。勿論肌を重ねた事もない。まさか本当に求婚の際の言葉通りにズイノビアを教会から連れ出すためだけに主神の前で結婚を誓ったのだろうか。その心境は理解に苦しむ。
 日々がどこか空虚だった。
 邪竜の生贄となるためだけに生きてきた。その鋭い顎門に噛み砕かれる最中にも祝詞を寿げるように、痛みに耐える研鑽を積んだ。
 魂が芽生えないよう、世間一般の欲望からは隔離され、兄弟姉妹と語る事も禁じられていた。
 そんな教会の厳格かつ苛烈な戒律も、暴虐めいた研鑽も遠のき、空虚は日を追うごとに膨張する。それは生まれ持った使命を果たせなかったせいだろう。そうズイノビアは思っていた。まるで翅を捥がれて打ち捨てれた蝶だと。
 ズイノビアの目の前を暴虐の兆しから逃れた蝶がよぎる。その翅の斑模様と目が合った気がした。
「彼らはまだ何もしておりませんよ」
 思いのほか強く後ろ襟を引かれている子供を解放してやろうとズイノビアは咄嗟に真鍮の腕に手を伸ばすが、触れる寸前で我に戻って手を引いた。
 自らバシリス公に触れるのは婚姻の儀を執り行った日以来だと気付いたのだ。あまり他人に触れる事には慣れていない。
「しかしどうにも先回りしたくなる」間違いが起こる前に、とバシリス公。
 間違いならもう既に起こっている。邪竜を斃し、その生贄になるためだけに造られた偽りの命と神の前で結婚を誓った事だ。そう言いたいが、あまり他人との会話に慣れていないために一言目を色々と考え込んでしまう。
「大声で驚かせてしまったようだな、申し訳ない」妻の沈黙をそう受け取ったのか、はにかんだバシリス公は少し俯いてズイノビアから視線を逸らした。
 公はもはや混じり気のない彼自身ではないのだ。
 水盤に浮かぶ葉で翅を休める蝶を見る優しげな目でそれを確信した。
 眸門の教会により禁呪として封じられた古代の換装術がある。それは彼方の門より途方もなく先にある試験地に住まう魂なき者の精神とこちらの人間の精神を入れ替える術である。術者の魂と引き換えに成就する高度な魔術だが、かつて双生児の魔導師がそれぞれの魂の半分を用いて成功させたという記述を教会図書館で見た事があった。おそらく公もその術中にあるのだろう。
 そうなれば外法を用いた不届者も、縁もゆかりもない精神を宿した夫も異端審問官の手に引き渡さねばならない。
 そこまで思考を弄してやっと彼女は気付いた。
 バシリス公を、夫を愛していると。
 彼を異端審問にかけ神の手に命運を委ねたくなどなかった。そういう執着と独占欲に満ちた後ろ暗い愛だ。
 欲望が芽生えたから魂の片鱗が宿ったのか、あるいはその逆か。ズイノビアには知りようもないが、どちらにせよそれは自身の存在の危機である。作られた肉体は魂に寛容ではない。拒否反応を起こして原始の不定形な溶液に戻る。そして魂の染み付いた物質に再利用の価値はない。
 生贄という役目も、新たな命となり役立つ可能性も無くして、足元の崩れゆくような覚束ない感覚に急襲される。道具として造られたこの身が無用な物になるなど考えた事すらなかった。
 それだけならまだしも、ズイノビアは僭上な事に果たして二人のバシリス公に愛着を抱いていた。
 邪竜を討つ前の陰鬱な影のある美しさをもつ彼と、四肢を失って尚慈悲に満ちた輝きのある美しさをもつ彼を。
 禁呪を解きかつての彼を取り戻し、その偏狂的な愛に呑み込まれたくもある。しかし今の彼の包み込むような慈愛の対象になりたくもあった。
 ズイノビアの精神が物質であるならば千々に乱れて引き裂かれ、枯れ果てているところだ。
 そして彼女は決めた。
 身を苛むような感情に懊悩するよりも、その苦悩の源を当初の予定通り異端審問官に捧げるのだ。
 教会の戒律に従う事、それがおそらく自分に許された唯一の生きる意味である。
 そして愛する者を失えば魂がこの身に根付く事はないだろう。

 その日ズイノビアはバシリス公の執務室を訪れた。仕事中であるにも関わらずバシリス公は快く妻を迎え入れた。
 南向きの窓から差す光を背に負う偉丈夫は怖しいまでに神々しくズイノビアは思わず目を細めた。眩しいならカーテン閉めよっか? と問う、そのかんばせのなんと美しい事だろう。魂の容れ物としてこんなに完璧な器はあるまい。
