祝日特急南西へ - 1/7

 束の間の意識の休息の後、開け放った目に映る紫色の空を古代の弓矢のような火球が彩っている。
「死んだ星が降り注いでいる。綺麗だね」
 目覚めたばかりの聴覚に心地の良い声。半分あの世から響いてくるような、低く茫洋とした、若くもなく、かといって年老いているでもなく、まあとにかく男の声だった。
 少女は飛び起きて、そして自分の手がしかと握られている事に気づいて力任せに振り解く。
「他人に軽々しく触られるのは嫌なものだね」
 悪かった、と男は少女に対して片方の手の平を向けて後退る。まるで野生の獰猛な動物を鎮静させるように。巨大な葉を垂らす木の根本、星明かりさえ届かない闇の中に男は埋没する。ただ白い手袋に覆われた手だけがぼんやりと浮かぶ。
 少女は面識のない者は生け取りかその場で殺すべしと言い付けられていたが、しかし隕石を降らせた直後の身体は思う通りになりそうもない。だがやらねばやられると、警戒心と殺気を全身から漲らせる。
「待って、無理をしないで。鼻血すごいじゃない」
 少女は腕で鼻の下を拭って舌打ちする。ここまで消耗しては後がない。
「安心して。僕はそういう人間ではないから。君達を執拗につけ狙うような。それにほら、見て、僕は」
 男は手を軽く上げたまま歩み寄ってくる。その異様に大きな姿が、ぬるりとした緩慢な所作が異形のものに見えて、少女は慌てて足元に置いていたカンテラを手に持ってそれを照らす。
 橙色の灯の元で見れば何の事はなく、ただ片脚を引き摺って歩いていただけだった。
「ただの傷痍軍人」
 どこかの国のものらしいかっちりした軍服。少々汚れたり破れたりもしているが、服としての用は成している。右袖の中は動きに靡いて空っぽで、肩から先がない事が窺えた。
「僕は力では到底君達には……君には敵わないからね」
 服の隙間からちらと見える肌は包帯でぐるぐる巻かれて、人種も何も判ったものではなかった。顔も同様。
「目見えてんの」
 男は目元まで一部の隙もなく包帯に巻かれて、まるでミイラのようでもあった。
「クレヤボヤンスだから」
「なにそれ」
「対象物が遮蔽されていても」男はそこまで言ってから言い直す。「目を閉じていても物が見える。物陰にあったとしても。真っ暗闇でも」少女の理解の芳しくなさそうな反応を受けての事だろう。
 男も自分と同じ超能力者で、そして直接危害を与えられるような能力でないと判断した少女は少々警戒を弱める。
「ここの人? 見た事ないけど」
 研究所の超能力者かという意味で問う。男は首を横に振る。
「違う。けど、自分で言うのもなんだがいい人だよ。君の力になれる。味方だ。ねえ、マナ」少女は包帯越しに男の強烈な視線を感じた。超能力の発露の気配とでも言おうか。頭の天辺から爪先まで舐めるように見られている気がした。「ちゃん」
「人違いだ」
「そんな」男の声には明らかな落胆と狼狽があった。「でも……じゃあ、君の名前を聞いても?」
「ない」
「ない、わけ、ない、でしょう」男は噛んで含めるように一語一語ゆっくりと発語する。
 少女には壱式磁力とか磁石人間第一号とか、異能力零号とか、そういう識別名称しか与えられておらず、男が意図するところの人間らしい名前などつけられていない。彼女は男にそう教えてやった。食い下がってくる様子がちょっとだけ可哀想に思えて。
 すると先程までの暗い雰囲気はどこへやら、男は馴れ馴れしく「なんだ、名前がないなら何と呼んでも構いやしないという事だ。つまりマナちゃんで正解というわけ」と言った。
「頭おかしい」
 そうだね、と男は嬉しそうに笑う。
「あんた何者」
 少女に問われて男は答える。
「透明人間」
 どこか程近くに堕ちた星が海水を跳ね上げ、地を揺らした。少女はカンテラを取り落とし、辺りは深い闇を取り戻した。

 火球や闇が彩る夢の終わり、閉じた瞼の外側が穏やかに明るい。おそらくもう朝で、起きなければならない。やらなければならない事があった気がする。どこか不完全な、落ち着かない気分だ。
 まだ身体も怠いし眠たいがマナは思い切って目を開ける。
「あんたか」
