——of the day - 3/5

「あたし客取ってた事あるけどいい? あ、調べたけど病気はないから」
「いい、とは……?」
「金貰ってセックスしてた。しかも違法な性産業ってやつ。そういう人間とでも大丈夫か聞いてんの」
 服の裾がぎゅうと掴まれる。見ればマスターは唇を噛んで肯首していた。
「昔は関係なくて、ただ私はあなたと一つになりたいだけなんです。必要ならお金を払います」
 投げかけられる視線は真摯だ。商売女を買うというよりか、買い戻す決意を秘めたような風情がある。
「商売のつもりないから金はいらないよ。貰えるほど上手くもないし。両方付いてるってのだけがセールスポイント。あとは」
 ミルはTシャツを無造作に脱ぎ捨て下着一枚の上裸を晒してその場でゆっくりターンする。腹や腰の辺りを中心として、先は背中と胸の谷間まで伸びる幾多の傷跡。まだちょっとだけ生々しく桃色に隆起している。
「傷あるけど、いいかな」
 最後にこっちを聞く辺り、自分でも結構気にしている。
 マスターは眩しそうに目を細めて、おずおずと手を伸ばして触れる寸前で夢から醒めたようにびくりと震えて引っ込める。
「触っていいよ」
「でも」「なに」「無理です」「あそ」
 じゃあ服着たままするか、とミルがシャツを拾い上げるとマスターは慌てて弁解を始めた。そのままミルが服を着て立ち去るとでも思ったのだろうか。
「違うんです、嫌だからではなく、その逆で……」
 阿るような、叱られた子供が不安げにする時のような上目遣いと視線がかち合う。自分が悪いような気がしてくるので、ミルとしてはそういう顔をして欲しくはない。
「本人がいいって言ってるんだから触りなよ」
 ミルはマスターの手を掴み半ば無理矢理に己の脇腹に導く。
 息の詰まる音がして、生身に奔る縫合線に触れる熱。ミルが手を離してもマスターの指は吸い付いたままで、その熱は傷痕を辿った。
 壊れ物に触るかのような、崇拝するかのような、気遣いと官能が混じって色濃くなった奇妙な触れ方だった。そんな風に触られた事はなく、ミルの方が困惑するほど。得体の知れない怖気が背筋を駆け抜けた。
 今ならわかるが、それは官能的な快感だった。
「嫌じゃない?」
「嫌じゃないです」
 嫌ではないという次元の表情と触り方ではなかったように思えた。むしろ……。
「そか、こういうの好きなんだ。よかった」
「いえ、そうじゃないです、私は……」
 ミルは言い淀んで俯いたマスターの頬を両手で包み自分の方を向かせた。
「じゃ、さっさと始めようか。夜営業までに終わらせよ」
 え、え、と往生際悪い悲鳴にも似た声が下から聞こえた。ここまでお互い晒しておいて、はいこれにて解散となるわけがないだろうよ、とミル。
「好き同士なのに、なんか問題ある?」
「どうし?」
 ミルは子供のようにこっくり頷く。「うん」
「ああ、そうなんですか……そう……」
 穏やかに細められた目が潤み、マスターの全身に張り詰めていた緊張が和らいで身体がソファに沈む。ミルはそこへ覆い被さり唇を軽く重ねる。単なる浅い口付けなのにマスターは感電したように打ち震えた。
「ミルさん、すきです。ずっと前から」
 唇が離れるか離れないかのうちに吐息と共にミルの耳に届く告白。視線を外しているのは羞恥からなのだろうが、しかしあらぬ方に流された瞳のせいで表情は悩ましげに艶めいて見える。
「ずっと前ねえ」
 ミルがここにやって来たのはほんの半年程前の事だ。マスターにとっては慣用句のようなもので、そういう気持ちになった相手なら誰にでもそう言っているのだろう。
 目を伏せてこくこく頷く奇麗な顔に唆られてミルはマスターの唇を深く深く吸う。舌を捕らえて弄び、整然と居並ぶ歯列や熱っぽい頬の内側を舌でなぞる。
 口内を撫で回す度にソファに沈んでいる男の腰がびくりと可愛らしく震えて浮き上がる。
 案外と肉厚でむっちりとした曲線を描く胸板に浮かぶ細かな珠の汗。褐色の肌が淫らに照る。掌を乗せて撫で下ろしていけば、しなやかな筋肉のついた身体が緩やかにうねって深く熱い吐息が漏れる。