 そんな姿を見ると問い詰めようという決心が鈍る。彼の魂に憑いた精神はひどく崇高だ。
 そんな甘えた気持ちを抑えつけズイノビアが口火を切ろうとするその前に、バシリス公が口を開く。
「先に言っておくが、私は禁呪で精神が換装されたわけではない」
 面食らったズイノビアの疑問が喉を駆け上るより先にバシリス公は続ける。
「どうして禁呪の使用を疑った事を知っているのか、と君は問いたいのだろう。始まりから終わりまですべて話そう。それで納得できなかったとしても、異端審問に突き出すのだけはやめて欲しい。君もレックス卿も幸せな結末にはならない。それに拷問死は一番辛い。実際のところ。生きながら肉体が腐るよりも」
 身振りで勧められるままズイノビアは長椅子に腰掛ける。目の前の卓には広間にあった水盤が置かれていた。あの蝶が浮かぶ葉の上から口吻を水面に伸ばしている。どうやらそこに定住する事にしたらしい。
「最初の死の際に行った六眸神との取り引きにより、私は落命する度にあの邪竜の心臓を貫いた瞬間に回帰できるようになった」
 男の言は俄かには信じがたかった。精神に連続性があるのならば、こうまで行動様式が違うのは何故なのか。
「ではあなたは、バシリス公爵エイルマ=ストラトスその人である事に変わりはないとおっしゃるのですね」
「何が私を私たらしめるかというと、その家名や名そのものではないのだが……いや、君が私をその名で呼ぶ事こそが私の存在を確かにするのか……そうだな、そうだ……」
 難解な物言いにズイノビアが眉を微かに顰めている事に気づいてか、その男はおざなりに言い直す。
「つまり、まあ、私は、そうだ、バシリス公爵エイルマ=ストラトス」
「それにしては」「性格が違いすぎると?」
 言葉を遮られ、その上思った事と寸分違わぬ台詞を返されたズイノビアはいささか気分を害して黙り込む。そうなる事も織り込み済みか、バシリス公は澱みなく謝意を示す。
「すまない。こうなってから先回りする悪癖が染み付いてしまった。無礼を許して欲しい」
 ズイノビアは黙って頷き謝罪を受け入れ先を促す。許さないわけがないという事も彼は既に知っているのだろうか。
「何度もやり直すうちに私の精神に経験だけが積み重なって、周りとの齟齬が生じるようになってしまったようだ。それで性格が変わったように見えるだけだ」
「何度もですか」
「三度ほど。尽力至らずにどれもあまり満足行く結果にはならなかった」そう言うバシリス公の惻隠に満ちた表情から察するに、実際はずっと途方もない回数の試行を繰り返したのではないかと思われた。ズイノビアの胸が不思議に痛む。
「しかしこれがおそらく最後になるだろう。私の魂は摩耗して、もはや残るは欠片ほど。今生において死すれば契約通り遂にこの魂は丸ごと神の真鍮の御手に委ねられる。かの機械の神、六眸神の物となるのだ」
「そして魂を失ったあなたは死後も約束の地に至る事はできない」ただ無に帰するのだ。ズイノビアと同じように。そう思うと何故か妙な心持ちになった。
「死んだ後の事などどうでもいい。ただ、先にも言ったように君が幸せに生きてくれたら、それだけで私は報われる」
 まだ老齢には遠いはずのバシリス公の表情はどことなく疲れたような、老成された諦観の膜が張っていた。ズイノビアの空虚が増す。
「どうしてわたくしの事をそのように気に掛けてくださるのです」
「私はかつて、激烈な偏愛から君に歪んだ魂を植え付けて殺してしまった。そして酷く後悔した。私の勝手で君を永遠にこの世から切り離してしまった事」
「魂のない偽りの命を消滅させた、その贖罪のためだけに何度も死んでは腐敗の苦しみからやり直していると」
 そうだ、とバシリス公は深く頷く。「取り返しのつかない間違いを正したい」
 間違い、とズイノビアは俯き呟く。
「わたくしを愛した事」殆ど吐息のような声を絞り出す。
 再びバシリス公は頷く。「私が愛していい存在ではない」
 つまり愛するに値しないという事か。身の空虚が極まり言葉が前のめりに逸る。
