棄都モルペドオロの、いまは昔の物語。
児戯に捥がれた斑の翅と鋭く細い三対の脚が揺らめきはらりと地に落ちる。
かような惨い仕打ちはおやめなさい、とバシリス公の奥方は言い、貴族の子らから蝶を取り上げる。その白い掌の上で幼体と見紛う姿にされた虫が悶え蠢く。
惨い事、と奥方はもう一度幽かな声で言い、水盤に浮く葉の上にそれを乗せた。
そしてその惨めな芋虫に密やかに向けられる蕩けた視線。光輝くミ=フシセ宮の広間において、それは一際色濃い影を落とす。血肉の奥底から湧き立つような情念が瑞々しい眼球を通して蟲に密やかに絡みつく。
やはり我が奥方には——バシリス公は思った——歪んだ魂が形作られつつある。
バシリス公の奥方には魂がない。
眸門の教会で悪しき竜への生贄として作られたのが、後にバシリス公の奥方となる修道女█████である。
硝子の蛹で実った偽りの生命に魂は宿らない。
魂がないからか、奥方の眼差しはいつも此処ではない何処か彼方を見て、表情は硝子のように透き通って、およそ情動というものがない。目を離せば煙のように空気に散って薄まり消えてしまいそうな印象をバシリス公は抱いた。
そんな彼女を、凪いだ水面のように穏やかな人だ、と称したのは公の乳兄弟のレックス卿だった。彼は教会騎士で、竜の棲家まで生贄を護衛する任を受けていた。
稚い頃からみてきた妹のようなものだから何とかして助けてやりたい、この命に代えてでも、と言い募る盟友をむざむざ一人で行かせるほど公も薄情ではない。
片道になる可能性の高い旅を、せめて往きて帰る旅路にと、公は精鋭の軍勢と、そして自分自身を同胞の供につけたのだった。邪竜を倒すに能わずとも、恩義ある乳母の実子だけは生きて連れ帰らんと。生贄の修道女の事など気に掛けてすらいなかった。彼女をその眼で捉え、大気に混じりこむ妙なる存在感が身に染みるまでは。
さながら青雷に撃たれたような邂逅であった。
教会の秘術の真髄で練り上げられ顕現した生贄の乙女は神秘的に強烈にバシリス公を惹きつけた。それは彼と彼女の肉体的な器質が多分に影響していた。
バシリス公は類稀なる逆性具有であり、█████は生贄に相応しく神聖なる両性具有だった。神代の昔、六眸神が両性具有である掠奪者の帝王にして女帝に眷恋し、己を逆性具有に変容させた時より、逆性具有は両性具有を渇望してやまない憐れな星の巡りの支配下に置かれてしまったのだ。
旧き者がそうなったように、その身に女の器を宿すバシリス公も両性具有の乙女に心を奪われた。六眸神の下で夫婦の宣誓をし、神という名の鎖で己の元に縛り付けたいと希った。そうでもしないといつの間にかふと消えてしまいそうな儚さがあった。
諄いと憤慨されるまで再三確認したが、乳兄弟は生贄の修道女を妹のようにしか思っていないと言う。なれば公が求婚してはならぬ道理はない。
竜を討ち果たした暁には、とバシリス公は恭しく█████に求婚した。しかし返答は芳しくなかった。己は肉の器ではなく硝子の器で発生した魂を持たない低次の被造物で、教会の持ち物であるが故に、と彼女は淡々と述べた。
バシリス公は竜の神殿への旅の道すがら、生贄の乙女の身柄を絡め取る方策を暗き心の底から謀っていた。
レックス卿は竜と刺し違えてでも生贄の乙女を助けると息巻いていたが、しかし果たしてそれを成し遂げたのはバシリス公の方であった。
竜を討ち負傷した男の求愛までは無碍にすまいという卑劣な術数が動機となって、槍技長ける教会騎士を差し置いて邪竜の急所を正確に討ち果たせたのである。
