南の十字から来た男 - 6/6

「本当にあなたは精力がありますね」
 畳に敷かれた布団の上、仰臥したT4-2は己の軀の上に寝そべるマナの疲れ切った腕や腰を撫でる。愛おしげに、ひどく優しく。
「あんたの身体と声がやらしいから、見てるだけでなんかムラムラしてくるんだよね。けど今夜はもう無理だから。酔いが回ってきてくらくらしてきたし」
 精も根も尽き果てたマナは溜息と共に疲れた、と吐き出して、敷布団代わりの鋼鉄に身を預ける。マナが十分横たわれる巨躯はまるでスチールフレームのベッド。
「軀と声がですか。あなたに気に入っていただけているのは実に有り難いですが、己が力で手に入れた物ではないので手放しでは喜べません」
 他人の事は身体だろうが欠点だろうが手当たり次第誉めちぎるくせに、自分のそれには口煩い。
「あたしはあんたそのものが気に入ってる。元からあったものとか、そうでないとか、見分けつかないし」そこはほら、不可分でしょ、とマナ。
「あなたが私に優しいのは同情からでしょうか」
 鋼鉄の腕がマナを強く捕らえる。マナの返答に身構えているのかもしれない。
「優しくした覚えないんだけど。記憶を捏造しないでくれない」
「弱い者を慮るようなそういう……」
「あんたのどこが弱いの。そりゃあたまに切ないというか放っておけないと思う時もあるけど、それだけじゃなくて、いろんな気持ちと切り離して考えられないよ」それもまた不可分だから、とマナ。
「なるほど。今はそれで構いません。同情は恋の始まりと言いますから」
「始まらないよ」
「いえ、始めます」
 T4-2はマナを腹に乗せたまま上体を起こす。T4-2と向かい合う形で尻餅ついたマナは不服そうに唇を尖らせる。
 マナの唇から文句が零れ落ちる前に、鋼鉄の指先がそれを押し留める。
「私が超能力者を探していたのは、人為的に隕石をこの星に引き寄せられる者を探していたからです。あなたは先程、隕石を落とせると仰っていましたね」
「うん」
 研究のためと、超能力者達の強化のために研究員達に請われて実際に試みた事があった。
「あなたが隕石を落としたのは、1948年ではありませんか」
「たぶんそれくらい」
 マナの返答にT4-2は前照灯をぼんやりと霞ませて、そして嬉しげに細める。
「ああ、やはり、やはり……」
 鋼鉄の巨軀がマナの前で崩れるように跪き、鈍色の手が恭しく差し出される。思わずマナがそれを取れば、彼女の手はそのままT4-2の胸に導かれ、その中心にあてがわれる。燃えるように熱い掌と割れ鐘のように高鳴る胸に挟まれ、マナも、その手も戸惑う。
「内藤マナさん、果たしてあなたが私を」
「えっ」
 あまり知能の発達していないマナでもなんとなく察しはつく。
 つまりその機械仕掛の身を生かして動かして喋らせて、彼たらしめている隕鉄の塊は……。
 男がマナを探し出したのも、この上なく執着するのも、思慕の情を抱くのも……。
 すべて自分が撒いた種。それが歳月を経て結実したに過ぎない。
 マナには抱えきれない程の重たい衝撃が突然脳天を打ちのめし、遅れてやってくる激甚な酩酊。
「ちょっと待って気持ち悪いもう何も言わないで」
「堕としたのですね」
 恋に、とも、故意に、ともつかない蕩けきった声。
 隕鉄の男は両手を広げ、熱弁を重ねる。
「あなたが私の天命ならば、この不自由な軀に心を籠められたのは宿命で、それを解き放つ誰かを探し求めたのは運命で、あなたを守るのが私の使命ですよ。私があなたの前から姿を消すなど、そんな事あるはずがない。執着するのも自然の理。分散する必要などないのです!!!! ずっと探していました、スターストライカー、お母様、内藤マナさん」
「あっ、無理」
 マナはT4-2に吐瀉物をかけ、白目を剥いて昏倒した。
 遺伝子情報など刻み込んでやらずとも、並いる強者を打ち破らずとも、この男は逃れようもなくマナの物だった。
「私の目に狂いはなかった」

 それは、月のない夜の事だった。
 満天の星灯りだけが、つまらなそうに地に寝そべる少女を照らす。
 天で輝く十字の星座の中心から、星が一筋の青白い尾を引いてこぼれ落ちる。
 落ちてこい、と少女は夜空に手を伸ばす。
 流れ星に願い事をしたわけではない。ただ己の力に一縷の望みをかけただけだ。
 何は無くとも隕鉄が必要だった。それが無くては、自分達は近代兵器によって無惨に殺されるのみ。狙われ続けるこの生活に終止符を打つために、超能力者達の自由のために、隕石が必要だ。
 命さえ惜しまぬ強い力の発露に翻弄されて、泣き言漏らさぬ決意に満ちた心とは裏腹に、少女は譫言のように一つの言葉を繰り返す。
 誰か助けて、と。
 呼応するように誰かが彼女の手をとって、そして果たして望みは叶い、紫色の空を火球群が引き裂いた。それが後に南十字座流星群と呼ばれる歴史的天文学的占星術的錬金術的超科学的事象となった事を、彼女は今もって知らない。
 少女は夥しい鼻血を流しながらも、瞳に流星の雨を映し、この上ない笑顔を浮かべて昏倒した。
 何か起こりそうで起こらなさそうな夜の事だった。

 

THE END of Ebony and Ivory