「わたくしはあなたを愛しております」
「私を愛するより自分を愛して欲しい。何か楽しんで打ち込めるものを探すべきだ。趣味や仕事、くだらない事、何でも」
 ズイノビアは相手の言葉が終わらぬうちに彼の胸に飛び込む。その衝撃にもバシリス公はびくとも揺らがない。真鍮の腕が妻の背に回される事もない。
「それは間違った選択だ」
「わたくしの行いを間違いと断じるのはおやめになって」
 存外強い声と思念籠った視線にバシリス公の身体が震撼し、遅ればせながら金属の腕が胸の内の妻を引き剥がしにかかる。
 しかしズイノビアが一言、古の言語による呪文を囁けば真鍮の機構は糸が解けるように分たれ床に散らばる。
 ズイノビアの腕の中で支えを失ったバシリス公が重みを増す。抱えられると思ったが、大の男の胴体は四肢がなくとも彼女には重すぎた。互いに折り重なり、床に投げ出される身体。
「こんな事ができるとは。まったく最後の最後に」
 ズイノビアは自嘲めいた笑いを浮かべるバシリス公を組み敷き見下ろす。
「あなたが真鍮の四肢を用いて人の道に背く行いをした場合に唱えるようにと教会から授けられた呪文です」
「人の道に背いた覚えはないが」
「ええ、人の道に背いたのはわたくしです」私欲のために古の言葉を用いてしまった。
 ズイノビアの身体の下で男の胴体が不自由に身動ぐ。
 しなやかで堂々たる四肢を操るバシリス公も美しくはある。しかしそれを失い地に這うしかないいたわしい姿はそれ以上に美しい。いや、仄暗く淫靡だ。
 ズイノビアは夫の唇に指を這わせる。形よく引き締まって、滑らかで、人間が唇を用いて愛を伝えたくなる気持ちがよく分かる。
「あなたが地に臥したことで、やっと唇を重ね合わせる事ができます」
「やめてくれ……」バシリス公は唯一自由になる顔を背けきつく瞑目する。「私と交わればまたきっと歪んだ魂が芽吹く。頼む、これが最後の機会なんだ」
 公の哀願などズイノビアには身勝手はものとしか思えなかった。生贄になるためだけに造られたこの身を勝手に救い、その上人並みに生きろだなどと。それも、一等愛する者への気持ちを捨てて。
「わたくしはあなたを愛しております。それによってわたくしが消滅するというのなら本望です。共に無になりましょう」
 ズイノビアは手を伸ばし、バシリス公の服を取り去りにかかる。脱がせるというよりは、荒々しく引き裂き剥き取る。
「毎度手を替え品を替え、どうしてそう刹那的で破滅願望が強いんだ」
「他のわたくしが何をしたかは知りませんが、どうしてそうしたのかはわかります。それは、すでにわたくしには歪んだ魂の片鱗が宿っているからです」
 ズイノビアはやっと理解した。いつも感じていた空虚な気持ちの正体である。
 熱病に冒されたように求められたあの刹那の瞬間が恋しいのだ。暗く激しく邪な視線への渇望。あれ程までに血が沸き立ち心が躍った事はない。
 生贄として造られた命の幸せは、おそらく暗く求められる事。それが邪竜からであろうが、人からであろうが。そして人から求められる事で不完全な魂が結実するのだろう。
 レックス卿のためとかこつけて、愛しい者の手脚を奪ってしまいたかった。逆性具有特有の惨めな欲望をより累ねて、自分にだけ向けさせるために。
「あなたはわたくしに激烈な偏愛を抱いたとおっしゃった。あなたの精神に連続性があるのなら、それは今も心の奥底にあるはずです。であればそれを鮮烈に浮かび上がらせるまで。そしてあなたに尋常ならざるほど狂おしく求められる」
 ズイノビアは慄く唇に己の唇を重ねた。
「それがわたくしの幸せです」

 蠢く研鑽の賜物たる肉体、浮いては鎮まる血潮の通り路、時に引き攣れる生白い肌……。
 首筋から臍まで、完璧に鍛え上げられた雄々しい隆起がひしめいているが、臍から下に行くとそれは徐々になだらかに、なめらかにうつろい、その優美な曲線が収束する陰には女の証だけがあった。男らしさの極北を誇示しているような肉体であるにも関わらず、その身に宿るは受容し命を育むための器だとは。その一つの身体に相反した性質が妙なる配分で混ざり合う、逆性具有の肉体のなんと神々しくも崇高な事だろう。
