The Pilot - 6/6


 マナは男の腹に馬乗りになり、ネクタイを首輪のように掴んで上体を起こしてやると、その微笑に噛み付くように荒々しく接吻した。硬く動く事のない唇だが、決してマナを受け入れていないわけではなく、寧ろ貪欲であった。彼女の唇に己のそれを添わせようと一心にその動きを追っていた。まったく健気でいじらしく、マナの劣情が沸る。
「マナさん、好きで……」もっと接吻を求めるかのような感極まった掠れた声と共に、機械の腕がマナに触れたそうに動くがそれは許さない。T4-2の軀が床に張り付けられた。
「あんたの好きにはさせてやらない。さっき自分自身で咎なら受けると言ったでしょ。身から出た錆ってやつよ」
 マナはT4-2のがっしりした輪郭と微笑に手を這わせ見下ろす。その身に触れて力を放とうとする度に、T4-2の隕鉄混じりの合金外殻が共鳴し燦き、とても美しい。
「私は錆びませんし、これが咎というなら、あまりに甘美に過ぎはしませんか」T4-2の合成音声は甘ったるく蕩けている。「あなたは私を心地よく拘束して、荒々しく接吻までなさった。愉悦を覚えこそすれ、咎を受けているなどとは到底感じられません。しかしそれであなたの気が済むのであれば、どうぞ、お好きになさってください。私はあなたのための道具なのですから」
 己を道具と称する汎用亜人型自律特殊人形の双眸の光は恍惚としており、マナから道具扱いを受けるのを期待しているかのようだった。
「よく言うよ変態保安官。あたしの方があんたの道具みたいなもんじゃないの。悪徳回路呼ばわりだし。ほんとに上等なブリキ男だわ」
 マナは吐き捨てながらも、床に仰向けで横たわるT4-2の完全無欠な淫靡さに背筋を震わす。
 分厚い頑健な軀を尚も堅く閉じ込めるかのように何重にも纏った衣。まるでT4-2のために誂えられたかのようにぴたりと吸い付き一分の隙もない。肩や胸、腰回りや脚の線に優美に沿うものを身につけている姿は裸体よりも淫らに思える。
 着せたまま嬲りぬいてやるのも唆るが……。
「悪い人だから、あたしは服は破る派」それも脱ぎかけが殊更よい。
「なんですって。いけませんよ、だめです。服だけはやめてください。根に持ちますよ」今の今まで法悦に当てられたかの様にしていたT4-2が冷めた声を上げる。急激に熱が下がったかのように。「永劫に、末代まで」
「あたしが末代です」
 マナはT4-2の襟元に手をやり、ネクタイを緩めんと力任せに輪を左右に引く。
「こういった行為は、誰にでもなさるのですか」
「するけど」
 と、堂々と言う割に手元は覚束ない。シャツの襟のボタンが引きちぎれてこぼれ落ちる。
「よければお手伝いしましょうか。これはお互いのためです。私は服が破れるのは好みませんし、あなたは警備員に見つかる前に私を裸にして悪辣な事に及べます」
「うるさい」
 無理矢理引き抜いたネクタイを握りつぶしてその辺に投げる。
 そして、醜態を晒してむしゃくしゃした気持ちをぶつけるかのように、ブレザーの金ボタンに磁力をぶつける。腹立たしい程整然と輝くボタンが捩じ切れて薬莢のように床に落ちる。
「そんな、飾りボタンまで引きちぎる必要がありますか」
 T4-2が珍しく非難の色を含んだ声をあげる。
「そんな違いわかんないし」
「袖のボタンまで! あなた悪魔のような人ですね、ああ……もう」
 心からの感情の滲んだ心地の良い謗りを聞きながら次はベストとシャツに手をかける。
「自分で脱ぎますから」
 マナは唇の端だけ上げて笑う。T4-2に哀れっぽい声を出されると妙に昂る。やたらと苛めたくなる。既に随分かなりめちゃくちゃ苛めていたが。
「その手には乗らない」
「どの手ですか。私はあなたを欺くような……」マナの指が絡み、糸の引きちぎれる音。「そんな、嗚呼」
 T4-2は瞑目しているかのように瞳の明かりを失い、頭を地にもたせて呻き声を上げた。
