城主の帰還 - 2/7

 男は目の前の妻に何か声でもかけてやろうと思ったのだが、何を言えばいいのか一向に思い浮かばなかった。男は片眉を上げて一瞬思案するが、それも不自然だろうと城に入る事にした。
 使用人の前では、男は妻にまるで興味がないかのように振舞っていた。女に心を奪われた揚句に現を抜かしていると勘繰られるなど真っ平だったのだ。だから、人前では自分から妻に話しかけるような事は決してしないのだった。
 というよりも、今はせり上がる欲望をどうにかする方に心を奪われているせいで、思考が続かないためでもあったのだが。
 男は妻の五つ目の贈り物によって砕けそうになる腰を心の中で叱咤しながら、奥にある城主の間へと急いだ。それは尾てい骨と腰骨の奥、性器の裏側を遠慮なしに苛む。特に階段を上る時が一等難儀であった。
 部屋に戻り、男が震える手で寝室へと続く扉に手をかけた所で、後ろに側仕えがおもねるように立っている事に気づいた。
 着替えを手伝うと申し出たそれを男は手で制し、妻を呼ぶように命令した。
 側仕えが隼のように素早く去るや否や、男は寝室に飛び込み、アカンサスの装飾のついた豪奢な寝台にぐったりと倒れた。
 その瞬間、男の中に深く穿たれていた妻の五つ目の贈り物が激しく内部を抉った。
「くおぉ、んむふぅ……」
 太い喘ぎを上げながら、男は舌を突き出し、涎を垂らした。唾液は青黒く長い、見る者を威圧する鬚を伝う。
 男の脹脛はびくびくと痙攣し、今にも絶頂を迎えそうであったが、そうはならなかった。
「ふぉ、ああ、早く……早く来てくれっ」
 妻の名を呼びながら、男はうつ伏せになり腰を高く上げた。そして、股間の前当てをもつれる手で外した。
 湿ってむうっとした空気と臭気が解放された。そして男の怒張も。
 太く長く、黒く焼けたそれは、腹につかんばかりに限界まで張りつめていた。膨らんだ先端からは欲望の先走りがとめどなく溢れ、窮屈な前当てに押し込められていた砲身は、全体がしとどに濡れていた。
 男は濡れて滑る性器を、スラッシュの入った皮手袋をした手で握りしめ、激しく扱いた。それが火に油を注ぐ結果になる事くらい、この一カ月で嫌と言うほど学習していたにも関わらずだ。
「あがぁっ、おごぉっ!」
 遂情したいのに出来ないもどかしさに、男は慟哭した。扱く手が根元に差しかかる度に、固い金属が小指に触れる。
 娼婦が金払いのいい男を誘うように浅ましく激しく腰を揺らすと、腰の鍵束が、六つの鍵が哄笑する。
 六つ目の贈り物は、男の男根それ自体に装着されていた。
 男の射精を阻んでいるのは金属の輪であった。下に小さな錠前がついて揺れている。
 出発前にこれをつけろと言う妻と男は大分揉めたのだが、結局うまく丸め込まれて折れたのは男の方であった。言い争いは嫌いだった。しまいには手が出そうになるから、早々に条件を飲む方が得策なのだ。手を出しても一向に構わない相手にはその限りではないが。
 金輪はまるで貞操帯のようで、見る度に羞恥を覚えるのではあったが、自身の潔白を示すには丁度良い。女遊びをしに行くわけではない。男はそれくらいに思っていた。
 しかし余裕でいられたのは一日目の夜までで、眠りに就こうとすると、夜毎交わした妻との情事がありありと思い起こされた。どうして冷静でいられようか。
 それからは地獄であった。
 早く城に帰りたいという思いばかりが彼の精神を支配していた。
 王都へ着いてからも、王への謁見を待つ間に旅の疲れを悠長に癒すどころではなかった。男は無礼にも衛兵を手荒に振り切り謁見の間に突撃し、国王の申し出という名の命令を手酷く拒絶した。
 他国侵攻になんぞ協力してたまるか。兵士の小指一本だって、物資の麦の穂一本だって供出しはしない!
 そして去り際には呪詛の言葉も忘れなかった。
 この命知らずが、捕虜になるのが関の山だな!