 かつて神代の世において、両性具有たる掠奪者の帝王にして女帝は逆性具有へ変容した六眸神を慈しんだ。そしてかの神と、かの神が寵愛する世のために身命を擲ったという。ズイノビアにもその行動が今なら理解できる。
 露わになったバシリス公の肉体は思った通り美しかった。六眸神が矮小な人間に与えたもうた真なる美である。
「蛆も同然だ」己の肌身を撫でる視線の気力を削ごうとでもしているのか、バシリス公はそう吐き捨てる。「愛好するようなものではない」
 そう自身を卑しく称する彼の無駄な努力が可愛らしくも愛おしい。四肢を失い、あとは小娘の胸先三寸に命運を委ねるしかない身の上が大層哀れで淫らだ。
 ズイノビアは嘆息して公の肌に掌を乗せる。温かく、滑らかだ。そして情動の汗にしっとりと濡れていた。
「もっと美しいものを愛でる方がいい。蝶とか……」
 この男は、己の美しさを何だと思っているのか。その辺の蝶や花や自然の何もかもの軍勢が寄ってたかっても、その気高く淫らな美しさには敵うまい。さながら彼は神の現し身だ。
「そんな風に笑うのか。君は」
 公の言葉でやっと、自分が嗤っていると気付いた。
「何度もやり直して尚、初めて知る事がおありになるのですね」
 では、これは、とズイノビアはバシリス公の素肌を愛撫し、劣情に歪んだ唇で問う。
「わたくしとこうして愛し合った事は」
 バシリス公は唇を固く閉じたまま何も答えない。接吻を落としてもそれが開かれる事はない。それでもズイノビアは絶えずそれを啄んで、そして指を緻密に肌に這わせる。
 一刀両断に落とされた四肢の断端に形成された皮膚はつるりと滑らかで、かつてはその先に緻密な神経が、強固な骨が、脈動する血管が、しなやかな肉が息づいていたなどとは信じられないほどだ。ズイノビアはその片腕を取ってその先端に恭しく口付け、舌を這わせた。
「は、ぁっ……」
 バシリス公は可哀想なくらい震えて、引き結んだ唇をうっすらほどいて幽けき悲鳴を溢す。
 堂々と張り出した胸に手を這わせると、その動きがいやましに早まる。そして喘ぎに揺れる喉。
 力強く隆起する腹の筋を一つ一つ入念に辿り、指先はその先のなだらかな道を下る。ある一つの目的地を目指して。
「あ、やめ……て、くれ、頼む……」
 その身は抵抗に揺れるがズイノビアを突き放すには至らない。
「やめ、ろ……」
 しかし小癪な抵抗は続き、この期に及んでバシリス公は内股をぴたりと閉じ合わせる。いかな欠けたる肉塊とはいえ男の膂力には太刀打ちできない。
 仕方なしにズイノビアは辿った道をまたじっとりと撫であげる。ぞくぞくとバシリス公の腰が、身体が震えるが、未だ堅固な戒めは解けず。しかしそんな事はどうでもよかった。性急に秘所を暴くよりも、その肉体自体を弄ぶ方が愉しめる。
「想い出してくださいませ、初めて邂逅した時の心の変遷。逆性具有ゆえの惨めな定め。両性具有を求めて、愛されて、一つになりたいと……」
 筋張った首筋を舐め耳元に唇を寄せて吐息で囁いて、指先が辿り着いたその箇所を甘く押し潰す。守りようもない、女の器を。
「ここにわたくしの欲をぶつけられたいと……」
「ぅ……ッ」
 霧を潜ったかのように一瞬にして公の肌に珠の汗が浮かぶ。
「女の子にしてさしあげる。あなたを、わたくしの」
 滑らかな皮膚と硬い肉越しに子宮を刺激し、性感を確固たるものとする。弾力ある臓物を捉えた指を浅く、時に深く抜き差しし、揺らす。
「弱々しくて、尊いあなたの大事な部分、たっぷり可愛がらせてくださいませね」
「は、ぁッ、やめ、ぇっ」
 肉の苦悶に睫毛は濡れて、悶える肉体。寄せられた眉根も、薄く開いて拒絶を訴える唇も、甘美な苦痛に彩られて艶めく。端正に整った顔に色が宿っていやましに麗しい。
 子宮を甚振りながら、くすぐるような触るか触らないかの塩梅で脇腹やら胸の先端やらを指先で刺激すると、面白いほどに巨躯が震えて身も世もない喘ぎ声があがる。
「ああッ、ひ、っぃ、くぁ、あああーッ!」