ただし邪竜を斃した代償は大きく深かった。竜の穢れた血に塗れると生きながらにして肉体の末端から腐り果ててゆく。それで命を失った勇士は数知れず。それを知っていても尚、バシリス公は勝負に出たのだ。腐敗が身体を蝕み尽くす前に末端を切り離せば命だけは助かるのではという、一縷の幽かな望みに賭けて。
友の四肢を切り落とす事を躊躇しているレックス卿に代わり、冷静に処置を取り計らったのは█████であった。そして結果はバシリス公の想定の通りとなった。彼の生命維持に必要な中枢器官は守られた。
邪竜を討った功績によってバシリス公には眸門の教会から真鍮の四肢が与えられた。門外不出の技術の粋が詰め込まれた新たな手足は元よりそうだったかのように公の肉体と精神に緻密に馴染んで精密に動くようになった。
耀く四肢を身に纏ったバシリス公は再び█████に求婚した。生贄という用途を喪失した被造物の行く先は別の用途としての再構成、即ち個としての死に他ならない。それでは四肢を失ってまで助命したこの身が報われないと嘆いてみせて、公は生贄の修道女に新たな肩書きを押し付けたのである。バシリス公の奥方という。
被造物を手放す事に眸門の教会は良い顔をしなかったが、筆頭高額浄財者に対して出来る事といえば、自分達が作り出したものの瑕疵を述べる程度。曰く、虚ろな肉体に魂の芽生える事は万に一つもなく、表出する慈愛や情愛は単なる真似事で、魂より滲み出る真なるものとして公に向けられる事はないだろうと。
しかし六眸神の加護か、その万に一つの事象が奥方の虚な肉体に灯りかけている事にバシリス公は気づいたのだ。
魂の欠片、肉欲の瞬き、穢れた影。
肌身の神経を撫でられる気配を手繰れば、ふと逸らされる奥方の眼差し。
澄んだ瞳が辿るは真鍮の手脚ではなく、肉体の中心、健康な臓物と頑健な骨肉のたっぷり詰まった胴体。
眸門の教会で手当を受けている最中に注がれていた悲しげな眼差しは、邪竜を討った男の瀕死の重傷を労しく思ったからではなく、己の胸に去来し根を張った歪んだ魂の萌芽を感じ取ったからではないか。
バシリス公の奥方はその夫の四肢を欠落した軀に欲情しているのだ。
徒に翅と脚を捥がれた蝶を見る目でそれを確信した。
そして彼は決めた。
己の欠損した肉体と交わらせて奥方にヒトと同じ歪んだ魂を結実させんと。そして魂という瑕疵を刻みつけ、強烈な情念を己が身に注がせんと。
道徳的な葛藤は█████と邂逅した時に既に焼け爛れて溶け崩れ堕ちていた。
その日バシリス公はよく磨き上げられた脚を折って跪き、今宵自分の寝所へ来てもらえないかと奥方に丁寧に懇願した。魂はないが心はある奥方は請われた事を無碍にはせず、約束通り夕餉の後に現れた。
遠慮深げなノックに入室を許可すれば、嫋やかに項垂れて静かに部屋に入ってくる。彼女は公に勧められるまま彼の向かいに腰掛けて酒精満ちたる盃に口を付けた。
奥方の生気のない青白い喉が嚥下に蠕動するのに呼応して、公の喉も期待に蠢く。
公は未だ妻の肌を知らなかった。その尊くも貴き身柄に教会より与えられた作り物の手で触れたくはなかった。そして、奥方の魂からの求めがなくば交わろうとも虚しいだけであろうと。
ただ今宵この刹那だけは、芽生えかけた兆しを確固たるものとするために、その精神の法を犯す。
真鍮の手が卓の上をゆるりと這って女の手に触れる。金属の手の内で震える奥方のそれ。
金属の身が怖いのかと問えば、奥方は首を横に振る。自責の念に慄いただけだと。バシリス公をそのようにしたのは自分であるから、と奥方は目を伏せてゆっくりと言う。
バシリス公は立ち上がって絹糸のような髪の一房を指に巻きつけた。視覚から得られる滑らかさや艶やかさをその指が感じる事はない。ただその頼りない細さだけが手の中にある。