「私です」
 マナの瞼を照らしていたのは陽光ではなく月光に似た二つの目。どうりで不快ではなかったはずだ。いや、額どうしが衝突せんばかりの至近距離で観察されていた点については不快だが、その眼光そのものの性質はまったく不快ではないという意味。
「いつも寝ないでずっとあたしの事監視してるの」
「はい、あなたと同衾した時にはいつも」頷き、ぴょんと立てられる人差し指。「ちなみに監視ではなく観察です」
 なんたる暇人にして偏執狂であろうか。何の変哲もない人間の顔を一晩中見つめているとは。そのうち顔に穴が開くな、とマナの脳裏に誰に聞かせるでもない冗談がよぎる。
「夜は寝なよ」
「以前にも申し上げた通り、私に睡眠は必要ありません」
 機械の軀に休息など必要ないのだ。ただしそれも一長一短で、人間ならば大抵の疲労や怪我は安静にしていれば回復するが、彼の場合は修理が必要だ。多少の不具合ならば自身で診断・修繕が可能であるが、今抱えているような大きな問題の場合にはその限りではない。そこらにいる人間の医者と違って、汎用亜人型自律特殊人形の不調を扱えるのは牧島博士ただ一人。しかも鎌倉在住。せめてもう少し近くに住んでいてもらいたいものだ、たとえば神田とか、お茶の水とか、とマナは心中ぼやく。
「そうだ、行かなきゃ、鎌倉」
 やらなければならない事。それは外を出歩いても恥ずかしくない程度の身支度と、泊まりのための荷造りだとマナは遅まきながら思い出す。
 マナは布団のように覆いかぶさっていたT4-2を押し退け起き上がり、そこでいつもと違った部屋の雰囲気に困惑する。
 身体の下にあるのは萎びた敷布団ではなく分厚いマットレス。殺風景なはずの部屋には圧迫感ある洋家具が敷き詰められている。
「なんであんたの部屋で寝てるの」
「お忘れですか、嘔吐して昏倒なさった事」
 マナは頭を抱える。本当に頭が重たかった。飲み過ぎだ。それと、昨夜発覚したいろいろな問題が一度に押し寄せてきたせいで。
「ああ、うん、そうか、そうだった」
 運命だとか宿命だとか、スターストライカーだとか実に恍惚と述べるT4-2のせいで気分が悪くなり彼に吐瀉物をぶっかけたのは思い出した。その件についての続きはまだ聞いていない。そんなに聞きたくもないので自分から水は向けないでおく。
「それ以上言わなくていい」
「ご安心下さい。あなたのお部屋の清掃は済んでおりますから」T4-2は、自身の唇に人差し指を当てながら声を発する。黙らないのならなんのための身振りなのか。皆には黙っておいてやるという意味か。
「お世話様」
 お役に立てて何よりです、とお上品に頭を下げるT4-2を尻目に、マナはベッドから降りる。
「まだ出発には早いですよ」
 彼の指差す窓のカーテンの隙間から差し込む光はまだ青い。何時間も眠っていないようだった。
「支度しないと。着替えとかさ。選ぶほど衣装持ちじゃないけどね」
「私の服をお貸ししましょうか」
 部屋の主人はクローゼットを開け放ってベッドの上に盛大に服を散らばせてゆく。
「あなたにはオーバーサイズの男子服も大変お似合いになると思います」
「着ない」マナは間髪入れずにすげなく拒絶する。
 他人の服を着る趣味はないし、そもそも誰かが着た服を身に付けるのはどうにも気が乗らない。マナはがさつなようでいて妙に潔癖なきらいがある。
「そんな。いい品ばかりなのに」
「そんなにいいなら自分で着れば」
 ふむ、とT4-2は思案する様子を見せて、クローゼットの扉についた鏡に映った自身の虚像を眺める。
 自惚れ屋め、と悪態つきながら部屋を出ようとするマナを機敏に捕らえる機械の腕。
「充電をしましょう」
「何の事」とマナが聞き終わる前にT4-2はマナを唐突にクローゼットに追い詰めてきつく抱きしめ、寝巻きの合わせに手をかける。勿論着せるためではなく、脱がすため。
「修理の前に満充電しておきたいので」
「だから充電てなんなの」
 手を掴んで止めようとするマナの抵抗など、謎の動力と部品で動いている汎用亜人型自律特殊人形には何の障害にもならない。
「仕様書をお読みになって下さったのならご存じのはずです」
