洗濯日和 - 4/9

 T4-2にも珍しく真剣に窘められ、職場では勤務中に街頭テレビを見に行った——という事にマナがした——件で厳重注意を受け、くさくさした気分で仕事を終える。
 真っ直ぐ自宅には帰らない。あのお忙しい公僕が帰宅しているかは知らないが、お小言の続きを聞いてやる気はない。
 マナは帰路にある居酒屋にふらりと入る。
 喧騒を肴に急ピッチでジョッキを空ける。週の中日なのに店内はそれなりに混んでいた。
 時折、今日のロボットの戦いを間近で見ただの、すごかっただのいう話が漏れ聞こえてくる。ちらと目をやると、マナよりちょっと若いくらいの年頃の集団。中の一人と目が合う。
 ジョッキも三杯目になったところで、カウンター席に腰掛けるマナの隣に男がつく。
「お姉さん一人? よかったらあっちで皆んなで飲まない」
 マナはまじまじと男を見る。サラリーマン風の、背広の男。さっき目が合った男だ。あっち、とやらには男女入り混じったグループ。よく見なくても、女の数が男のそれより足りない。和気藹々としているが、マナは楽しそうなのは好きではない。今日のところは。
「嫌だ」
 マナは椅子の背もたれに掛けた白いストールを掴み、席を立とうとする。
「奢るのに」
 男も負けじとストールに手をかける。
 めんどくさいなあ、と思った時、マナの肩に遠慮がちに乗せられる手の感触。服越し、革手袋越しでもわかる紳士的な気配。
 そして気配こそ紳士的だが、マナの行動様式を完全に把握している変質者。
「見てわかんないの、連れがいる。それとも二人で行ってもいい?」
 振り返りもせず、マナは後ろを指差す。
 男はマナの背後の巨影に一瞬たじろぐが、食い下がる。
「うーん、やっぱり、一人にしか見えないよ」男はあえてマナの背後から目を逸らす。
 なんだ、助けてもらった上に話の種にしておいて、人とは思っていないってわけ、とマナは見下げる。
「二人で一人って意味にしといてあげる」
 マナは勘定をすると、白いストールを引っ掴み、T4-2を見もせず店を後にした。
 時刻は二十一時を過ぎて、住宅街には街灯と玄関灯以外の人工の明かりはない。振り向けば車の前照灯のような瞳の輝きはあるのだろうが……。
「先程、重機の調査をしていた牧島博士から連絡がありました。どうやらあの暴走は人為的なものらしく、操縦者からの信号を妨害する部品が後付けされた形跡があったようです。部品には49ersと読める刻印が捺されており、何らかの……」
 マナの半歩後ろを歩くT4-2が滔々と語る。
「興味ない。ただの悪徳回路がそんな事知ってどうする? あたしは牧島博士が何者なのかも知らないし、T1-0がどこから来てどこに帰るのかすらも知らないんだけど」
「牧島博士は鎌倉在住の機械工学の権威です。別居中の奥様がいらっしゃいます。趣味は寒中水泳と自転車……」
「そういう事を聞きたい訳じゃないってわかるよね」
 T4-2はしばし沈黙するが、すぐにまた口を開く。
「今日の夕食はお寿司でしたよ」
 マナはやっと立ち止まって勢いよく振り返る。
「今なんて」
「今日の夕食はお寿司でしたよ」
 ぶつかりそうなほど近くにいる巨体がまるきり同じ調子で返す。
「あたしのいない時になんで!」
 T4-2の言い方から鑑みるに、自分を待たずにすべて食べ尽くされたに違いなかった。
「歓迎会だったのです」
 私の、とT4-2が街灯の下、優美に胸に手を置く。笑いかけるように傾けられる顔。
「最悪。聞いてないんだけど」
「聞いて下さらなかったのでしょう。先ほど、話は終わっていないと申しました」
 T1-0で戦い終わった後のやり取りの事だろう。
「あの流れでその話になるとは思わないでしょ!」お叱り続行! としか思えなかった。
「それは大変申し訳ありません。とにかく落ち着いてください、どうか」
 マナの眼前で広げられる白い両手。
 どうか、と言われるとちょっぴり落ち着く。
「なかなかお帰りにならないので、皆さん心配なさっていましたよ。ですから、お迎えにあがったのです」
 内藤家の食い意地の張った面々は、T4-2の歓迎会とかこつけて寿司を食べたかっただけだろう。それにしても、飲み食いできない機械の歓迎会に寿司を取るとは、自分に引けを取らず悪気みなぎる一家である。
「主賓がただニコニコ座って他人一家の食事風景見てたわけ? もしかして酌までしたりして。まるで仏だね」
 マナはT4-2の手を取る。よく手入れされた革手袋は人皮のように滑らかでしなやか。
「仏とは、器が広いという意味ですか、陰膳を供えられる屍人という意味ですか」
 どちらからともなく夜道を再び歩き出す。
「両方」ついでに言えば、その微笑みも。
 夜空も快晴。雲ひとつなく、月と星が輝く。
「そういえば、横尾さんは私にワイシャツを仕立ててくださるそうですよ」そのうえ六枚仕立てたら、一枚無料だそうです、と嬉しそうな声。