夕餉に供されるそれよりも濃い酒精が血潮に回ったか、常ならば抜けるように白い奥方の耳と頬がうっすら染まっている。
バシリス公は罪悪感か悔恨を押し付けて結婚を承諾させた事を改めて謝罪した。そうした理由で夫婦になったわけではないと奥方は独り言のように返す。
愛していると告げれば、同じ言葉が返ってくる。いつもそうだ。そこに魂からの真はないのだろうと思うと胸苦しい。
何故呼びつけたのか、そろそろ問われる頃合いだろうと見て、バシリス公は先んじて口を開く。
身体を見て欲しいのだと。
奥方は何か言おうと口を開いて、しかし息だけ飲んでまた黙り込む。消極的な肯定だ。
緩慢な動作で視線を奪いながら公は服を取り去ってゆく。装飾の少ない室内用の上着を肩から落とし、上衣も下衣も脱ぎ去って裸体を晒す。後に残るのは隆々とした胴体と燭台の揺れる灯りに照らされて妖しく燦く真鍮の四肢。有機物と無機物の複合体。
雄々しい隆起漲る肉体に男の象徴はない。下腹部はなだらかな曲線を描き、その果てには女の性器が秘められていた。典型的な逆性具有の男体だ。
ありうべからざる、高貴にして堂々たる躯。
部屋はしんと静まりかえって、衣擦れの音が消えた後には奥方が瞬きして睫毛の震える音さえ聞こえてくるかのようだった。
腐敗進む手脚を切り落とした時に嫌というほど見た筈の身体から今更目を逸らすような事もなかろうに、奥方はきと瞑目した。羞恥、好奇心、そして拒絶の意味合いも含んでいた。
部屋の主は自嘲めいた笑いを漏らし、寝台に腰掛ける。視線と裸体を隔てる衣を脱ぎ去ったならば、次は理性と肉欲を隔てる四肢を脱ぎ去る番だ。
大腿の半ばから先を床に落とし、寝台に横たわる。
視線を感じた。
神経の籠った、熱っぽい眼差し。
左手で右腕を外し、それもまた寝台の下に無造作に落とす。
乱れ始めた奥方の吐息が耳に流れ込む。
制止の声も意に介さず、公は唇で釦を引き残る腕も脱落させる。
何のためにそんな事をするのかと、奥方は震える小さな声で叫ぶ。
今や寝台に載っているのは混じり気のないバシリス公そのものだ。奥方を蠱惑し欲情させる惨めな蝶。あの翅も六肢も捥がれた虫に向ける艶めいた視線を自分にも向けて、穢れた唾棄すべき偏執的な欲望を生身にぶつけられたかった。
「私の魂を半分捧げよう。狂って穢れた魂の。それを歪んで形作られつつある貴女の魂の糧として欲しい。そして矮小な人間となり、死した暁には共に約束の地に至ろう」
奥方は唇を引き結び、首を横に振る。そして椅子を倒さんばかりに立ち上がり、踵を返す。男はその背に追い討ちをかける。
「私を愛しているのなら! このようになった私を一人置いていくような無体はなさいますまい。何もできないのだ」ひどく卑劣な追い討ちだった。「一人では」
「あなたはひどい人です。ひどい人だわ」
華奢な背が震え、扉にかけられていた手がぽとりと落ちた。
バシリス公を襲う欲望の荒々しさたるや、奥方のその麗しい見目からは想像だにできない程のものだった。魂を持たないという事は即ち獣や竜、魔の類と同類だという事実が今更ながら鋭く突きつけられる。
奥方は単なる蠢く肉の塊と化した夫を寝台に押し付けて、服を脱ぐのもそこそこにその身を貪った。前戯もなく、邪な気に満ちた楔が公の浅ましい雌に突き立てられた。しかし女陰は既に暗い期待に濡れそぼって、その上奥方との交情を想って何度も慰めてきた賜物で、慣らされてもいないのにすんなりと怒張を受け入れた。その不埒な使い心地に奥方は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに怒りにも似たそれに取って代わって激しい腰の打擲が見舞われる。上がる悲鳴に苦痛の色はなく、甘ったるく咽喉を震わせる。