「こんなに酷い仕打ちを受けたのは生まれて初めてです」
「初めてね。そりゃ光栄だわ」
 そうそう乱れる事のない機械の声を、なんとか自分のやり方で乱してやった事でマナの溜飲が下がる。雑に破り開かれた服から覗く鋼鉄の肉体はそれだけで穢されたかのようにいやらしい。
「確かに身から出た錆です」
 そこからの彼は観念したように大人しく、マナが下手にベルトの金具を緩めようと、破るようにスラックスの前を広げようと、不満を唱える事もなく——マナの低俗なやり方を見て悩ましい溜息をつく事はあったが——ただ女のするままに身を委ねていた。
 上半身は前合わせを裂かれ、下はスラックスを太腿の中程まで下げられて鋼鉄の肌が薄暗い美術館の中、微かな月の明かりに艶かしく耀く。
 本当になんだか悪い事をしている気持ちになる。いや実際、悪い事ではあるのだが。
「やらしい身体」
 と吐息を漏らし、マナは目を細めた。
「お褒めに預かり身に余る光栄です」
 返された声も吐息混じりの淫らなものに聞こえた。
 マナはT4-2の肌に手を這わせる。男らしいがっしりとした輪郭に首筋に、胸元に、腰に。互いの磁性なのか、肌は吸い付き合い、マナの手さえも痺れるように心地よい。T4-2は軀を波打たせ、夢見ているような吐息を漏らす。
「身体触られると感じるんだね。女の子みたいに」
「先程のあなたもそうでしたよ」
「最悪」とは言うが、その声もどこか夢見ているようだった。
 マナはT4-2の下腹部にそっと手を触れる。
「開けましょうか。それとも開け方をお教えしましょうか」
「そんな必要はないって分かってて言ってるんでしょ。倒錯した遊びが好きね。あんたに触れれば、どんな作りなのかは“丸見え”よ」
「根に持つタイプですね」
 危険で魅力的な力でマナはT4-2の下腹部のハッチを開ける。薄暗がりに露出するT4-2の女の箇所。こんな状況でも蠱惑的にマナの性感を誘う。
 マナの指がT4-2の中に沈む。そこは煮詰まりぬかるんでいる。中は先程と違って温く心地よい。
「あぁ……」
 男の振り絞るような悩ましげな声が漏れる。
「わざわざこんな場所にまで神経を通すなんて変態が極まってる。すごくえっちな音もするし」
 少々乱暴に中を掻き回しながらマナが謗ると、T4-2の腰がゆるく跳り、機械の秘部は一層艶かしく彼女を求めてくる。指でさえもお構いなしに咥え込み、貪欲な彼の内部は金属の環の連なりとは思えないほど生々しく、快楽を求めて媚びるようでいっそ健気にすら思えてくる。
「お褒めに預かり身に余る光栄です」
 誉めてないよ、と貶める代わりに「もっと好きそうな事してあげる」マナはT4-2の手を取り唇を寄せると、手袋の指先を軽く噛み、煽るように緩慢に喉を反らして脱がせる。マナの乱れた行為に充てられ、T4-2が息を飲む。明滅する眼光。
 マナは冷たい掌を唇でなぞり、一本一本の指の付け根から先までを舌で舐め上げる。
「手先敏感でしょう」知ってるんだから、と指に口付けしながら、送る流し目。「こういう事してない時でも動きがやらしいから」
「そんな、あなたという人は……」T4-2の言葉は途切れ、頭をゆるく振り、己で制御できない程の快感を覚えている事が見てとれる。「もう駄目かもしれません、これは……よくありません……」
 T4-2の譫言を聞き流し、マナは機械の指を口に含み舌を絡ませた。深い接吻の代わりとして。
「あ゛……ッ!?」
 短い悲鳴とも喘ぎともつかない声とともに、磁力で押さえつけていたT4-2の背がその力を振り切って折れんばかりに反る。淫部に埋めていたマナの指に感じる締め付けが一瞬食いちぎらんばかりになり、穢れた色にまみれた声が彼女の耳朶を打つ。刹那の緊張が解けた後、淫部からとろけるように溢れ出す粘ついた液体。指への締め付けは甘く緩く媚びるようなものに変わる。