 服越しに見ると長身痩躯に見えるが、一枚剥いてしまえば水泳選手のような肉付きの随分見事な肢体だ。
 腰の稜線に指を沿わせて下腹部までの自然な流れを味わい、マスターが一人で弄んでいたそこに触れる。羞恥心からか狭まってくる大腿。
「脚広げといて」
「はい……」
 しかし従順なもので、言えばおずおずとではあるが両足をソファの座面に乗せて、手で内腿を押さえて自ら中心を晒す。
 褐色の滑らかな下腹の薄い下生えに縁取られ、セピアの間接照明に照らされてしっとり照り輝く肉裂。自涜に耽ったばかりで惚けたままのそこは婀娜に拓かれて蜜を垂らす。
 ミル自身にも備わった器官だが、自分のものはここまで淫らに息づいてはいない。やる気なく凝っている。なのに目の前の男ときたら、まったくどういうわけなのか。どれだけよく使い込んでいるのか。
 ミルは生唾を飲み込んだ。音が聞こえてしまったかもしれない。
「あまり見ないでください……」
 恥ずかしそうにしている割に自らあんまりにも大胆で淫らな格好を晒している。こういうポーズでそういう事よくしてるんだろうなあ、とミルは奇妙な気持ちになる。一度そう思ってしまうとマスターの何もかもが淫奔に見えてくるのだから不思議だ。
 脚の間のぬかるみに中指を埋めると熟した果実が潰れて弾けるような音をたてて蜜が溢れる。あとは先ほど中に流し込まれた飲料。
「あ、ぁ、うぁ……」
 マスターの顔も肢体も強張って、内部はミルの指を強く喰む。喰むというよりは食いちぎらんばかりのきつい締め付けだ。無理に動かせば痛むだろう。
 秘所に埋めた指は動かさず親指で陰裂の始まりにある陰核をゆるく刺激すると湧き立つ潤いがやにわに増えて、神経質な締め付けが緩んでくる。
 同時に輪郭や首筋に軽く唇を当てて音を立てたり、内腿をふんわり撫でたりの淡い刺激を与えていくと、氷が溶けるように身体が和らぐ。
 浅く指を動かすと白く霞んだ色の飲料と混ざった愛液が黒い革張りのソファに垂れて皺に溜まる。とても淫らな情景。終わったら掃除だな、なんて思うのはほんの一瞬。マスターのその先をもっと見たくなる。
 はあ、と押し出される男の低い吐息が熱っぽく響く。
「すごく、丁寧……ですね」
「そーかな」
「ん……はい……」
 何事よらず大雑把なミルに対して丁寧だなんて驚きであった。今までどれだけ乱雑に扱われてきたのやら。少しは相手を選んだ方がいい。
「もうあんまり変なもの入れちゃだめだよ。なんか、それ用じゃないモノとか、あたし以外とか」
 そう言ってからミルは自分でも驚いた。これではまるで恋人か何かだ。束縛っぽくて嫌だろうなと一瞬吐いた言葉を後悔したが、ちらっと見た相手の顔は相変わらず緩んで、綻んで、真っ赤だった。
「あの、それは、つまり、これからもあなたとこうして……」淫らな行為ができるのか、と聞きたいのだろう。
「うん」ミルはおざなりに頷く。「そう、そゆこと」
「それは……、あぅ、う、嬉し、です……」
 マスターの中に埋めた指が断続的な甘い締め付けを受ける。悦びと媚びがいい塩梅で混じり合った感触を自らの性器に受ける所を思うと堪らないものがあった。こんな甘ったるい歓待を受けたら歯止めが効かないかもしれない。さっき隠れている間に一回抜いておけばよかったとさえ思う。
 動く余地の生まれた内部で指を軽く折り曲げ、潤んだ肉襞を指の腹で撫でるとマスターは呆気なく果てた。
「あ、そこ、っあ、ァ……」
 眉根が寄って瞑目し、弓形に反ったしなやかな身体が震えて膣内が極まる。登り詰めたそこは刹那ミルの指を強く噛み締め味わい、後快楽にひくひくと収縮を繰り返す。
 ミルはゆっくり指を引き抜きマスターの上から身を退く。
「あ、だめ、最後まで……」
「でももうマスター終わった感じになったじゃん」
 ぎゅうと抱き寄せられてミルは覆いかぶさるようにマスターの上に倒れ込む。耳元に寄せられた唇から発せられる誘惑。