 腹に埋められたズイノビアの指を中心にバシリス公の胴が蠢く。腰がうねり、羽ばたくように肩が反り、淫らに踊る。本人にその気はないのだろうが、蠱惑し誘っているようにしか見えない。
 この妙なる肢体の何もかもが自分の手の内で思うままだと考えると心臓を突き破りそうなほどの愉悦がある。嗜虐心と、それを上回る愛おしさ。それがズイノビアの神経を駆け抜けて欲望に沸いた血潮を腰に送り出す。これが性的な昂揚かと、やっとその身で理解する。おかしなもので、女の見てくれだというのに沸るのは男の欲望だ。おそらくバシリス公の逆性具有の肉体に惑わされたせいだ。この焦燥にも似た衝動を解消するには……と、思いを馳せたその時。
「あ、ぅあっ、だめだっ、も、ぉ……ッ」
 一際強く男の体躯が震え、次いで弛緩する。張り詰めた筋肉がゆるりと蕩けて、後はひくりひくりと弱々しく痙攣する。腹を刺し貫かれた今際の際の虫のようで惨めな淫靡さが尚一層ズイノビアの官能を掻き立てる。
「だめ、ではなさそうな、発情しきって蕩けたご様子なのに」
 うっすらと朱に染まった肌は官能の極まった色合い。
「あ……っ、あぁ、あ……」
 バシリス公の眦から涙が、喉からは低い呻吟が溢れる。果てて花開くように緩んだ肉体はすべての抵抗を失ってズイノビアの前に饗される。貞操帯のごとく堅牢に閉じられていた大腿は怠惰に地に沈み、女の手でも簡単に開かれてしまう。果てに追いやられて未だ敏感な内腿がぶるりと震え、されるがままに柔らかく動く。
 暴かれ真昼間の光に晒された陰なる場所にズイノビアは息を呑んだ。
 初々しくぴたりと閉じ合わさり、それでも果てに誘われた際の愉悦によって生み出された蜜が溢れて淫靡に照る。絶頂の余韻にひくりひくりと愛らしく震え、とろりと溢れる愛液。
 これに己を突き立て激しく蹂躙する事こそが空虚な身の内で燻る火種を鎮めるただ一つの方法だとズイノビアは本能的に理解した。
 引きちぎるように自らの衣服の下の輪骨を外し、裾を捲り上げて腰を晒す。ズイノビアの雄は完全に兆して太く硬く屹立していた。初めての事だった。このように卑しい愛と官能から性刺激を得て勃起するのは。
 バシリス公はびくりと震え、眼を見開く。青い虹彩の中で針の先のように収縮する瞳孔。
「あぁ……それは、それ以上は……」
 肉悦に溺れた男は目に映る妻の雄々しい怒張と、それを用いてこれから起こるであろう暴虐に怯えてか、不自由な身体を蠕動させてなんとか逃れようとする。半ばで途切れた四肢が床を虚しく掻く。
「それ以上とは、なんですの」
「君の、それ、で、私の、中……を、暴くのは……」
 弱々しく加虐の気配に怯える様はズイノビアをひどく昂揚させる。
「中まで暴かなければよいのですか?」
 ズイノビアは両手で公の内腿を大きく広げ、焦れて仕方のない性器を湿った秘部へ擦り付けた。はらりと開花し密着してくる彼の中心。
「では、ずっとこうしていましょうか。どちらかが果てるまで」
「ひッ、ぅ、っは、いッ、ぁー……やめ……」
 公の吐息も腰も震えて、しかし浅ましく波打つようなその動きは拒絶というよりは悦んでいるように見えた。時折一際鋭くびくりと震えるのは、おそらく隆々と漲る太棹で淫裂の始点、快感の源を擦り潰されて神経が弾かれるせいだろう。
「ここ、お好きなの?」
 ぱちり、と指先で淫核を軽く弾けば「が、ぁッ!?」獣じみた絶叫に跳ね上がる胴体。
「やめろっ、頼むからっ……」
 哀願など踏み躙り、ズイノビアはバシリス公の陰唇を割り開き、露出させた急所を肉棒で何度も打ち据える。
「ん゛、ぉ゛ッ、ほ、ぇ゛っう、ぎ……ぅ」
 その度に、肉のみっちりと詰まった重たい胴はきりきりと仰け反り、短い四肢は暴れ、瞳はぐるりと回って眼裏に消えかかる。おそらく都度絶頂に打ち上げられているのだろう。
「あ゛ッ、んォ゛ッ、オ゛っ、おぉお゛ッッ——」
 こうなるともはや厭も応もなく、ただ濁った声と唾液を漏らしながらきつく痙攣するだけだ。
 見知った馴染みある反応だった。
 頭に刺された鉄針に雷電を通され震撼し暴れる実験素体に似た動きだった。彼、あるいは彼女は死しても尚、雷霆に貫かれる度に身体中の肉という肉を収縮させ、拘束具を引き千切らんばかりだった。そして、厭な臭いがした。