「わかってるって充電の意味は」
 T4-2が胸に秘めたる無限のエネルギー源も、それ自らが期をみて適当にエネルギーを発するわけではない。
 隕鉄の心臓部がT4-2にそぐわしい動力を生み出すためには原動機を動かす必要がある。原動機を動かすためにはある程度の強度の継続的な運動が必要で、最も効率がよいのが走行だ。つまりランニング。それを一日十分程度行う事でおよそ一日分の活動エネルギーが蓄電池に充電されるという仕組み。
「一緒に走るって事? そもそもあんた走るの嫌いよね」
 T4-2はあまり走りたがらない。二足歩行で走る姿は不恰好で無様に見えるとか何とか宣うのだ。まったく人間を馬鹿にしている。
「いっつも空っけつだから頭の調子悪いんじゃないの」
 仕事中は否応なく走らされるのだろうし、それでエネルギーは足りているのだろうと予想はつくが、性格上あげつらわずにはいられない。
「充電は朝晩にきちんと行なっています。でなければ今ここでこうしてあなたと愉快にお話できていませんよ」ねえ、と同意を求めるように軀の横で掌を上に向けて首を傾げるT4-2。同意を求められても困る。愉快ではないからだ。
「朝晩なんて走ってないでしょ、全然」
 朝と晩は大抵一緒にいるのだからマナはよく知っている。T4-2が走らずに何をしているのか。つまりナニをしているわけなのだが。
「ほんと自分の身体大事にしないよね」
 大事にしないのか、色欲に溺れて寝食を忘れる性格なのか、たぶんその両方。
「私は走行などという原始的で野蛮な方法よりも更に効率がよく、より生産的な行動を発見したのです。これはアンドロイド史に残る大躍進でしょう!」
 勿体つけた様子で言葉を切るT4-2。マナの背を嫌な予感が這い上がってくる。
「すなわち性的な絶頂です。そこに至るまでのそれもなかなかのものですが、その瞬間に原動機と核にかかる負荷といったら! 果てるとはよく言ったもので、過充電で軀が破裂しそうになります」
 自身の言葉で法悦極まったのか、T4-2は胸に手を当て身を仰け反らせ、蕩けた眼光を天に向ける。
「と、いう事で、ご理解いただけましたか。さあ充電しましょう」
「一人でやってな」
 全身から期待が沸き立つ様子のT4-2にマナは冷たく言い放つ。
「それも試みた事はあります、当然、ええ。ですがあなたとの物理的な接触がないと爆発的な動力が生まれないのです」
「欠陥品が、ひどい変態だな。絶対治してもらうからね、そういうとこ」
「修正しても構わないのですが、欠陥もまた完璧に設計のうちです」
 寝巻きを易々と剥ぎ取られて下半身を覆う下着一枚にされたマナは軽々とT4-2に抱えられ、洋服の敷き詰められた寝台に横たえられる。
 剥き身の背や腕に触れるお高そうな衣服のひんやりした感触。そこまでくると何を言っても何をしても無駄で、もはや諦めてマナは流れに身を委ねる。
「あんたの服、肌触りいい。鉄屑のくせに随分上等な服着てる」
「シルクやサテンの触感は大変官能的でしょう」私も大好きなのですよ、とT4-2。
 艶やかに照り輝く布地がマナの頬を、首筋を、鎖骨を、胸元を撫でる。それを追うように熱っぽい唇が肌を這う。T4-2にされるがまま、マナは、はぁ……と熱の籠った息を吐く。
「私だけでなく、私の持ち物にもあなたの痕跡をたくさんつけていただきたいものです。あなたの愉悦の残り香、接吻の紅色、絶頂の涙」
 シルクの袖口がマナの唇に重ねられて、その上からやんわり当てられる金属の微笑。角度や場所を変えて何度も落とされる接吻はシルクの肌触り。艶やかな生地が敏感な口唇を悦ばせて、凪いでいた情欲に漣を立てる。
 笑顔の張り付いた硬い唇は嫌いではなかった。むしろマナにとっては心地よく、安寧すら覚える。閨事以外でも触れ合わせたくなる時があるほどだ。親愛の情をこめて。
 執拗な接吻の雨が止んで、つるりと布地が唇から流れ落ちた後も、マナは硬い頬に手を添えて下から唇を触れさせる。薄衣の隔たりがなくなって久しぶりに直に触れ合う口唇の感触にいつも以上に鋭敏になってしまう。