「して、下さい、今日こそ。本当に好きなんです。なら……いいんですよね」
 ミルの身体で陰になった顔は過ぎ去った快感に緩んでいるが眼差しは鋭く真剣で、拒めば逆に襲い掛かってきそうな、追い詰められた手負いの獣の色香があった。
「私はまだ、できますから。あなたと肌を重ねたいんです」
 彼の二本の指が彼自身を広げる。淫らな血肉がミルを誘惑してくる。先程は手負いの獣と思ったが、いかな獣も自らの肉体を捕食者の前に投げ出したりはしないだろうに。
「そんな誘い方卑怯だよ」
 ミルはベルトもパンツの金具も乱雑に緩めてマスターに挑みかかる。こんな色事に馴染んでいそうな男に手加減は必要ないだろう。
 饗された彼の中心に一息に埋められる楔。マスターの引き攣った小さな叫びが漏れて腹や内腿が痙攣する。
「ぁ……! 入って……ふぅ、う、ん、大き……こんな、奥まで……あぁあ」
 艶かしく蠢く腰。おそらく軽い絶頂を味わっているようで怒張に抱きつくように中もうねる。
「普通サイズだってば。そりゃあんな瓶に比べたら大きいだろうけど」
 それこそ過大評価だ。それとも今まで食い散らかしてきたモノが平均以下揃いだったのか。
「そっちが窮屈だからそう思うんじゃない」
 初々しく狭く、しかし拒むでもなく媚びて吸い付いてくるのだ。
「それは、よくない……?」
「いやいいよ、すごく」ひどく心地いい。よく熟れて、こちらは相手の癖も何も知らないのにすでによく馴染んでいるようにも感じられた。
 よかったあ、と溜息と一緒に溢れる安堵の声。細められた潤んだ目と緩んだ頬。堪らなくなってミルは遠慮なしに腰を動かし始めた。
 ソファに浅く座って迎え入れるように腰を上向かせた体勢のマスターを体全体を使って押し潰すように犯す。
「ァ゛っ、はあぁ、うぁ゛ッ、んぅ……」
 突き入れると苦しげに詰まり、引き抜くと甘く伸びる嬌声。中も同じような状況で入れる時には拒むように慄いて、出る時には追い縋ってくる。こうした肉体の駆け引きに慣れきっているとしか思えない。
 そんな媚態を見せられては気遣う余裕など持てない。持つ必要もない。ミルは獣欲に任せて乱暴に腰を振る。ソファを軋ませ激しく揺さぶられる褐色の肉体。途切れ途切れの蕩けた喘ぎ声。
 肌蹴た胸の前で祈るように組み合わされた手。額に垂れた髪が汗で張り付いた顔は愉悦の苦悩に歪みつつも口元にはうっすら蕩然とした笑みが浮かぶ。法悦に打たれているとはまさにこの事なのではないだろうか。
 間接照明の下、濡れて細められた瞳が妖艶に輝きミルの視界に絡みつく。
「みるくさん、っふぅ、やっと、はぁ……っ」
「名前で呼ばないでってば」
「ん、むり、おさえ、られな……みるくさんん……っ」
 眉根を寄せた顔は苦しげだが、妙に艶っぽい。
「も、何がっ、無理、だよぉ」
 ミルは舌打ちしてソファに乗り膝立ちになると男を追い詰め容赦なく腰の動きをより苛烈なものとする。名前を呼ぶ暇を奪うために。
「ぉ゛、ん゛ァッ、おォ゛」
 譫言のように名を呼んでいた清廉な声は完全に盛りのついた汚い喘ぎに取って代わる。そして興奮に汗ばんだ肌を打ち合わせる湿った音。より激しく深く密着する肌。
 元より熱い隘路にさらに熱を捻じ込む。入り得る最も奥に到達すると、ミルは腰を打ち付けるのをやめて先端を押し付けたまま擦り潰す。怒張の先端が奥に秘められた蜜壺の入り口に刺激されて快感が極まってゆく。
「ぁっ、お腹の奥……っ、焼け付くみたい、にっ、あつい、ぁ、はぁっ、あぁ、んっ」
 臍の下辺りに手を置き上半身は逃げるように身を捩りながらも、下半分はミルを求め応じるように腰を捧げてくる。
「いつもっ、あなたとこうして交わること、をぉ、想像して、一人で……でも、思ってたのと、ちが……って」
「あんまよくない?」
 マスターは首を横に振る。
「ずっと、きもちい……です」
「う……」誰にでもそう言ってるんだろう! と理性の表層ではそう思うが、単純な心の奥底では嬉しく感じない事もなくミルは芯からぐずぐず溶けていく。「まじかよぉ」