 性感も極まるとそうした反応に似通うのだろうか。しかし匂いだけは似ても似つかず、バシリス公から漂うのは芳醇な雌の香りだ。
 男根になるはずだった場所を、妻の雄々しく精力漲る男根で苛まれ、究極の惨めな肉悦を浴びせられて拷問されているかのような反応を呈する欠損した男を見ていると、どうにもどうにも琴線が鷲掴みにされる。もっと酷い狼藉を行いたくて仕方がない。未踏の路を荒らし、貪り、穢したい。
 バシリス公の中を陰茎で暴くその前に彼の淫らな肉体をじとりと睥睨する。純潔である最期の瞬間を目に焼き付けるために。
「ふー……ッ、ん、ふ……、はぁ……ッ、ぁ、へ、くふ、ぅ……ん」
 とろとろととめどなく溢れる涙と、閉じる力を失った唇の端から垂れる涎。瞳孔は散大して、心はそこにないかのように見える。そして暴虐に荒らされすべての力を手放し地に沈む肉体。
「バシリス公、エイルマ……エイ、わたくしを受け入れてほしいのです、魂のない虚なこの身を」
 相手は激しく頭を振る。しかし腰は上向いて征圧を望んでいるかのようだ。
「はぁっ、は……ッ、嗚呼、ズィー……ほし、い……」瞬間、誘うように蕩けていた目に理性の光が刹那回帰する。「ああ、ああ……だめ、だ、それだけは……っ!」
 拒絶と熱望を行き来する精神と肉体の、その痴態にズイノビアの理性はもはや潰える。
「この期に及んでそのような事」
 言葉だけで拒絶する男の腰を持ち上げて、ズイノビアは蕩けて崩れたそこに熱杭を捩じ込む。
「ん゛、や、め゛ッ、ぇ——ッ!」
 さしたる抵抗はなかった。それどころか充血しきって程よく弾力満ちたる彼の中はズイノビアを歓待しているようにしか感じられない。鬩ぎ合う肉は蕩けて、奥からとめどなく溢れてくる愛液。
 肌が触れ合い、ズイノビアのすべてが呑み込まれる。柔らかく受け入れられて、欲するように吸いつかれる。
「嗚呼、これが……今世においても両性具有と逆性具有が惹かれ合う意味がやっと……」こうして互いに慰め合うためなのだろう。
 全身が愉悦に震える。
 果たして例えようもない法悦。
 肌を重ね、熱を分け合う事の多幸感。
 引き抜こうとすれば追い縋り、奥を目指せば慄く。なんと不埒な使い心地であろうか。この自然な媚態。熟れた官能。たまらなく淫猥だ。
「初めてですか」ズイノビアは腰を熱心に動かし夫のすべてを堪能しながら問う。「このように冒涜されるのは」
「あ゛ぅっ、う、あぁッ゛、っん」
 答えらしき言葉はないが、滴る粘質の愛液にはうっすらと血潮の色が混ざり込んでいるのが答えだろう。
「初めてなのですね」
 身体は初々しい反応を返してくるが、その目の奥は淫奔に蕩けて、精神は数え切れない程の陵辱を受け、そしてそれに慣れて染まってしまった事が見てとれた。
「ですが、ああ……初々しいのは身体だけ。わたくしはこれまでのあなたの精神を過ったすべてのわたくしに嫉妬します」
 腰の律動に怒りにも似た情を乗せて、愛液湧き出る膣奥を苛め抜く。最奥、胎の入り口は未だ硬く閉じられているが、肉の鋒で突く度に物欲しそうに絡み付いてくる。
「あなたの今生の精神をわたくしが支配できたらどれだけ幸福な事でしょう」
 乱れ堕ちた意味のない喘ぎしか放っていなかったバシリス公の唇が、何か意図を持って開閉する。
「なんとおっしゃりたいの」
 泣きそうな顔のバシリス公は腹の力だけで半身を持ち上げ、ズイノビアの耳元に唇を寄せる。
「も、うっ……している……私は途方もなく」支配されている。ズイノビアの耳に流れ込む想い人の言葉と吐息。
「身体など奪わなくとも……しかし……ああ、構わない、いいんだ、もう……欲しくて、君が……」
 夫は妻の唇に自身のそれを重ねて啄む。やっと互いに通じ合う接吻が実って、支配するだけでは満たされる事のなかったズイノビアの空虚が埋まってゆく。
 ズイノビアは我を忘れたかのように必死に夫に口付けて、中に舌を差し入れる。積極的な妻の接吻は彼を尚のこと絆して神経を鋭敏に掻き立てたようだ。
「んぅ……っ、は、ぁ」
