「頭に迫撃砲が当たるのってどんな痛さだい」
そんなの頭に迫撃砲が当たるような痛さに決まっている。しかし当たったのが自分でよかったかもしれない。
『住宅街で飛び道具を使うな!』
拡声器を通して外部に出力されるマナの声はT4-2の声ではあるが、そこに彼の鷹揚さや慇懃な色はない。そして機械らしい平坦さも。
『ついてるもんは使わな、もったいないやん』
その言葉を裏打ちするように、そして見せつけるように背に負う砲口が牧島邸に向けられてゆく。
「やめろやめろやめろ!」
考えるより早く身体が反射的に砲口と牧島邸の間に陣取る。炸裂する砲弾。全身の痛み。燃えるような。
殴る蹴るの痛みで戦意を喪失するほど“やわ”ではないが、さすがに爆発は効く。
とうとう地に膝をつくT1-0。巨躯を支える掌の下で庭石が割れる。
『思った通り自分から当たりに行きよるね。それにしても精彩を欠く動きや。あのデカい盾くらい出したらどないやねん。具合悪いんか』
確かに具合は悪い。
T4-2がいなければ満足に戦えないなんて屈辱である。マナの心に深く迫る感情はそれだけではない。一人では守る事すらできないという忸怩たる苦痛。
腰に巻きつく機械仕掛けの腕が、耳元で囁く穏やかな声がないだけでこんなにも自分は弱く不完全だ。
『まぁた初めての時とおんなじやね、土つけられておしまいや』
ジェット噴射の乗ったパンチで地に沈められるT1-0、マナのお節介なくしては易々と攫われていたであろうT4-2……墨田工場でのあの情景がぱっとマナの脳裏に閃く。今その剛腕は己が右腕にあるのだ。そしてあの時よりは多少強い磁力も。
ついてるもんは使わな、もったいない。
その通りだ。
「よし、ジェットパンチで王手だ。神経接続みたいに、遠隔で操作できるんでしょ」
通信機から響く声は歓声ではなく海崎の怒号だ。
「やけを起こすんじゃあないよ! 右腕が爆発的に伸展して激突する、その痛みが」「わかってる」
「あんたは機械じゃあない、生身の人間だ。負荷がかかるのは右腕の神経だけじゃ済まない。右半身、あとは心臓……」
「いい。やって。その時がきたら合図するから」死ぬ気かい、と呟く海崎に「死ぬ気でやるけど死ぬ気はない」と答える。「終わったらT1-0も治してあげてよね」
T1-0はすっくと立ち上がる。
やらなければやられると思った時、痛みも悔しさもなくなる。精神の高揚が軟弱なすべてを燃やし尽くす。
『おおっ、諦めへんのは“らしい”やん。牧島重工製四五式トロイリ四型汎用亜人型自律特殊人形第弍号ちゃんは、そうでないとあかんわ』
喋りながらも機械公爵の攻撃の手は止まず、マナもノーガードで攻撃を受け続ける。防御に神経を割く余裕はない。すべては磁力に。
T1-0の黒いボディに奔る青い耀き。殴られ、蹴られ、そして撃たれ、凹んだボディに錯綜する光はいつもの直線ではなくまるで波紋か古代の紋様。
磁力の行き着く先は足元と、左腕だ。
左腕に這わせた磁力で無理矢理鉗脚を抉じ開ける。これさえできれば準備としては完璧だ。
そしてジェットエンジン搭載の重たい右腕でダークフェンダーの胸を殴りつける。素人のゆるい殴打は硬い胸板に辿り着くどころか相手の両手でがっちりと掴まれてしまう。それも想定のうちだ。当てる必要はなかった。相手がきちんと受け取ってさえくれれば。
『お、右腕返してくれるん?』
『その通り、お返しだ。しっかり持っとけ』
「いくぞジイさん、準備しとけッ」
開けておいた鉗脚がばちんと盛大な音を立てて閉じる。捩じ切られる肩関節。
『なっ、なにやっとんねん、うちの、いや自分の……』右腕を切除したのだ。T1-0の。逃げる為の自切ではない。生きて勝つ為の。
『やれっ、ジェットパンチ!』