 腰を上から押し付けみっちりと楔を埋め込んだせいで溢れた愛液や飲料が尻の谷間を伝って垂れていく。褐色の肌を割って彩る濁った粘り。
「あー、エロい、ほんとに……」
 蜜壺の入り口の場所を覚えたミルは腰を浅く律動させて抜き差しで刺激した。
「お゛ぁ、っく、ふうぅ、ぁあぁ゛ーっ!」
 ねっとり熟していた喘ぎは再び絶叫じみたものになる。
 粘膜を擦り込まれる刺激で快感を受け取れるようになるにはそれなりの経験が必要なはず。拓き、検め、教え込む必要が。こうなるまでに随分な躾を受けてきたに違いない。
「ぁ、ふぅ、も、だめ、みる、さん……!」
 過ぎたる快感に彼自身の肌を掻き毟ろうとする手を捕らえ、ミルは己の背に導く。
「しがみついて、爪立てていいから」
「うぅ、ん……」
 首を横に振りつつも抗えぬ強い肉悦にマスターはミルの柔肌に必死にしがみつく。爪が食い込み、じんと熱くなる背。痛みもこんな状況下では愉悦を高めるための道具でしかない。
 揺さぶられ遊んでいた男の爪先がぎゅっと丸まって空気を握った。極まりつつある快感に全身が引き締まる。
 しなやかな粘膜に吸い付かれ、ミルの頭の中が白んでくる。射精が近い。ここまでしておいて何だがミルは理性の残った滓を集めて、彼の中では出すまいと腰を引こうとした。しかしミルの白い身体に縋りついてくる長い四肢がそうはさせてはくれない。まるで獲物を喰らう蜘蛛のようにきつく絡みついていた。
「もう出そう」だから離してという意味なのだがマスターはミルが許可を求めているとでも思ったか「い……ぃ、ですよ」と言って抱擁をより強める。
「何がいいわけ」
「大丈夫なので、ください、いっぱい……ほしいんです……」マスターの蕩けた強請り声と吐息がミルの首筋を這って耳に流れ込む。「好きなひとの……おねがいします」そして耳元に触れる唇。期待に弾む吐息。
 怖いくらいの多幸感が頭の中で弾ける。こうまで純粋に思慕の情で求められた事はない。
「なんなんだよもう……!」
 お陰でミルの理性は完璧に吹っ飛んで、どうにでもなれと深く深く堕ちてゆく。
 組み敷いているのは自分の筈なのに、マスターに取り込まれてゆく感覚。きつい快感が脳を揺らしてミルは請われるがまま欲を放った。
 怒張の根元が脈打ち、濃い白濁を濡れた肉粘膜に盛大に噴きつける。
「あっ、んぉ゛……出てっ、あぁ……ッ、あ゛ー!」
 マスターは荒い息に飲まれながら絶頂に重なる射精を深く味わっているようだった。ミルをきつく抱きしめる手脚が、内部が断続的に慄く。
 男の唇が求めるように寄せられて、ミルは思わず吸い付く。何度も浅くキスを繰り返しているとマスターの絶頂の兆候が薄れてきて、四肢の締め付けは甘えたような抱きつきに変わってくる。
 緩んだ頬に涙の跡が光っている。絶頂して肉悦に滂沱するなんて淫らすぎる。
 ミルは腰を引き埋めた自身を引き抜いてゆく。
「あぁ……だめです、行かないで、もっと……」
 怒張が抜け落ち、また清らかに閉じ合わさった秘所をわざわざ指で押し広げ、そのせいで流れ落ちるミルの欲望の穢れ。黒革のソファと褐色の肌を淫らに彩り、阿るような上目遣いがミルを再び誘う。
「ほんと卑怯、卑怯……」
 結局その日の夜営業は臨時休業になった。
 それ以降、マスターはミルに対する執着じみた感情をまったく隠さなくなって、他人の目がなく暇さえあれば情を求めてくるようになったのだった。
 ミルもマスターに対する捉え方が随分変わって、端々に淫靡さや誘うような雰囲気を感じるようになってしまった。
 例えば、ミルに話しかける時に少し身体を傾けてくる仕草に。長い睫を垂らして目を細め、笑む表情に。深くまろやかな声に、染み付いた珈琲の香りに。
 幽世から響いてくるようなその存在。

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