 接吻の合間に漏れる彼の吐息と声はひどく甘い。完全に欲情し、肉悦の奔流に流され、心身を妻に任せ切っていた。
 舌同士を絡ませて唾液を混ぜ合わせながらズイノビアは夫を掻き抱き激しく腰を打ちつける。
「お゛ッ、くぅッ、んっ、い、ぃ……ッ」
 媚肉が纏いつき、先を強請る。内腿が甘えるようにズイノビアの脇腹を撫でて欲を煽り立てる。ズイノビアは捧げ上げられた夫の下半身にすべての重みを乗せて、胎の入口を擦り潰すように亀頭を押し付ける。
「あ゛ぁあ゛っ、あっ、ぅ、あぁーッ」
 悲鳴にも似た嬌声と共に柔らかな蜜道が引き締まる。絶頂の色濃い余韻に喘ぎ声は引き延ばされて熱狂満ちる室内の空気を震わせながら溶ける。
 胸を突き出しひどく切ない顔で果てる夫の姿の艶やかで色香溢れる事といったらない。もっと善がらせて蕩けさせ肉欲に溺れさせたいとズイノビアは熱望する。
「あなたの中、もっと暴いて、もっとおかしくしてしまいたい。きれいなあなたの事、もっと淫らに……」
 口付けしながら奥を刺激し、自身の先端から溢れる欲の前触れを塗りつける。絆された蜜口が弛み、肉の楔を奥へと誘う。誘いに乗せられ、ズイノビアは夫の腰に腕を回し、よりきつく、より熱っぽく密着する。そして数度浅く強く腰を打ちつける。
「お゛ッ、ん゛ぁッ、ォ」
 奥を責められる度に沸き上がる欲の悲鳴。低い声が色に塗れた妙なる響きはズイノビアの性感を打つ。
 ズイノビアはより一層夫に強く抱きついて愛を囁きながら奥を目指す。
「ん゛——ッ!?」
 そこへは思ったよりも容易にゆるりと分け入り怒張のくびれがしかと壺首に嵌まり込む。底抜けに心地よい締め付けが肉竿を搾る。神経が暴れて目が眩み、思わず気をやりそうになる程だった。自分らしからぬ淫らに濡れた吐息が漏れた。
「ああ、あなたの一番大事な所、初々しくて、神秘的な……わたくしを受け入れてくださいましたのね」
 ズイノビアは歓喜のままに腰を小刻みに揺らす。夫の蜜口は張り出した亀頭に引き摺られ柔軟に捩れ、その弾力満ちた感触がまた怒張に絶頂への火種を蓄積させる。
 バシリス公の場合は過ぎたる快感が身にのしかかるのか、身体は小刻みに震えて仰反る動きで逃れるように床を迫り上がる。
「ふぅっ、は、ぁ……あぁー……っ、だめ……っ、それで、動かれたらっ、おかしく……」
「なっていただきたいの、おかしく」
 夫の泣き言になど耳もくれず、ズイノビアは彼の腰を両手で押さえつけて勢いよく腰を引く。
「ぐッ、ぉ」
 低い愉悦の叫びは子宮口から肉槍の鋒が外れた証だ。亀頭を強く絞られる快感に流されそうになりながらも、ズイノビアは間髪入れず再び強く腰を入れる。
「かは、あッ゛」
 再び蜜壺の中に屹立の先端が潜り込む。吸い付かれるような通り心地もまたひどく神経を昂らせてズイノビアの理性を砕く。
 快感を追ってズイノビアは腰を振りたくり、夫の最奥に狼藉を働く。
 忙しなく破られては抜かれる子宮口。敏感な部分をこそげ落とすように内臓への抜き差しを繰り返す。
「はッ……か、ひぉ゛ッ、ん゛……っ、はぉッ、ぉ゛——」
 仰け反り撓んだ夫の背はなかなか元に戻らずに刺激の強さを物語る。苦痛なのかと思いきや、しかしその苦悶の表情には蕩けた艶がある。肉悦を逃すために開かれた唇からは吐息を漏らす度に舌先が暴れてズイノビアを誘う。
「痛みではなく悦びをお感じになられるのね」
 そうとわかれば尚更遠慮も気遣いもなくなり、理性さえもかなぐり捨てて、ただ自らの快楽を追うのみ。それによって相手も頗る肉悦を覚えるのであれば。
 絶頂の瞬間を追い、脳が締め付けられるような焦燥を身に受けながらズイノビアは無我夢中に夫を犯し、口付ける。腰の打ち付けに合わせて舌を吸い、唾液を混ぜ合わせ、唇の交合を愉しむ。
「ん゛む゛ッ、ぇ゛……ッ、ふ、ぅ、んっ、ズィ……あ、ふっ、……ッ」
 口付けの狭間に溢れる嬌声。それだけが自らと相手を分つものだ。それ以外は、汗も、吐息も、肌も、血肉も、すべて混じり合いどちらがどちらのものか判然としない。
「あっ、あ、あぁッ、お゛、ぅっ、い゛ッ、ぃあ゛——」