「今の声なに」マナの舌とT4-2の指先の間に唾液の糸が引く。
「はっ、お゛ぉ……神経回路、焼き切れかかってッ、いま、あ゛ー、切れそ、お゛、です」
 快楽に塗れても淀みなかった声に今や淫猥な雑音が混じる。喜色と淫悦に濁って汚い。それもまたマナにとっては好い物だった。
「ああ、イカれてるってことね」
「そ、ですッ、ん゛ぅ」
 指を舌で犯すついでに、直にその唇にも接吻してやると声は面白い程よく跳ねた。甘えるように縋り付く男の秘められた場所。
「あ゛ッ、はっ゛、んんー……ッッ」
「キス好きなんだね。唇も動かないし、舌もないのに」
 だからこそ欲して執着するのかもしれない。そう思うといじらしく愛おしくなる。目の前の狂い果てた機械の事が。
「ふぅッ、好き、です……ッ!」
 指の関節部の部品と部品の隙間に舌を添わせ、先端で刺激したり、先端を音を立てて吸ったり。
「ああッ! あ゛、マナ、さんっ、もっと……」
 T4-2は機械にあるまじき色に狂った嬌声を漏らしながら、極められてゆく快感を堪能する。
 大の男のあられもない痴態のおかげでマナの下腹部は苛立ちきっていた。指と愛液で解れきってぐちゃぐちゃなぬかるみを、己の怒張で更に荒々しく掻き混ぜて破壊してやりたかった。
「それじゃ、ポンコツ保安官さん、二回戦もしっかり使ってあげるからね。このためだけに作ったあんたのやらしいとこ」
 マナはT4-2の脚を開かせ、片方を己の肩にかけた。目の前にしっかりと晒される機械仕掛けの淫らなそれ。悦びと期待に垂れる蜜。
「いけませんッ、この状態でそんな事をされたら……はあッ、んッ、お願いです、あぁ……マナさん」
 逃げようとする腰。しかしマナの力から逃れる事は能わない。
「どうか……」
 待ちに待ったその言葉!
「そんな声出されてやめるわけないだろうが!」
 むしろ哀願されると逆効果だった。
 マナは堅牢な汎用亜人型自律特殊人形の最も弱い場所に肉槍を突き立てる。
「んお゛ぉ……ッ!?」
 小刻みに機械の軀が震えて本当にまずい場所が半壊しているのだと確信するマナ。
 沸る結合部からT4-2の化学的に清浄な液体とやらがしとどに垂れ、マナに絡みつく。
「やだうそっ、すごいぬるぬる。やらし……こんなの自分で作るって天才と紙一重の方のやつじゃん」
 金属の性器の根本から先へと向けて扱いてくる動きは確かにこの六十年代において唯一無二、いやこんなものはいつの時代においても他にはあるまい。ド変態すぎて。
 マナの楔が最も奥深くを穿つ。その肉棒の先端に吸い付く最奥。
「あッ! 奥ッ、ンッ、い゛い゛っ、お゛——」
「ひっどい声。狂ってる」それはこんな狂った男で性欲発散させようとしている自分もなのではあるが。
「こんなもの作ってんじゃないよ……平和だか自由だかのためにすることがこれ? 頭おかしいんだよ!」
 行為に耽溺しながらも、T4-2の腰を自身の腰で激しく打擲しながら詰る。
「あ゛ーッ! ん゛っ、中から壊れるっ……!」
 T4-2の声が激烈に揺れる。
「いいから壊れろっ、さっさと……!」
「あっ、ああぁ……ッ」
 マナはT4-2の絶頂がどういうものか知らないが、殊更切なげな声を出して内から外から震えたのを彼の極まりと見なした。マナは肉棒を引き抜くと、T4-2の顔に、軀に、そして服に、白濁をぶち撒けていった。
「すご……んー、たくさん出る……」
 低俗な行いは究極の快感を生む。
「ひどいではないですか、こんな……」垂れ落ちて己を外から犯す白濁を拭うでもなくT4-2は言う。「中に欲しかったのですが……」
「服汚されるのが嫌なだけでしょ」
 気が済んだマナの言葉は酷薄であった。肩にかけていたT4-2の重たい脚を床に落とし、解放した。
「そのような事は、もうどうでも」