マナの叫び声と共に火を吹く右腕。落雷か、地割れかと紛う程の轟音。同時に両足から流れ出る紫電が地を駆け抜けて電線を縫う。
敵への痛恨の一撃をジェットパンチに託せるならば、残りの磁力はハサミと電線の修理に充てられる。
『思った通り、右腕掴まえておいてくれて助かった』
爆煙が引いた後には、胸に大穴の空いた黒い巨軀が地に臥している。勝負はあった。
ほんの僅かだが、まだマナの体力は残っている。だが温存する程の量でもない。ならばここで刹那的に使い切るのが一番いい。
振り上げたハサミが陽光を受けて鈍く輝く。『で、お嬢さん、言い残す事は?』
『頭だけは切らんといて!』
『さて、どうしましょうねェ〜』
『ほんまに野蛮! あんたほんまにあの牧島重工製四五式トロイリ四型汎用亜人型自律特殊人形第弍号ちゃんなん!?』
機械公爵の耳障りな声が悲鳴に割れる。がちゃがちゃとリモコンを操作して不自由な巨体を逃そうとしているが、そちらにもささやかに磁力を投げておいたのでしばらくうまくはいかないだろう。
『そうです、私が、私こそが牧島重工製四五式トロイリ四型汎用亜人型自律特殊人形第弍号』
T4-2の声色を借りたマナの返答と、振り下ろされたハサミがその口を閉じるのは同時だった。
一瞬目を閉じて、次に開けた時には室内は青白い宵闇に満ちていた。窓枠の形に浮き上がった床の仄明かりはマナが先程脱ぎ捨てたT4-2の濡れた服を照らしている。
勝負がついた後は呆気ないものだった。胸が空洞化し迫撃砲を掠取されつつもダークフェンダーはどうにかこうにか飛び去った。その肩の上に立つ機械公爵は何やら捨て台詞を吐いていたが、負け犬の何とやらだ。
深追いはしなかった。T4-2がいなければ飛んで追いかける事も、磁力を最大限に発揮する事もできないのだ。この程度でもマナ一人なら十分善戦、勝利と称していいだろう。
気分よく起きあがろうとするが、戦いの疲労と痛みは未だマナを蝕みベッドに縛りつける。
戦いの終息に伴い昂揚が薄れると、マナの右肩は痛みという無用の長物を思い出した。その上、右腕は感覚がなく、ただ肩からぶら下がるだけ。すべて精神と神経が肉体に見せる幻だ。
牧島は不自由な右腕を抱えてリペアルームに戻ったマナに対して労いと礼の言葉を二、三かけた後に、T4-2の不調の原因を述べた。
「きみが戦っている間に調べていたんだけどね、オーバーヒート……つまり発熱の原因は冷却水の不足だ」
「あっそ。痛み止め欲しいんだけど。滅茶苦茶痛い。右腕引きちぎったような痛さ」
「滅茶苦茶痛くなってから鎮痛剤を飲んでも意味ないよ、残念ながら。若いんだから寝れば治るでしょ、たぶん」機械工学博士は生身の人間の不調にはさして興味はないのだろう。「そして冷却水が不足した原因は、はい、見てて」牧島はT4-2の腹腔内にある冷却水タンクから伸びる他とは毛色の違うチューブを指で辿る。「こういう事に使っているから」
マナは一瞬痛みを忘れる。呼吸も。
きっちり計算しつくされ整理された配置の機関を縫うように避けて、のたうち、絡まり、肉色のチューブは受容器に接続されていた。
「やだうっそ」
人体には百パーセント無害な化学的に完全に清浄な液体の正体。
「それで、二号の自己拡張の具合はどうなんだい。使い心地という意味で」
自分のせいで調子悪かったんじゃないか! とマナは叫び、蘇った肩の激痛に蹲った。牧島の質問には答えなかった。
神経痛はあっためるといい、と牧島よりは多少親身な海崎の助言に従い、マナは浴室で服の上から熱いシャワーを浴び、薬臭いシャンプーで頭も身体も服も一緒くたに洗浄した。そして水を滴らせながらのろのろとT4-2の部屋に戻り、入り口からベッドまでの間に服を点々と脱ぎ去って、裸のままシーツにくるまり、瞬きをするつもりで意識を失ったのであった。