 マナは驚きに目を見開き、T4-2を見上げる。
「肉体的に籠絡したの? あのババアを」
「似たようなものです。そして、その呼称は非常に失礼です。あなたの品位を疑われますのでもうやめましょう」
 粘り勝ちか、脅迫か。うすら恐ろしい機械。
「尊敬するわ、あんたの事」
 光栄です、と脱帽してT4-2は続ける。
「夕食のお寿司はご厚意で無料になりました。他にも天麩羅に鰻、和菓子や洋菓子、果物、鮮魚、アルコールに花。およそご近所の善い物はすべて、今宵は内藤家に」
「あんたどんだけ近所の人達と寝たのよ」
 機械仕掛の偉丈夫が踊るように次々と近所の老若男女に身を任せる情景を想像する。まるでミュージカル映画のように。
「あまり性質のよろしくない冗談ですね」マナを見る目の光がきゅっと絞られる。批難か、高揚か。「私は身持ちは硬いvirtueですよ。美徳virtue回路がありますから」
 T4-2が頭を人差し指でこつこつ叩く。
「それに私はあなた一筋ですから、よそ見はいたしません」
 そして中身のぎっしり詰まった己の硬い胸を拳で叩いた。眼差しは言葉通り真っ直ぐマナを射抜いている。
「冗談言ったつもりじゃないんだけど」
 目の前の機械は人心を惑わせる。人の肉体を傷つける事は能わぬが、精神を滅茶苦茶に弄ぶ事に関しては頓着しない。
「同衾した相手に自分の持てる物を差し出したいと、そうあなたが思っていらっしゃるからといって他人もそうだとは……」
「やめて黙って」
 T4-2は自身の唇に人差し指を宛がいながらも続ける。
「本当にお分かりになりませんか。あなたは存外と鈍い方です。私の両手では抱えきれない程の贈り物は、ご近所の平和と自由を守った事に対する彼らの心尽くしの返礼ですよ」
 マナは俯いた影の中で密やかに笑む。鋼鉄の英雄は、大蟹退治の難業で近所を魅了してしまったというわけ。
 気づけば既に自宅の玄関先。
 路に面した居間の窓からは暖かな明かりと、楽しげな話し声が漏れてくる。煌々と照る玄関灯には大きく肥えた鈍色の蛾が羽音うるさく纏わりついている。
 T4-2は何の気なしといった風に虫を手で追い払おうとする。
「ほっといてやんなさいよ。襲ってくるわけでもなし」
 T4-2が腕を下げ、マナに向き直る。
 月のように穏やかな瞳の輝きはとても真摯で、どことなく物悲しげ。
「私のためでしょうか」あなたのあの露悪的な戦いは、と痛むかのように胸に当てられる白い手。
「あたしのため」マナはT4-2の胸にあてられた手を下ろしてやる。「自己満足。気分が悪いのよ、疎まれてる人を見るのは」所詮、いつまで経ってもどこに行っても異邦人のような自分を救うための形代のようなものなのだ、目の前の汎用亜人型自律特殊人形は。
 機械の全身から溢れる、人間じみた溜息。
「私達が本当に二人で一人なら、あなたへの偏見も同様に濯がれるべきです。あなたもパイロットだと、大声で叫ばないと」今ここで、と月を背負うT4-2。
「そんなもん、言わぬがなんたら知らぬがどうたらでしょ」
 後ろ指刺される度に、陰口を叩かれる度に、お前達を助けてやっているのは自分だ! と心中叫んで精神の平静を保つため、名乗りを上げないだけなのだ。もしくは責任逃れ。
「それに、片手を洗えばもう片方の手も綺麗」
 玄関の引き戸にかけたマナの手に、引き留めるようにT4-2の手が乗せられる。いつの間に手袋を外したのか、その手は月光を受けて輝く鈍色。そして温かい。
「あなたは私を世の批判的な目から覆い隠す盾です。あなたの方が私よりずっと、保安官と呼ぶのに相応しい。あるいは人助けの後に風の様に去る射撃手。私はそんなあなたにただ眷恋するしかない」
 振り向くと、マナに覆いかぶさるように身を屈めている汎用亜人型自律特殊人形。
「買いかぶりすぎ」ケンレンだかの意味もマナにはわからない。
 引き戸と鋼鉄の軀の狭間に囚われ、酔いの回ってくる身体。
 屈強な身を覆せるように寄せられると、低い声で甘言を吐かれると、くらくらと眩暈がする。
 破壊の為に生まれた人間もどきは、身も心も、平和的な機械の眷属であった。
「本日は夜の日課はございますか」
 この流れで、ないわけがない。
「お風呂入った後がいい」
 マナは二つの満ちた月を仰ぎ、三日月に刹那の接吻。
「ご近所さんから見えてしまいますよ」
 夜とはいえ人通りはまばらにある。隣家の窓からの痛い視線も感じる。そして玄関灯はさながらスポットライトのように二人を宵闇に浮き立たせる。
「見せてんだよ」
 挑発的な顔で、マナはT4-2の後頭部を押さえつける。
 再び長く重ね合わされる唇。
「玄関先の……ひどく汚れた洗濯物ですね」
 薄気味の悪い機械は、唇の情交が隣家によく見えるように顔の角度を変え、妖しく笑った。