奥方にとってこうした肉体的な接触は初めてだからか、その行為には遠慮も見境も、ましてや気遣いすらなかった。煽り立てたのはバシリス公の方なのだから、そうされても仕方のない面はある。
しかし普通であれば恭しく拓かれて、優しく甘やかされながら捧げるべき処女地を、硬く雄々しく凝り固まった欲望そのもので無遠慮に踏み荒らされ、乱暴に純潔を散らされるのは堪らなかった。苦痛という意味ではなく、弾けんばかりの愉悦という意味で。
愛する奥方に性処理の道具のように扱われるのは相当気分がよかった。余裕がなくなる程に求められるのは無常の悦びがあった。より狂わせたくて、耽溺させたくて、バシリス公は艶かしい息を吐きながら欠けたる肉体を揺さぶる。このまま虜にしてやりたかった。己の肉の檻に閉じ込めて、奥方のがらんどうな胸に歪んだ魂を宿らせたかった。そうすれば彼女は真なるヒトになるのだ。穢れた、矮小な存在に。
長大な怒張が肉の器の入り口を圧迫し痛めつける度に男の喉から汚れた嬌声が漏れる。直に心臓と脳を突かれ揺さぶられているかのよう。渇望した分、ようやっと甘受できる官能は許容を振り切れそうだった。真鍮の指で己に施した手心混じりの慰めなど、この責め苦を受けた後には快感のうちにも入らなかったと知る。
腰骨を掴む指がよりきつく身の内に食い込んで、打ち付けがいやましに苛烈になる。
顔を見せて欲しいとせがんでも、奥方は俯いたまま首を横に振る。愛おしい唇から漏れる吐息は間断なく、そして熱い。最後に胸の奥から絞り出すような呻吟を吐き出して、肉杭の切先を男の胎内に深く埋めた。
公の腹の奥が甘美に捩れて絶頂の兆しが迫る。
バシリス公の中を深く穿つ邪淫の根元が力強く脈打ち欲望の奔流を撃ち出す。子袋の口を欲汁が穿ち、その初々しく硬い関を潜り抜け、処女地を潤す。
鮮やかな果てが彼の脳を染める。極彩色の火花が眼裏に散って滲んで沈滞する。背に奔る肉悦が筋を縮めて胴がそり返り描くは優美なアーチ。
絶頂に悲鳴をあげようと喉は震えているのに、開け放たれた口から飛び出るのは凝った舌と詰まった息だけ。
子宮とそれに連なる肉道が抑えようもなく引き締まり、太く雄々しい存在感をまざまざと味わってしまう。
快感に痙攣する腰を細腰で抑えつけられて、そのまま二度三度と欲を撃ち込まれる。その一撃一撃が大量で粘度も高く、腹の奥が爛れたように熱くなる。捕食者の嘴に貫かれ息も絶え絶えな芋虫のように蠢く腹。
囁く愛の言葉もなく、情の滲む愛撫もなく、こうなるとただの精液を吐き捨てるだけの肉袋であった。しかしそれでもよい。寧ろ奥方の秘められた獣性をぶつけられる事への悦びすらあった。█████の特別な欲望を享受できる熱狂的な法悦である。
初めての荒れ狂う欲望を吐き出し理性と感情の欠片が戻ってきたのか、奥方はようやっと顔を上げる。げに麗しきそのかんばせ。酒精に浮かされ、ほんのり染まった頬。作り物めいた顔立ちにうっすらと人間らしさが宿る。
バシリス公はぼんやりとそれに見惚れて腕を伸ばすが、肩先半ばで途切れたそれは想い人に触れる途上で空を掻く。手の届かない切なさに胸郭が割れんばかりに震える。とにかく妻の肌の温もりが欲しかった。
肌を重ねて欲しいという夫の哀願にも█████は何も言わず、ただ泣きそうな顔で己の衣服をおざなりに寛げる。暗闇を眩ませる白い肌。事後の吐息に緩やかに動く乳房。
きつく抱きしめられ、しっとりとした肌が熱に荒れた身を慰める。豊かな胸が硬い身体に圧されて蕩ける。
人造の肢体の何と心地よいこと。竜の喉越しに障らぬように創られた肉体のその細さ、滑らかさ、柔らかさ。噛み締めれば芳醇な味わいさえするに違いない。
