嫉妬と献身 B - 2/7

『話をするなら五百円、写真を撮るなら千円』
 いい歳の女が、子供に向けて死んだような眼を向けて金を催促している。
 本庁会議室の大きなスクリーンに映し出されるのは醜悪な自分の姿。超豪華総天然色と立体音響の無駄遣い。直視できない。が、顔を背ければ頭を鷲掴みにされ無理矢理スクリーンに向けられ、目を瞑れば太い指で瞼を割り開かれる。まるで拷問。というか、拷問か刑罰そのものなのだろう。兄の秀にとっては。
 最悪だ。
「最低だな」
 スクリーンの真ん前に設えられた特等席に座るマナの頭を後ろからがっつり掴んでいる秀が吐き捨てる。地獄の底から響いてくるような恐ろしい声。この音は非常にまずい。大嫌いだ。いい状況とは言えない。
『子供からお金を取るなんて、悪い人ですね』
 会議室のそこここに置かれた五台のスピーカーから響く妙なる声。重低音がよく通る。相変わらず、いついかなる時でも聞き取りやすく好い声。当たり前だが撮影者たる彼の姿は映っていない。
 T4-2が昨日その双眸で捉えた映像は、彼の延髄から延びる三色コードと繋がる最新鋭も最新鋭の牧島重工製映写装置——勿論あの趣味の悪いMaxmaaa!のロゴ入り——を通して、二筋の月のような青白い光線をスクリーンに投げかけている。
 マナの後ろ、会議室に隙間なく詰められた椅子には内外からのお偉方がびっしり。立ち見までいる始末で自分が座っているのが申し訳なくなるような、特等席で気分がいいような。上映されているのが映画なら、自分は大スターでT4-2は名監督では、とマナの脳裏に一瞬馬鹿げた想像が過る。T4-2の影響かもしれない。
 巨大なスクリーンで輝くカメラのフラッシュ。マナがカメラを降ろし、女子大生風の二人組に突き返す。
『はい、お金。二人だから二千円。本当は二枚撮ったから四千円なんだけど、まけておいてあげるからね』
 女らしからぬ低くドスの聞いた声。三白眼も相まって、完全によくない質の人間にしか見えない。自惚れた事もないが、他人の目を通してみる自分がここまで酷いものだと知って気が滅入る。その上言動も褒められたものではない。
「この映像、昨日の夜から何回見せられたろうな」背後から響く地獄の拷問官の恐ろしい声。
 しめて五回です。とT4-2が指を広げた白い片手を彼女に向けているのが横目に映る。その全重量をパイプ椅子では支えきれないT4-2はマナの真横で直立不動。
「お前、まるで乞食か女衒だぞ」見なくても、秀の額に青筋が浮かんでいるのがわかる。
 T4-2の潜められたわざとらしい笑いが弾ける。
「あははあはあ、言い得て妙です」
 映像は大変に冗長で秀の神経を逆撫でする不要なシーンばかり。
 自分は昨日の事件の映像検証と事実確認の聴取のために呼ばれたはずだ。喫茶店でT4-2とだらだら楽しくお喋りするシーンを延々見る必要があるだろうか。マナは痺れを切らす。
「これずっと見てないとだめなの?」
「大事な場面だろうがよ」
 秀の言う通り、確かに映像の端には、煙草をふかしながらマナとT4-2の様子を伺う鷲鼻の男。蟲を模ったブローチ型の隕鉄を胸元に着けた、瞬間移動野郎。
 画角の広い横長の視野はまるでシネマスコープ。映像の鮮明さと音響の良さはそれ以上Image MAXmaaa!。人間と違って、視野の端まですっきりくっきり、聞く必要のない音まで背景音楽のようにばっちり収録されている。食器が立てる音だとか、店内に低くかかるクラシックだとか、隣の席の会話だとか。
 しかも、再生中でも、拡大縮小、任意の音の抽出がT4-2の制御によって可能という仕様。便利家電どころの話ではない。
 そもそもフィルムなしに映し出される映像なんて!