いつの間にやら日の暮れた部屋の中、マナは未だ騒がしい神経に障らないようにゆっくり起き上がる。眠る前まで右肩から先は糸の切れた操り人形のようにぶらぶらしていたが、今は痺れを感じる。感覚が戻りつつあった。
マナは裸のまま部屋を横断し、壁際の書棚の前で立ち止まる。
整然と、ぎっしり、みっちり、とりどりの背表紙が居並ぶ様はまるで彼の脳味噌。各種図鑑に横文字の文学っぽい書籍から、吉屋信子に高畠華宵、あとは彼自身が記したのであろう日記や、蜂と蟻の観察記録。思考を覗き見しているようで妙な昂揚があった。
お行儀の良い本の配列を入れ替えて乱してやろうかと一冊に手をかけたところで背後のドアから上品なノックの音がする。
「自分の部屋に入るのにノックはいらないでしょ」マナは振り返りもせずに言う。
扉が開く音と、そうでした、という声。
「身体治ったの」マナは振り返り戸口のT4-2を見る。
男は片手を軽く上げ、翳りの中から月光の元へ出でる。安心感を覚える大きな軀の中、向かって左側がやけに寂しい。
「まだか」その軀に右腕はなく、歩みは右脚を引きずり痛々しい。
剥身の軀は月明かりを反射して蒼く煌く。隕鉄ならではの整然とした線状の輝きに所々、不揃いな反射が混じっている。歳を経た皺のような浅く細かい疵痕だ。こんなに傷だらけだっただろうか。私事に巻き込み酷い目に遭わせてきたせいだ。
「裸で歩き回るのやめなよ」
本当は、停電があったが軀に異常はないのかとか、色々ごめんとか、そういう事を言いたかった。
「いいではありませんか。楽園と思えば。それにあなただって」
T4-2の視線がマナの裸体を下から上までさっと撫でる。いつものように執拗に絡みつくような卑猥な色を含んだそれではない。懐かしむような、純粋に愛おしむような。何故か突然湧いてきた胸を押し潰すような切なさを誤魔化すように、マナは目の前の男を精一杯糾弾する。
「あんたさ、自分のせいで調子悪かったんでしょ。何が化学的に清浄な水だ。冷却水じゃない」
「正しくは、冷却水に少々の粘性を付加したものです」
「頭おかしい」
そうですね、とT4-2は嬉しそうに笑う。そして不自由な脚を畳み、マナの前に跪く。
「私と、私の大切な人を守ってくださってありがとうございます、内藤マナさん」
丁重に礼を言われてマナも悪い気はしない。というか気分がいい。
だがそこに、しかし、と水を差す不穏な言葉が続く。
「ジェットパンチの神経負荷に耐えるために自らの腕を切り落とすなど、合理的ではありますが正気とは思えません」
「生身の腕じゃないよ」
「外傷はなくとも感じる痛みは同じでしょう」
T4-2はそっとマナの右手を取る。じわりとした痺れは名誉の負傷の名残か互いを結びつける磁力のせいか。
「死ぬほど痛かったよ」マナは片方の口角だけ上げてへへへと笑う。
一方T4-2は限りなく細めた目に平坦で抑揚のない声。
「私は心配をしているのですが」
「心配、そう、よし。そう思うなら、あんたもそういう事はもうやめてよ」はて何の事、と首を傾げるT4-2のために付け加える。「わざと攻撃を食らうとか、身を呈するとか」
「善処します。しかしあなたは私が滅茶苦茶にぶっ壊されて死ぬところがお好きなのでは」
「あたし以外があんたにそうするのは許せない。だってあんたはあたしの物だから」
マナに所有される事を望むT4-2の事、マナの言葉に必要以上に喜ぶかと思ったが、今回はそうでもなく、俯いた笑顔はどこか暗い。
「あたしはあんたが、またああいう風に黙りこくって動かないで横たわってる状況になるくらいなら、なんでもするから」
なんでも、というのは本当に言葉通りの意味だ。掛け値なしに、命さえ。