 泣き声のような切羽詰まった喘ぎが弾けて、途切れた短い四肢が必死にしがみついてくる。絶頂の嘆きに男の身が引き締まり、女の臓物がズイノビアの雄を同じ頂に導く。
 ズイノビアは溜め込んでいた息を一つ吐き出し一際腰を深く沈めて埒を明けた。今まで味わった事のない、そして今後一生経験する事などないであろうほどの快楽の奔流が押し寄せ、己という物を流し去る。そのあまりにも短い瞬間に永遠すら感じた。
 蜜口を穿ったまま直に流し込まれた精液が明け渡された胎底を攫うように白染めしてゆくのがわかる。求めたものを物にして征服欲が満たされる。それでもまだ残る煩わしい射精感に、ズイノビアは夫の下腹に腰を押し付け二度、三度と欲を打ち込む。白濁が放たれる脈動に合わせて、組み敷いた四肢の欠けたる裸体は鋭く慄き、しかし注ぎ込まれる欲を深く堪能するかのような濡れた艶やかな啼き声が響く。
「お゛ッ、お゛ぉ゛——ッッ、はふっ、ん゛、あ゛ぅっ、ほぉ゛……っん」
「射精にすら官能を刺激されるのですね。もっともっと、あなたの果てを……」
 両性具有の妻は逆性具有の夫を再び優しく抱きしめて、次の果てに向けて肌を擦り合わせた。

「魂こそ忌むべきもの」
 熱狂的な行為の果て、横たわり抱きしめた腕の中でのバシリス公の呟き。
「そうだろう? これで君は歪んだ魂を得て死んでしまうのだ」
 ズイノビアの頬に温かな雫が触れて、半身を起こせば涙にくれる夫の顔。
「後悔していらっしゃるのですか。やはりこれは間違いだったと」
 地を踏みしめる足もなく、差し伸べる手もなく、ただ妻に寄りかかるしかない男は首を横に振る。
「後悔はしているが、間違いではないのかもしれない。間違っていたのは、私の目指したものだ。君を健やかに長生きさせるなど、君の気持ちも鑑みずに利己的だった。穏やかに愛し愛される事こそ私が真に渇望した事。末長く君が側にいて、私も同じく君の側に」
 もしや、それは、とズイノビアは震える声で問う。
「あなたもわたくしを愛してくださっているのですか」
「だから魂を捨てて戻ってきた」
 ズイノビアの全身がぶるりと震えた。爪先から髪の毛の先一本一本まで感情の昂りが染み渡る。
 それは同胞と愛を見つけた歓喜なのだった。魂のない身は孤独であったが、同じく魂を失い虚になりかけた者がいる。命の終焉の後に行き着く先は約束の地などではなく、同じく無。そして彼は自分を愛していると言う。
「何度も君に逢った。いつも違う形で君の精神に触れる。その度に想いは深まる」
「わたくしは二人のあなたを愛しました。どちらも同じあなたでよかったと思っています」
「しかし君は無為に死んでしまう。再利用にも値せず、歪んだ魂では死しても約束の地に受け入れられる事はないと、君ではない君はかつてそう言った」
 ズイノビアは床に散らばる夫の四肢をかき集め、丁寧に元あるべき場所に戻してゆく。
「無為などでは決して。別の精神を宿した別人として作り替えられるよりは、あなたを愛した私として滅びたいのです。今となっては、ええ」
 だからもう少しこのままで、と呟くズイノビアの身体を真鍮の腕が包み込んだ。夫の途切れた神経から伝達される物質が古の魔術に置き換わり、真鍮に含まれる隕鉄が熱く振動する。
「愛している、ズィー」
 穏やかで、凪いだ接吻がズイノビアの唇に落とされる。親愛と惜別の意が深く美しく込められていた。
 こうしてズイノビアは永遠にバシリス公のものとなった。バシリス公もまた同じくズイノビアのもの。
「あなたはわたくしに翅を授けた。魂という」
 ズイノビアはゆっくりと目を閉じ、定めに身を任せた。

 バシリス公が保護した蝶は水盤の浮草に卵を産みつけて、子らと共に静かに余生を過ごした。
 無事に孵った二匹の幼体はつつがなく蛹となり、羽化し、一羽はそのまま水盤に暮らし、もう一羽は広い世界へ飛翔した。
 幾巡かの夜と昼、安寧と衰退の通り過ぎた後、瓦解した天井から降り注ぐ柔らかな光と樹木に侵された宮殿を二羽の蝶がゆらり、はらりと飛ぶ。
 陽光の中、触れ合って、抱き合って、遊ぶように……。
 旧都モルペドオロの、いまは昔の物語。

君を生き存えさせるためのAtoZ めでたしめでたし