at the cafe - 1/2

 冷えた器に形よく盛り付けられたバニラアイスの白く滑らかな丘を琥珀に輝く酒精が彩る。
 いつものあのアイスのやつ、と言われて来海が提供するのはこれだ。
 これを頼むのは最近夜営業の常連になった女性で、見たところ、みるくと同じくらいの年頃だろう。肩のラインで切り揃えられた艶やかな黒髪に、それこそバニラアイスか雪のように白い肌。柔らかいコンサバティブな雰囲気の服装も相まって、淑やかな印象。
 しかし初めて来店した時の連れ——恋人——との会話や行動を見るに、淑やかというよりは快活で積極的な性格のようだ。
 彼女はそれからちょくちょく一人で来て「いつものあのアイスのやつ」を注文する。バニラアイスのコーヒーリキュール掛けが気に入ってくれたに違いない、と来海は内心ご満悦だ。アイスは自家製で、味には結構自信があった。どんなリキュールやジュースにも馴染んで引き立てる味わいに仕上がっている。
 今夜もその女性は二十時過ぎにやってきてカウンター席に着くと「いつものあのアイスのやつ、お願いします」と微笑む。
 かけたリキュールはさほどの量でもないのだが、そこまで酒に強くないのか、彼女はいつでも一口舐めるだけで頬の血色がよくなる。まるで花が綻ぶように。
 本日もそのご多聞に漏れず、すぐに頬は薔薇色に染まる。二口三口と、いつもより素早く口に放り込み、性急に飲み込んで、女性は何かを探るように店内を素早く見回す。
 水曜日は客足が少なく、店内にはその女性とマスターの来海だけ。
 女性はひとつ小さな息を吐いて、来海に声をかける。
「聞きたい事があるんです」
 うわずって掠れた声だった。面持ちは緊張して、ただの雑談でない事は火を見るよりも明らかだ。
「はい、何でしょう」
 その緊迫した気配を感じ取った来海の心臓もどきりと強張るが、表面上はなんとか取り繕っていつもと同じ調子で返す。
「マスターは狩野ハルさんの元カレですかっ!?」
「ひぃぁ」という妙な音を出したのは来海の喉だ。
 狩野ハルは先日この女性を伴ってここに来店した人物で、会話の様子からして彼女の恋人だ。そして常連にして——
「そうなんですねっ!?」
 カウンターに手をつき、たたみかけるように身を乗り出す女性。来海は後退り叫ぶ。
「ちがいます! 名誉のためにそれだけははっきり否定します!」
 しかし火に油を注ぐ結果にしかならない。
「ハルさんと付き合うのは不名誉だって言いたいんですかぁあ!?」
 噛み付くような勢いはまるで縄張りを主張する野生動物で、そういえば恋人からは狼さんと呼ばれていたなと来海は思い出す。見かけによらず野趣溢るる激情型だ。
「ち、ちがいます。本当に、恋人とかそういうのではないので……」
「ただの常連って事ですか。じゃあなんでハルさん、意味ありげな目であなたを見ていたんですか」
 確かに意味のある視線を向けられてはいたが、彼女が想定しているものとは大分違う意味の眼差しだ。
「関係ないわけないですよね」
 客商売を生業にしているが、来海は嘘をつくのもはぐらかすのも上手い方とはいえない。そして目の前の相手は納得のいく答えが出るまで退かない気配がある。
「あー……」仕方なしに来海は消え入りそうな声で答える。「関係はあります」
「おぉっ、セフレかッ!?」
 再び野生の激情が噴き上がる。しかしその突拍子もなく事実でもない言葉に、来海の狼狽は薄れる。
「いえそういうのでもなく、落ち着いてください。彼は私の兄です」
「えっ」
「兄弟なんです」
 ふぅん、と一呼吸置いて、改めて狼は叫ぶ。
「形が違うぅ!」
 そう思うのもさもありなん、兄に比べれば来海は長身痩躯だ。
「色も違うぅ!」
 そして兄が乳酸菌飲料なら来海はアメリカンコーヒー。
「私は兄と違って運動はあまり好きではないですし、コーヒーをよく飲みますから」
「いやフラミンゴじゃないんだから!」食べ物で体色が違ってたまるか! と狼は盛大に吠えてから、いや、いや、と興奮を追い出すように頭を強く振って深々と下げる。ごつ、と音を立ててカウンターに額がぶち当たる。
「勘違いして失礼な事言ってすみませんでしたあー!」
 いえいえお気になさらず、と来海は手を振る。
「兄とはいえお客様ですから、お客様が話さない事を私から言うのも憚られまして、余計な勘違いをさせてしまいましたね」
「いや、わたしが悪いです。気になると一直線になっちゃって」