 T4-2は軀や服に付着した精液を指で塗り広げていく。淫らな指遣いで己を穢していくT4-2にマナは再び昂る。
「もっと、私に咎を課して、雑に……使い捨ての物のように扱って下さっても構わないのですよ」使い捨てには到底見えない上等の物が媚びる。「私はそう望んですらいます」
「ほんとに上等ね」

 

 容貌魁偉な男の乱れた半裸というのは実に見応えがある。曝け出された胸元。大腿の半ばに引っ掛かっている下衣。瞳の光を失い、地に膝をつき、横たわる主人に跨り、緩慢に腰を振って奉仕をするその堕ちた様。
 首に巻かれたストールの両端は背に回り、後ろ手にした両腕を縛り付けている。腕の重みで首が締まり、堂々たる身はきりきりと弓形に反る。苦しみ悶えているようでも、怯えているようでも、究極の法悦に打ち震えているようでもある。
「が……ッ、はぁ゛っ、お゛、ご……ッ」
 声もまた雑多な様相が混ざり合って汚れた色を表していた。
 実際息が詰まる事など機械仕掛の身の上には億が一にもないのだが、こういう事には雰囲気が重要、という事だろう。被虐趣味のロボットはマナに自分を手酷く縛り付けるよう望み、その状況に身も心も染まっていた。
 本当に、どちらが道具なのだか、とマナは思う。
 ただ、こうして苛めてやればマナにかかる快感も増すため、まだお互い様と言える範疇にはあるだろう。
 マナがその引き締まった尻に触れると男はいやましに震える。腰骨の辺りを鷲掴んで内に向けて力をかけてやると、仰け反ってあられもない声を出す。
「あ゛っ、ん゛、ぉっ」
 マナの目の前にいるのは、もはや汚い喘ぎ声をあげて腰を振り悦楽に耽溺するだけの性奴隷人形である。
「マナさ……んッ」性奴隷は時折譫言の様に女の名を呼ぶが、それに対して返ってくる言葉も行為もなく、徒花のような己の性器に何度も叩き込まれた快感を延々と求めるのみだ。
 マナを締め付ける熱っぽい金属の環の一つ一つに彼女の雄の愉悦が絡まり、中は穢れ果てて酷いものだった。
「出すよ」
 絶頂が近いというのに、マナは落ち着いていた。何度目かの放出で余裕は有り余っていた。だが、これでもう最後だろう。相手もそうだといいのだが。そうでないなら、恥も外聞もなく「もうやめて」と言わないとならない。
「腰落として。一番奥に出してあげるから」
 彫像のような男の腰がマナの欲望を迎えるように密着する。
「はぁ、ん゛っ、お願、ぃします……」
 壊れろ壊れろ、とっとと落ちろ、粗大ゴミになれ、と心中で呪詛しながら、マナも自分から腰を一撃、突き上げる。
「……ッ!?」
 元より軟弱で感じやすい最奥を抉られ、男は刹那意識を飛ばす。しかし脱力した腕が首の拘束を極め、締めつけられる激甚な快感に再び浮上する。
「かはっ! あ、い、いぃっ、壊れるぅッ、こわして、どうか、どうかぁ……ッ」
 狂った機械は喉を天に晒し、泣き叫ぶような喘ぎ声を響かせる。その性器の締め付けは、マナから搾り取るためのものではなく、絶頂に向けて登り詰めるためだけの制御不能のものになり果てていた。
「いいからさっさと壊れろ、鉄屑が、使い捨てにしてやるからっ」
 マナは太い腰を強く掴んで更に押し付け遂情する。
 放った欲液が奥に噴きつけられ、穢れを上塗りし、弱々しい女の器を完全に堕とす。
「ああ゛ー! 出てっ、ふぅ゛ッ、あ゛……ッ、も……だめ、ですっ、頭の中、ばちばち、回路飛んで……申し訳……あ……」
 願ったり叶ったり、男は内も外も一際激しく痙攣し、ぐったりとマナにもたれかかって機能停止した。
 しかしその淫壺の動きだけは余韻をもって、ひくつきながらマナの残滓の最後の一滴までをもきっちりと搾り尽くした。
「はあー……なんなのこの不埒な変態警官は」
 マナはしばし、自身にその身を死んだように預けるT4-2を抱きしめ撫でさする。
 呼吸も鼓動もないその巨躯は冷蔵庫よりは確かに静か。マナの懐に入り込み馴れ馴れしく執着してくる様は犬か子供のようでもある。