 鑑賞会が始まって早々、フィルムがない! と騒ぎ立てるマナに、T4-2は己の胸を指先でコツコツ叩いて、生得的硬質円盤駆動 Built-in HDD、とだけ言った。それで説明がつくとでも本人は思っているのだろうが、マナにはまったく解らない。
 マナの髪が秀の手によって後ろからグイっと引かれる。
「よく見てろよ。瞬きなんかするんじゃないぞ」
『瞬き?』
 夜通し映像の劣悪な遣り取りを見せられたのであろう秀の声と電影のマナの声が受け答えめいた共鳴をする。
『何? 誰が?』
「お前がだよ」
「こんなの完全に事件と関係ない、いらない部分じゃないの。編集しておいてよ」
 マナはT4-2の腕を掴んで密やかな声で糾弾する。T4-2はどこ吹く風で、両の人差し指をアンテナのように立てる。マナの素人修理のせいで、どちらも軽く屈曲し、歪み、ピンと立っているとは言い難かったが。
「編集してしまうと恣意性があると指摘される可能性があります」
『調子いいのねぇ』虚像のマナが機械の手を振り払う。
『調子がいいのは隅々まで整備が行き届いているからです』
 スクリーン中のマナの視線はT4-2の手元に注がれている。
 その視線の先には「夜毎の閨事に備えて」と書きつけられた紙ナプキンがあるはずなのだが、そんな物は当然映ってはいない。T4-2の視野外だから。こんなの撮影の段階で恣意性ありまくりではないか。
『回路引っこ抜いてやろうか』
 まったく本当にそうしてやりたい。今この場で。平時なら躊躇わずやっている。
「こいつの回路引っこ抜く方法があるなら教えて欲しいもんだな」
 秀の疲れきった呟きに、お教えしましょうか! と軀ごと機敏に後方を向くT4-2。項から延びるコードが長い尾か鞭のように床を掃く。私にも最近脆弱性が発生しましたので、そこを突けば一溜りもありません、と傾くアルカイックスマイル。
 マナには、脆弱な場所にいやらしい事をすればいい、という意味にしか聞こえない。銀幕が反射する青白い明かりしかない室で、T4-2の微笑は妙に色香を放って見える。
 マナの背後から聞こえる秀の盛大な溜息。彼女の頭を掴む手が怒り以外の意味で震える。
 またもや自身の妹と新人が俄かには信じ難い事件に巻き込まれ、その二人が馬鹿な遣り取りをしている映像を夜通し見せられているのだ。そしておそらく秀自身も色々と面倒な調査をされただろう。
 これで精も根も尽き果てないとしたら人間ではない。
「お疲れでしょう、私が代わりますよ」
 一人溌剌とした人間ではないものが秀の代わりにマナの頭を固定する。
「あんたあたしの味方なんじゃないの」
 マナの見間違いでなければ、T4-2は一瞬怯んだ風に顎を引くが、しかしすぐにいつもの芝居がかった大仰な所作で胸に手を当て微笑みを深めるように浅く頷く。
「正義の味方です」
 確かにあたしは“悪い人”ですよ、とマナはT4-2を睨んだ。
 質問です、とスクリーン横の雛壇の人物が挙手する。彼は映画鑑賞会の初めにご丁寧にマナに対して階級と名を名乗ってくれていたのだが、知性と品性に欠けるマナは聞いた瞬間に相手の情報など記憶の彼方。
「内藤マナさん、この男とはどういう関係ですか」
「ええっと」渡されたマイクを通した声は存外大きく、マナはちょっとだけマイクを遠ざけてから続ける。「よく知りません。墨田工場の事件の前の日、酒場で近くに座っただけの男です」
 マナは素直に答える。実際その通りで、名前すら知らない。
「座っただけ」T4-2がマナにしか聞こえないくらいの低く平坦な声を放つ。「それだけであれ程まであんな男と親しくなられるとは、あなたも随分と調子がいいではありませんか」