 とりあえず妙な誤解は解けてよかったと来海は胸を撫で下ろす一方で、がっかりしたのも確かだ。店を気に入っていたからではなく、恋人の過去を探るために通っていたのだと知ってしまっては。
 しかし見方によってはそれはそれで健気で純粋な恋情のようにも思えた。来海と一対一になる機会を掴むまで足繁く来店し、毎度安くもないデザートとコーヒーを頼むのだから。そして残さず食べていく。えらい。
 来海はそこまで想ってもらえる兄が羨ましくなった。肌を重ねる事はあれど、みるくは限りなくドライであまり来海そのものについては興味がなさそうに見えるし、いつかふらっとバイクで出たまま、戻ってこなくなりそうな気がするのだ。
 みるくはまるでバニラアイスだ。どこの誰とでも上手くやれるし一人でも十分生きていける。来海はみるくがいないと死んでいるも同然なのに。
「でもそれならそうとハルさんも言ってくれればいいのに」マスターは自分の弟だって、と狼は呟く。
「ぼんやりした所がありますからね」とは言ってみるが、絶対にわざと言わなかったに違いない、と来海は確信している。
 兄は若くてかわいい恋人をやきもきさせたくて思わせぶりな眼差しをしたのだ。その目の色には朗らかな恋人を弟や他の客に見せびらかして優越感に浸った彩もあった。
 万人に見せる昼行燈な調子は見せかけで、兄は一皮剥けばかなり屈折している。夜になれば尚煌々と照る誘蛾灯。個人的に深く付き合うと苦労をするタイプだ。実際来海はこのように迷惑を被った。
「そんな兄ですが、よろしくお願いしますね」来海は腰を折って丁寧に頭を下げる。「あなたの事、きっと大事に思っていますから」
 兄が来海の店に誰かを連れてくるなんて初めてだ。なにしろ彼は体だけの後腐れない関係を好む。だから個人的なテリトリーにそういう相手を引き入れる事は絶対にないのだ。つまりこの“狼さん”にだけは心の関係も望んでいるのだろう。
 狼には兄の心を掴んで離さない何かがあるのだ。みるくが来海にとってそうであるように。
 ってぉ゛あ゛あ゛っそういえばみるくさん遅いな!?!?
 来海の脳裏に唐突に狂気が満ちる。壁の時計を見れば既に二十一時を回っている。
 みるくはまだ外科のリハビリにもたまに通っているしそもそも単車それ自体が危険な乗り物だし身体機能がそれなりに回復したと分かったら家族が夜の仕事だけはさせようと連れ戻しにくるかもしれないし両性具有というだけで変質者に目をつけられがちだしそうでなくとも人目を惹く所があるので非常に大層すごく心配なのだ。
 そして今でも時折みるくがあの大事故に遭った時の情景がフラッシュバックして身体が内側から爆発しそうになる事もある。
 そういう憂いを剝き身でぶつければ、みるくは面倒臭さを感じて出ていってしまうだろうから、来海はこうしてひっそり精神を灼け焦がすしかない。
 一度同居人が帰らないと警察に通報したら逆に来海がみるくとどういう関係なのか執拗に尋ねられたし、みるくにもすごく叱られたので110番は最後の最後、究極に困窮した際の手段だが多分今がその時の気がする! と来海はカウンターを跳ね上げて飛び出すと店内の片隅に設置されたピンク色の電話に手を伸ばす。
 受話器をあげて緊急通報しようとしたまさにその時、ドアベルが涼やかな音を立てる。
 薄く空いた扉の隙間から覗く白い顔。いつもより帰宅が遅くなったせいか、バツの悪そうな表情が浮かんでいる。ごめん、と小さな唇が声なく動く。
 すべてどうでもいい事だった。こうして無事に帰ってきたならば。
 来海はそうした感情をこめて破顔する。
 みるくは、おぁあー、という手負いの猫のような謎の鳴き声を残してぴゅうと去った。たまに変な声をあげるのも来海としては心配だ。事故で頭を強く打ったせいかもしれない。今度脳外科の受診も強く勧めなくては、と決意する。
「本当に、兄弟なんですね」
 ん? と来海は首を傾げる。アルコールのせいで元から赤かった狼の顔が何故だか更に熱っぽい。
「今一瞬笑った顔が、その、ハルさんがえっ……たまにする表情に似てて……」
 そう言って狼は居心地悪そうに身動ぎするとスツールを蹴倒さん勢いで立ち上がり、カウンターに紙幣を押し付ける。
「おつりいりません! 帰ります! また来ます!」
 ああ、また来てくれるのか、よかった、と来海は安堵の笑顔を浮かべて、それを見た狼は小さな悲鳴を上げて店から逃げ出した。