 たったの数時間のうちに色々な初めてを奪われ……なんだか良いように使われた気しかしない。
 マナがT4-2を押し退けると、それは物凄い音を立てて床に仰向けに転がった。ささやかな超能力が無ければ圧死していたと思うとゾッとしない。
「起きて、警備員さん来ちゃうよ。ちょっと、変態保安官……T4-2」
 本当に壊れたかな、とマナがT4-2の頬を突こうとすると「それで、冷たいのと温かいのとではどちらがお好みでしたか」機能回復したT4-2が予備動作なく上体を起こしマナに問う。
「ギャ」死体が突然起き上がったかのような印象を受けてマナはおよそ女らしからぬ悲鳴をあげた。
「驚かせてしまったようですね」
 器用に緩い拘束を解きながら言うT4-2。
「回路飛んだんじゃないの?」
「安心なさって下さい。神経系統含め多少の損傷であれば迅速な内部補修が可能です」
「多少? あっそ」
 マナとしては盛大に使い潰してやったという気持ちがあったので、そう簡単に言われると非常につまらなかった。
「もうすこし気怠そうに起きたら? 情緒がないな」
 演技でもいいからそうしろと、文句の一つも言いたくなる。
「情緒。なるほど。事後も雰囲気を損なわないようにしろという事ですね。では次からはそのように善処致します」
 次ねぇ……とマナは小さく漏らす。この男の中では次があるというわけか。
 T4-2はマナが脱ぎ捨てていた外套を拾うと、汚れを払うように手で叩き、さっと羽織る。
「そのコート」「トレンチコート」「それさ」「トレンチコート」「うんだからそれ」「トレンチコートです」「あたしにくれたんじゃないの? あとどうでもいい事いちいち訂正しないで」
「どうでもいい事ではないので致しかねます。それにこれはお貸ししただけです。あなたの倒錯した遊びで今の私はこんな格好ですよ」
 声色は穏やかだが笑顔は怖く見える。
 T4-2はマナの愉しみのせいでぼろぼろのどろどろになった服を覆い隠すように外套の前を掻き合わせると、きっちりとボタンとベルトを留め、襟を立てた。帽子は前から後ろに向かって頭に乗せて、角度を整える。一連の慣れた所作は実に様になっていて、マナは気障ったらしいと思う。嫌いではないが。
「ストールは差し上げます。どうぞお好きに」
「マフラーの事?」
「ストール」
「ありがと」
 寒いのは堪えるので、マナはとりあえず白い首巻きで首をぐるぐるに巻いた。
 T4-2は首を傾げると、マナのぐるぐる巻きを取って彼女の頭と肩を覆うようにふんわり巻き直した。
「あなたはガラスを割り、美術館に侵入しました。私に逮捕権があったのなら現行犯逮捕ものの行為です」
 T4-2はガラス越しにマナを見ながら言う。ついでに自分の身支度の仕上げもしながら。そして、自分の首元が少々寂しい事に気づいてふと手やった。
「ガラスを割ったのも、不法侵入したのも、あんたでしょ。あたしはあんたを止めようと追いかけただけ。それがごく普通の人間の目に見える真実。それか、機械公爵とそのロボットがやったと考える人もいるかもね。その方が都合がいいわ、あんたとあたしには」
 マナはもつれて打ち捨てられていたネクタイを拾うと、もっとぐちゃぐちゃにしてT4-2の外套のポケットに捻じ込んでやった。
「悪い人ですね」
 マナとT4-2、示し合わせたわけでもないが、二人は来た道を遡るように並び歩く。T4-2はごく自然にマナに腕を差し出してくるが、察しの悪く機微に疎い女は寒そうに首を竦めながらじっと前だけ見つめて歩いていく。
「もうあのように超能力で無茶苦茶な事はなさらない方がいいですよ。あれではすぐに露呈してしまいます。私なんかよりずっと怖いものもいるのですからね、この世には」
 抜け目ないようでいて、案外周りを見ていないマナが心配になったのか、T4-2が諭す。