 昨日のマナの言葉への意趣返しといった所か。なかなか根に持つタイプのロボットだ。
「肩を掴まれたり、手首を取られたり、抱擁しようとしたり」
 それに結構しつこい。
「私の目にはごくごく親しいご友人のように映りましたよ」
 その上、今日は妙に厭味ったらしい。
 マナはT4-2への弁明とも、自分の発言の補強ともとれるような言葉を吐く。
「知らない人です。本当に、それだけです」
 質問は続いて、どこの酒場か、何時頃か、他に仲間はいたのか、などを聞かれる。
 マナが喋る度に書記が紙にペンを走らせる。後に引けない事を言ってしまわないかと緊張する。マイクはとても重たい。
 とはいえ、覚悟していたよりも優しい聴取だった。人知を超えた事件と技術の前では、マナの証言など大した意味も価値もないのだろう。事実の確認程度の物だ。
 事態に大きな動きのないT4-2と記者の長ったらしいやり取り——というよりは、殆ど執拗に映されるマナの食事風景——もゆっくりと見せられて、やっと金が無いだのなんだのという場面に差し掛かる。
『最悪。いい服着てるし金持ちかと思ったのに』
『最初から言っています。私はお金持ちではありませんと。お給金に服装手当がつかないか思わず尋ねて怒られるくらいに』
 撮影者をじっとりと見て性悪女が言う。
『じゃあ身体で稼いできて』
 いかがわしい意味ではないのに非常に倫理規定違反めいた言葉に聞こえる。
『あなたは本当に悪い人ですね』
 マナの髪が後ろから秀によってぐいぐい引かれ、耳元で押し殺した怒声が響く。
「お前のこの言葉! この言葉で! 俺は一生いい笑いもんだぞ!」
 何度見ても新鮮な怒りを覚えるようだ。
「よかったじゃない、みんなを笑顔にできて」
 マナは前を向いたまま唇の片方だけ上げて笑う。いつもの冷笑というよりは、苦笑である。
「マナさん、笑い者というのは嘲笑われるという意味ですよ」と、子供にでも言い聞かせるかのようなT4-2。本当に皮肉や冗談というものの片鱗もわからない精密機械だ。
 薄暗い会議室を照らす映像は佳境。
 グランドフロアから吹き抜けの喫茶店を見上げる画角が狭くなり、怠惰に柵に寄りかかり、つまらなさそうにしているマナの顔が大写しになる。
『早く戻って来ないと食い逃げするからね』
 呟いただけのその声はしっかりと集音されていた。不可抗力とはいえ、この言葉は現実となってしまっていた。
 そして、マナの背後に鷲鼻の男が立つ。
 びっくりするような早さで映像が引き、目紛しく景色が変わる。
 映像はグランドフロアを一足飛びに奥まで駆け抜け、早送りしているのかと思わんばかりの勢いで階段を駆け上がる。物凄い速さで駆けているだろうにも関わらず、映像が不快に揺れる事はない。
「走ったのね」
「はい。全速力です。しかし、そうは見えないでしょう。私の防振平衡補正機構はなかなかのものです」
 T4-2は優雅に腰を折って得意げに言う。
 そういう意味で“走ったのね”と言ったわけではないのだが、何と説明してやったらいいだろう、とぼうっと考えていたマナの頭が後ろから小突かれる。
「おい、質問に答えろ」
 意識を現実に引き戻されたマナに、おそらくもう一度同じ質問が繰り返される。
「この間、男とどういった会話があったのかお聞かせください」
 それこそ、何と説明してやったらいいだろう、とマナは長いマイクのコードを手繰り寄せて弄りまわしながら答える。
「置菱製作所のいん……いや……うん……はい」
 初手から失言発進しそうになり、マナは言い淀み目を泳がせる。