 T4-2はマナを起こし、寝台の上で後ろから抱きすくめる。
「大変積極的でよろしいです」
 マナの視線の先には曇り一つない鏡。開け放たれたクローゼットの扉に取り付けられた全身鏡に映るマナは頬を染めて、赤い唇をうっすらと開き、ぐったりとその身を背後の男に任せきっている。下着に抑え込まれた性器は存在感を醸し出し、愚直に快感を求めて惨めったらしいったらない。
「こんなやりとり……充電に必要ないでしょ」
「十二分に必要です。まずは原動機に負荷の低い行為から始めなくては」
 マナにしてみれば、まだるっこしく、そんな事をするくらいなら走った方が早いとしか思えない。それ程までに走りたくないか、あるいは淫らな事をするための言い訳にしているのか。おそらくその両方だろう。
 大きく温かな手がマナの両の乳房を持ち上げ寄せ集める。豊満な胸がより強調されて、深い谷間が刻まれる。
「あなたの胸は豊かで柔らかいですね。触れた場所から慰められてゆく、そのような気がいたします」
 硬い指先が胸の鬩ぎ合う狭間を辿り、そして薄く色づいた胸の先端の周囲を円を描くようになぞる。その中心に触って欲しくて、焦ったい感覚がマナを苛む。
 決定的な快楽を求めてマナの腰がうねり、背後のT4-2の軀に身を擦り寄せてしまう。素肌を悦ばせる彼の上等な服の感触。
 唇は勝手に背後の男の名を呼び、焦らされた胸は震え先端は指を求めてゆるく勃ち上がる。
 嗚呼可愛らしい、と耳元で低く囁く声。
「うる、さ……」マナがT4-2を押し除けるより早く、彼の指がマナの先端を過ぎる。「あっ、ゃあっ!?」
 貪るというより、思わず掠めてしまっただけのような感触。胸を起点として感電したかのような激烈な快感。
「あっ、あぁ……や……ぁ」
 痺れるような快感が胸の奥に去来して、下腹が重たく疼く。常ならぬ甘ったるい声が漏れて、マナは下唇を噛む。
 T4-2の指に乳房の突起を撫でられ、あるいは柔らかな胸に押し込み掻き混ぜられ、その弄ぶような追撃はマナをよがらせ肉欲を打つ。
「ぁあぁあーっ、だめっ、やだぁ、はぁ、ぃ……やぁ」
 身体が仰け反り、噛み締められた唇は緩み、堪らずか細い嬌声がもれる。行き場のない腕が宙を掻き、安定を求めて背後のT4-2の項に回される。縋りつかれた本人は満足そうに笑う。
「快感を求めて雄々しく私を掘り抜く時の瑞々しい表情もよいですが、快感を与えられて甘やかに蕩ける表情もよいものですね」
 鏡越しにT4-2と目が合う。彼の弧を描く唇はマナの痴態を愉しむ官能的な影がある。
 マナはというと、苦しげな顔はどこか甘く、肌を上気させて、物欲しげに胸を突き出し、腰は後ろのT4-2に押し付けて、まるで発情し誘っているかのようだ。というか事実そうだった。
 T4-2は十重二十重と敷き詰められた服の狭間からシャツを一枚引き出してマナの身体を覆う。そして艶めき艶やかな布地の上から彼女の胸を弄ぶ。
 全体を絞るように揉まれ、そのあとは癒すように先端をやんわり弾く。冷たく、きめの細かい薄衣一枚を挟んでの刺激は鋭く身体の芯を刺す。まるでT4-2の艶かしく蠢く指先から淫らな毒薬が体内に注がれていくかのような、邪悪な仄暗い愉悦。
 胸から染み入った被虐の邪淫によって思考が汚染され塗りつぶされてゆく。頭も体も肉欲に支配されて自分とは思えない。
「やっ、ぁんッ、あー、いゃっ、あ……」
「嗚呼、ああ、女の子のように可哀想なほどに喘いで。そうでしたね、あなたは女の子でした」
 マナは激しく頭を振るが、細かく震えて甲高い声で喚き散らす様はまごうかたなく女。
 下腹を覆う下着を脱がされれば、誘うように脚を大きく開く。ふしだらに揺らめく身体は娼婦のようでもあるが、脚の付け根に位置する性器は雄々しく屹立し掛けられたシャツを押し上げ、頂点に濃い染みを滲ませる。
「胸を触っただけでこんなにして」
 控えめに言って、“だけ”という触り方ではない。確固たるいかがわしい目的を持ったそれだ。
「あなたが自涜なさる時には、よく胸に触れていらっしゃいましたね。女の部分で欲を掻き立てて、男の部分で発散する……大変神秘的だと思ったものです」