「他人の心が読める超能力者とか?」
「いいえ。超能力者の拘束・収容が至上行動命題の汎用亜人型自律特殊人形とか」
 マナは思わずT4-2を見る。
「それあんたの事?」
「やはり読心術の使い手をご存知なのでは?」
 同様にT4-2がマナに指先を向けて問うが、それに対するマナの回答は期待していなかったようで、追及はない。
「私は違います。私の至上行動命題は……」
「自由と平和でしょ」
「その通りです」
 やがて同じように連れ立って歩く者、足早に二人を追い越す者が増えてきて、人集りが見えてくる。その先には初の白星をあげたものの、エネルギーを使い果たしたT1-0が浅い池に片膝付いて眠っている。
 警官だか機動隊だかが持ち込んだ投光器が黒いボディを煌めかせる。時折光るカメラの強いフラッシュ。警邏装甲機も二機ほどお目見えしていて、マナは大事になったな、と頭を抱える。
 規制線の内側には花見に水を差された墨田署の面々もおり、当然マナの兄も酒と怒りで赤くなった顔で仁王立ちしていた。
「あたしがあれに乗ったって誰にも言わないでよ。特に兄には」
「私に乗った事は?」
 冗談とは思えないような平坦な声色でT4-2が宣う。
「あんた冗談いうわけ?」
 マナは目を見開く。冗談という事にしておきたい。
「冗談ではないのですが」
「やめて。わかったのかわからなかったのかだけ言って」
「わかりました」
 マナは表情の読みにくい機械の顔を念押しにじっと見つめた。
「ほんとにわかった?」
「私は嘘はつきません。特定の状況下以外では」
「ついうっかりはやめてよ。ど、う、か」
「善処いたします」
 人集りの中で群を抜いて大きなT4-2を見つけたのか、マナの兄が叫ぶ。
「てーふぉーつー! なにやってんだ、野次馬かお前はよ!」
 どうやら妹の姿は見えていないようで、マナは安堵する。
 T4-2は軽く帽子を上げてマナに会釈する。
「私も行かなくては。お送りする事ができず申し訳ありません。どうかお気をつけて、路面電車でお帰りください。上野公園発車は三分後ですよ」
「ご親切に」
「ふぉーつー!」兄が叫ぶ。
 二人の周囲の人々がT4-2の存在に気付き、人垣が少々広がる。
「行って。怒らせると面倒だから」
「既に怒っているように見受けられますが」
 マナは、いいからさっさと行けと顎をしゃくる。T4-2は踵を返すが、すぐにふと視線だけをマナに向ける。
「そうだ、マナさん。お兄様に私の事を良い人とお伝え下さって、ありがとうございます。身に余る光栄です。そのお陰で、あなたのお兄様だけは私を花見に誘って下さいましたよ」結局反故にしてしまいましたが、と、それだけ言い残すとT4-2は難なく人波を掻き分けて規制線を越えて行った。
「最悪」マナはその背に呟く。
 兄にどやされ、しかし堪えず更に火に油を注ぐような事を言いそうなT4-2を見てげんなりしたくないので、マナはすぐに背を向けその場を後にしようとする。しかし上背のあるT4-2とは違って、なかなかうまく行かない。人の波に溺れていくようだ。
 マナの兄の叫び声がまだ遠くない後ろに聞こえる。
「ああ、畜生、あのデカいロボットの操縦者は誰なんだッ!」
 間髪入れず、誰かがよく通る声で答えた。穏やかだがどこか酔っているようで、気品があるが狂気に満ちているそれ。
「私です」マナも含め衆目が集まると、月を背負ったT4-2——後に内藤丁と名乗るようになる男——は淫蕩な視線をマナの方へちらと向けると、芝居がかった仕草で自身の胸に片手を当て、軽く腰を折る。「私がパイロットです」俄に風が吹いて桜が舞った。
 まったくこの危険で魅力的な隕鉄はマナの手に余る!
 マナは白目を剥いてその場にぶっ倒れた。

 

THE END of Where the Girls Are(someone waits for HIM).