T4-2は項垂れて、うーん、と思案げな声を発した後しばらく沈黙し、そして「あなたには、いくらやめろと言っても無駄ですからね」と静かに言って立ち上がると、マナを抱きしめる。
マナの素肌に当たる鋼鉄の膚はじんわりと穏やかな冷たさがあった。
「熱いの治ったんだね、冷蔵庫くん」
「そう呼ばれるのは随分久しぶりです」
「そう?」
「やはり冷たい方がお好きですか」
「どっちでも」T4-2がいつも通り必要以上に元気ならそれで「いいよ」
粗雑機械にしては珍しく、マナの投げやりな言葉の隙間に押し込まれた彼女の本意を読み取ったのか、T4-2はふふふと穏やかな笑い声を漏らす。
「お疲れでしょうから、もう休みましょうね」
T4-2は片手で軽々とマナを持ち上げて寝台に下ろし、自分もその隣に横たわる。
いつもならここから情を交わす流れになるのだろうが、珍しくT4-2にその気がなさそうなのは見てとれた。変質者ではあるが、流石に自分を守るために戦って負傷した人間を安静に休ませてやろうと慮るくらいには紳士なのだろう。
マナは痛む右腕を、T4-2は残存する左腕を上にして互いに向き合い、脚を絡ませ抱きしめ合う。
「秘密守ってくれたんだね。牧島博士にも言わなかった」T4-2とマナがそういう関係である事、一緒にT1-0に乗っている事、そしてマナが超能力者である事。「いい人」
「あなたとのお約束は守ります」
マナはT4-2の目を真っ直ぐ見上げて言う。
「ありがと」
「もう一回言っていただけますか」
「ありがと」
「驚きました。痛みのせいですか、今日は随分と素直ですね」
「ありがと」言いながらマナは痺れる拳でT4-2の胸を殴る。「いて」
「骨が折れますよ」
骨も肉も断った痛みの前では拳の痛みなど些細なものだ。
そうしてコツコツとボディを殴りつけ続けるマナの手を取り、T4-2は自身の微笑にあてがう。
「牧島博士に、破壊された部分以外は直す必要はないと仰ったそうですね」
「ガワしか治せないって博士も言ってたし」
「お喋り変態ストーカー野郎でもいいという事ですか」
「お喋り変態淫乱ストーカーマゾ野郎ね。よくはないけど、最初に会った時からそうだったから、今更変えられても。それはあたしが知ってるあんたじゃないから」
寧ろそうした変態性が矯正されて真っ当になってしまったら、マナでは到底釣り合わない清廉潔白な人になってしまう。
「それ以上にいいところあるし」
「たとえば、具体的に」
乗り出す軀。輝きを増す眸。
少し褒めると調子に乗るところはいただけない。
「顔と体」あと全部。と、心の中で付け加える。
なるほど、とT4-2は深く納得して頷く。
「力作ですからね。想像を絶する程悠遠な宇宙の英知と、それを再現した人々の」
マナはふと、浴室でT4-2が言っていた事を思い出す。
「今のあんたは、メンテナンス始める前のあんたと同じなの?」
「さあ、どうでしょう」
それ以上の疑問を抱かせまいとでもいうかのように金属の冷たい腕がマナを引き寄せ、マナは彼の身の内に囚われる。
頭の上から静かに降ってくる幻妙な声。半分あの世から響いてくるような、低く茫洋とした。
「たとえ私がこれまでの私から変容 した何かであったとしても、それでも、私があなたを想っていて、大切にしたいという気持ちだけは変わりません。長い時を経てやっとわかりました。何が私を私たらしめるのかというとそれは……」
完成だ、とマナはT4-2の胸の中で呟いた。
自分は不完全を再現した完全無欠のロボットの部品として完成したのだ。自分がなければ彼は単なるガラクタで、彼がなければ自分は潰しの効かない部品。
そう思うと図らずしも甘美な安寧があった。
こうして内藤マナは完成した。
THE END of Side by Side