バシリス公は深く低い喘ぎでもって奥方に快感を伝えた。吐く息に任せて愛していると呟くが、悲しげな表情は何も語らない。
しなやかな腕が公の背と腰に巻きついて彼の身体の肉付きを確かめるかのように蠢く。素肌を這う乙女の手の感触は妙なる愉悦を齎した。
吐息が絡み合うほど近くにあるというのに、口唇同士で触れ合う事はない。意図的に避けられているようだ。唇を合わせたが最後、命を落とすとでもいうのだろうか。
熱が交わされ、混じり合い、心と魂は通じずとも肉体は馴染む。奥方も同じような心地よさを覚えているのかバシリス公の中に埋められたままの性器が再び兆してくる。
柔らかな口唇が汗ばむ首筋と肩を伝い、腕の断面に触れる。歪な痕をほどこうとでもするかのように縒り合わさった肌の縫合の上を舌が蠢く。長い睫毛に縁取られた目は細められて、表情に艶が差す。本当に己の欠損した肉体を愛好されているのだという感慨が公の胸にひしひしと積み重なる。
逆性具有のせいで妻を娶る事も、ましてや愛する者との肉の交わりを味わう事も諦めていた。卑劣な手段を使ったとはいえ、こうしてそのどちらをも手に入れられた多幸感が湧き上がる。
頑健な胴体を好き勝手に暴かれ、切断面を愛撫される快感を享受する。
知らぬ間に全身、肉体と精神そのすべてが自身を支配する雄に媚びていた。寸詰りの四肢でしなやかな肢体にしがみつき、腰を捧げ上げて小休止している相手の腰の動きを促すように下腹部をうねらせる。膣の搾る動きで強請り、欲望の受け皿を易々と明け渡して蠱惑する。
荒々しい息を吐きながら暫く二つの肉体は蠢き、しかし互いに少々の物足りなさを覚えながら情を交わす。今一歩、何かが及ばない。
失望にも似た溜息をついて奥方は身を退ける。公は肉棒が内を擦りながら抜けるのにさえ快楽を覚えて思わず嬌声を上げる。まだ奥方は怒張していたし、己もまだ満足には程遠く、彼は切ない吐息を溢しながら奥方を追う。
夫の差し伸べた腕を、脚を叩き落とし、しかし捨て置くわけでもなく、奥方は肉付き良い男の肩と腰に手をかける。その意を得て、公も自分から身を捩り、寝台に伏せて尻を掲げる。
背後の様子が見えない分、余計な興奮が重なって浅ましく息が荒れる。頭の中は足りなかった何かを求めて、ただただ、頼む頼む……とすべての細胞が哀願に瞬いていた。
そして哀願だけを伝達していた脳細胞が一気に弾ける。どこか遠くで聞こえる誰かの叫び声。それが自分の物だとはついぞ気づかず。
腰を掴まれ後ろから再び無遠慮に鋭く拓かれていた。身も世もない絶叫が仰け反らせた咽喉を震わせる。肉杭は体位のお陰で予期せぬ深さまで潜り込み、子宮口が亀頭に媚びて縋りついているのを良い事に、そこを容赦なく貫き中に攻め込んでいた。
眩暈にも似たる快感。官能がすべて█████に塗り替えられる。欠けたる四肢が、肉袋たる胴が業火に灼かれて痙攣する。今際の際の悲鳴にも似た色めく嬌声の残響が空気に染みる。
決して犯されていい場所ではない。このように直に雄を捩じ込まれて使われてよい筈もない。しかしなぜか苦痛も苦悶もなく、元よりこうなるために造られた臓物のように反応してしまっていた。
このまま欲をぶつけられれば快感が許容を超えて神経がやられそうで、頼むからまだ動いてくれるなと懇願したかったが、痺れた舌が喉から掻き出すのは言葉にならない獣じみた喘ぎだけ。当然だが相手の欲望がとどまることはない。
屹立の先端は子宮に嵌まり込んでその窮屈な入り口を引きずりながら抜け落ちる。そして突き上げの際には怯える入り口を殴り付け半ば強引に貫く。