 そんな傍若無人な行いが許されるのは、男が今となっては断絶した由緒正しい王朝の傍系の出自で、広い領地と枯れ果てない財力を持っていたからだ。
 しかし、王を王とも思わない所業が許されるのは、それより何より、父親の憂鬱な気質を受け継ぎ、直情型で癇癪が酷く、逆上すると都市の一つが簡単に焦土と化すと思われていたのが大きかった。
 自分の物への拘りも強く、偏執的で偏屈。その妻に対しても、城壁の外には決して出さないと噂されていたし、領地の農村までも、金と人手に飽かせて広げた城壁の中に囲い込んだのだ。
 それが伊達や酔狂ではないと周囲に喧伝せしめたのが、四方を囲む大帝国からの都市解放要求を突っぱね、反撃に出た戦であった。
 恩を売ろうとした国王の援軍が到着した時には、すでに死臭を放つ終結が訪れた後だった。
 普通ならその無駄に立派な城壁に籠城して戦わないのが正解だろが! ヒトシくん人形全部ボッシュート! 報告を受けた王はそういうような事を宮殿で叫んだという。
 公爵はガチのキ○ガイ。帝国先兵の惨状を知った大抵の周辺諸国はそう結論付け、それ以来公爵領にお触りしないようになった。
 救いは、あまり他人に興味がなく、自分から挙兵して他国占領や、王位簒奪に乗り出さない事であった。
 そういった諸般の厄介な理由により、無理に命令を通して怒らせるよりも、王都から遠く離れた辺境の城塞都市に引き籠って、せこく内政してくれていた方がまだましだと国王は結論付けたのだった。
 そしてようやっと解放された男は、夜半にも関わらず、その家族を盾に御者を恫喝し、共の竜騎隊も置き去りに、矢のように馬車を走らせたのであった。
 早く城に戻りたい一心だった。そうして早く、妻に己の心を分かってもらいたかった。
 妻が嫉妬から金輪をつけさせたのではないと男は知っていた。それは、男にその鍵を持たせた点でも明らかだった。
 男が見ている限り、妻は、嫉妬などという低俗な感覚を持ち合わせてはいなかった。だから男はもどかしいのであった。自分が愛されている証が欲しい。男は貧弱な愛――それは恐らく自己愛であろう――しか知らなかったために、嫉妬や憎まれる事でしか相手の愛を計れなかった。そして、相手は地位や金で男の愛を計ると思い込んでいた。
 それなのに妻は、今まで出会っては別れたどの女よりも、無欲で、感情の起伏も穏やか。しかしどんなに酷い仕打ちを受けても折れない心がある。まるで石のようであった。
 東洋の蒔絵細工、インドの生糸で織られたベルベットのドレス、北欧のレースや琥珀。どんなに高級な物を贈っても、確かに喜びはするが、男の妻はどこか悲しそうだった。普通の女ならば、わざとらしく喜ぶ物のはずだというのに。
 それどころか、自分に金を使うのはやめてほしいとまで言われた。物の価値がわからない学の無い女なのですから、と。
 代わりに妻の家族に金を使ってやっても、同じように皆それを辞退した。たとえば妻の姉の貧しい恋人には、金と幾許かの領地を渡す事を、二人の兄には近衛隊長と竜騎兵隊長の地位を王に口添えする事を申し出た。不足のない提示だと男は思っていたのだが。
 では、しばらく王都にでも旅行に出ろと言えば、城の外に出るのは怖いと言う。特別に友達を呼んでも良いと言えば、友達は来られないと言う。
 何が不満なのか、何が欲しいのか苛立ち紛れに、詰るように聞けば、妻は悲しそうに微笑んで男にこう言った。
「あなたがほしいわ。あなたの愛がほしいのです」
 数え切れないほどの薄汚い嘘をついてきた舌で愛を囁くのは、それこそ妻への背信であると男は思っていた。心臓を抉りだして、それに深く妻の名が刻まれているのを見せてやる事も出来ない。
 男は泣きながら妻の名を叫んだ。いつになったらやって来るのか。約束通り、一度も外さずに帰って来た。鍵で解放することなしに。
 妻に分かってほしかった。己の心を。
 男には、こうする事でしか妻への愛を示す事が出来ないのだ。
 妻の望むままにすることでしか。
「んっ、むあぁ、愛して……ああっ!」
 先走りがどろりと寝台に垂れる。睾丸は脈打って、早く欲望を噴き上げて空になりたいと、痛いほどに主張している。
 扱く手が早まる。指輪を見せるために空いたスラッシュが筋に引っかかり、その度に高く上げた腰が痙攣する。
「あ……?」
 そして、突然の開放感。
 幸か不幸か、金輪をしっかりと留めていた錠前が壊れて、小さな音を立てて寝台に落ちた。
 凝った欲望の塊が、先端からどろりと緩慢に垂れ始める。
「ひっ、あ、駄目だ、ああ」
 手の動きを止めなければならないのに、愉悦を求める肉体は男の精神を裏切る
「ああっ、うそだ、厭だ、厭だッ――」
 筋肉を張りつめさせ、必死にこみ上げる欲望を止めようと試みる。
 なんとか金輪を嵌めようと、片手で必死に取り着けにかかる。
 何度も滑っては落としを繰り返し、やっと根元に嵌ったと思った瞬間だった。
「まあ……バランタンさん」
 扉を開けて入ってきた妻のその声に、全身の筋肉を痙攣させながら、男は遂に己の暗い欲望を激しく噴き上げた。
 「んはっ、ふおぉお、っあ、ああ、クロード、クロードぉおっ!」
 一カ月溜めたそれはなかなか止まらず、男は息をする方法も忘れて長い射精に喘いだ。
 ただ、肉体は法悦を感受してはいるが、その実、心の中では妻を想って激しく落胆していた。
 六つの鍵の束が揺れ、男をせせら笑っていた。