その苛烈な抜き差しの度に胎の奥で木霊する空気の沸る音。そしてそれに呼応する蕩けて濡れた悲鳴。啼き声と称した方がいいかもしれない。
浅い部分から奥深くまで余す所なく甘く痛めつけられて、愉悦の蜜と絶頂の証が混ざり合った欲汁を震える粘膜に擦り込まれる。その爆発的な肉悦は全神経に奥方の存在そのものを刻印する。忘れ得ぬ刺激となるだろう。
ぐしゃぐしゃになった顔を枕に押し付けて狂った絶叫と涙を吸い込ませる。くぐもった喘ぎは断末魔の邪竜の咆哮にも似ていた。
叩きつけるような暴力的な交歓。瓦解してゆく精神。死すらも超越する目眩く無。肉の器に流し込まれる生の奔流。
果てなき絶頂に追いやられ、突き落とされ、そして揺蕩う。脳を満たして酩酊させる後快楽の最中にも、奥方は公の腕に接吻し、脚を撫でまわし、臓物に欲望を吐き出し擦り込み続けた。
バシリス公は歪んだ魂の結実を感じて密やかに嗤った。
「魂こそ忌むべきもの」
熱狂的な行為はいつの間にやら微睡に変わり、その終わりに差し込まれた█████の言葉。
「ヒトがヒトたる証左。欲望の核。六眸神でさえついぞ手に入れられなかった闇の煌き」
彼女によって散らばった手脚が拾い集められ、公の身体に真鍮の四肢が戻されてゆく。
つまり、魂をもたぬ事こそが神性であり、被造物の唯一の価値であったのだという。それを失ったために肉体は再利用にも値しなくなった。そして造られた肉体には魂を受け入れ保持する寛容さはないと奥方は言った。
「あなたはひどい人です。わたくしの翅も手脚も毟ったと同然」そう言い放つ貌に怒りはない。ただ寂寞と哀しみがある。「魂が芽生えたが故にこの身は滅びます。しかし約束の地はこの魂を受け入れはしないでしょう。紛い物の生命と結びついた歪な魂など」
「知らなかった。魂さえあれば私を愛してくれるかと。あるいは憎悪してくれるかと」
「魂などなくともわたくしはあなたを……ですが、あなたの望みに足るものではなかったのですね」何か温かなものがバシリス公の頬に落ちる。奥方の零した涙の雫であった。「では、これがわたくしの魂の奥底から湧く愛ですよ。最初にして最期の」落とされる存外穏やかで凪いだ接吻。色も欲もなく、ただ親愛だけの。
果たして満たされるとはこの事だった。
█████がただ傍に存在しているだけでよかったはずなのに、欲深きヒトの魂によって曇ったバシリス公の精神は愛する者を破滅させたのだった。
涙の珠が伝う頬に伸ばした真鍮の手が届く事はなく、奥方はふとかき消えた。
あとに残されていたのは、落雷の臭いがする人間一人分程の有機状の液体と、奥方が身に纏っていた落涙紋の刻まれた衣だけだった。
こうしてバシリス公の奥方は永遠に失われた。その名さえも忌むべきものとして眸門の教会により永久に封じられた。
絨毯を濡らし石の床に染み込んだ奥方の痕跡は何をしても拭い去る事はできなかった。バシリス公は残された時間の殆どを費やして、そこに横たわって己の愚かさを嘆き、どこにもいない奥方に詫び続けた。
奥方が保護した翅と六肢を失った蝶は卵を産み、静かに息絶えた。無事に孵った二匹の幼体のうち一匹は寄生虫によって内側から食い荒らされ、もう一匹は羽化し飛び立った瞬間に鳥の餌食となった。
バシリス公は孕んでいた。宿る命は一つではあるまいという予感がした。そして己は双子を産んで命を落とし、子らも決して幸せな生涯は送れまいと。
そして確かにその通りになった。
幾巡かの夜と昼、渾沌と争いの通り過ぎた後、荒れ果て瓦解したミ=フシセ宮に染みついた哀れな被造物の残滓から一羽の蝶が飛び去った。
月光を浴びた翅模様は、さながら涙に潤んだ六つの瞳のようで……。
棄都モルペドオロの、いまは昔の物語。
無題のドキュメント めでたしめでたし