南の十字から来た男 - 4/6

 夜半を過ぎて、内藤家は静まり返っている。家人は深い眠りについているだろうが、互いに声は努めて潜める。
「私を置いて行かないで下さい」
「幼児さんだから迷子になっちゃうもんね」
 二人で駆け込んだマナの部屋。精密機械は静かに慎重に襖を閉める。
「私の稼働年数についての冗談はもうやめてください。面白さがわかりません。一緒に出かけた相手を置いて帰るのはあまりにも失礼で酷い扱いだと申し上げたかったのです」
 非難がましい口調とは裏腹に、その手は器用に丁寧に、マナの肩に引っ掛かっている上着とストールを取り去る。
「もうお休みになりますよね」
 T4-2の指がマナの耳朶に引っ掛かっているイヤリングを掠める。垂れた飾りが清廉な金属音を立てる。どことなく、期待するような、誘うような仕草。
「うん。その前に」マナは紙幣を一枚、T4-2のサスペンダーに差し込む。「楽器のお上手な坊やに」
「お代など必要ないのですよ。あなたのためならまたいつでも」
 T4-2は慇懃に腰を折り、温かな光でマナを見る。マナは唇の端を上げて笑みながら、もう片方のサスペンダーにも紙幣を挟む。
「脱いで。お金挟んだ所から」
 きょとんと首を傾げてサスペンダーを外すT4-2であったが、マナがいよいよスラックスの腰に紙幣を挟んだ辺りでその意図する所に気付いたか、眉を顰めるように眼光を左右非対称に細める。
「品性に欠けます」
「単なる遊び」
「品性に欠ける遊びです」
「あたしは愉しい」
「五歳児とする遊びではありません」
 とは言いつつT4-2は艶かしい手つきで下腹を撫で回すように金具を外し、スラックスを脱ぎ去る。
「あなたが一言脱げと仰ったなら私は喜んで従います。それなのにあなたは、私が躊躇狼狽するようなお遊びをお仕掛けになる。悪い人です」
 T4-2が手にした三枚の小額紙幣は太腿を締め付けるシャツガーターに収められる。途端に宿る、穢れた陰のある淫靡さ。
「あんたもやる気十分じゃないの」
「金欠なので」
 マナによってシャツのボタンの間に挟まれた紙幣を取り出して、T4-2はタイに手をかける。
「シャツだけ脱いで」
「あなたもなかなか……いいえ、ご不興を買いそうですので、これ以上言うのはやめておきましょう」
 T4-2はマナの前に膝をついて腰を反らし、ゆっくりとシャツのボタンを外してゆく。徐々に露わになる鈍色の胸板、凹凸の陰翳深い腹部。
 T4-2は襟を立て、器用にタイの拘束からシャツを逃すが、しかし肩を滑り落ちたシャツは彼の曲げた肘に引っかかって止まる。
「ちゃんと脱いでよ」
「それにはカフスとガーターも外さないと」暗い嗤い声が咽喉を揺らす。
「けち。守銭奴」
 脱ぎかけのまま押し倒して尻を引っ叩きながら後ろから犯してやろうか、と猛るマナだが、そんな事をしても相手を喜ばせるだけと思い直す。
「あなたが始めた事です」煽り立てるように、胸から下腹、大腿まで撫で下ろす白い手。「それとも、もうやめますか」
「五歳がやっていい行動じゃないでしょ」
 マナはガーターの一本一本を力任せに引っ張り、紙幣を挟んでは指を離す。ベルトは勢いよく戻り鋼鉄の膚を打擲する。
「うっ……はぁ、ふぅ」
 男は低い呻吟の声を上げて甘美な暴虐を悦ぶ。
 マナは蠢きさざめく体表の部品に手を這わせながら、シャツの両の袖口、ついでに靴下と靴下留めに雑に紙幣をねじ込む。
 白い指がシャツの裾に噛み付く金具を弾き飛ばし、袖口のボタンを外す。靴下も、下腿の靴下留めも取り去られて、マナの目の前にはタイとシャツガーターを巻き付けただけの鋼鉄の裸体。あるいは外殻。
 マナの指がT4-2の硬い耳や顎をなぞり、項で留めてあるタイの金具を外す。砂色のそれはT4-2の軀を撫でながら床にぽとりと落ちる。
「お金は下さらないのですか」
「もうない」
「貢がせてしまいましたね」
 T4-2は立ち上がってガーターを外し、くしゃくしゃの紙幣を束ねる。
「あなたを脱がせるのにも、お金は必要ですか」
「自分で脱ぐからいらない」
 マナは自身の腕を柔軟に背後に回し、ファスナーを下ろす。すとんと畳に落ちて広がるサマードレス。まるで溶けたアイスか溢れたミルク。
 胸を形よく保っている女物の下着も局部を覆い隠している男物の下着も、マナは明け透けに乱雑に脱ぎ捨てる。そして目前に立つ男に身体を寄せる。
 鋼鉄の膚は人間以上に熱っぽく、小麦色の肌を悦ばせるじわりとした磁力が疾っている。
「脱がせる役得も私が負いたかったものです。お金を払ってでも。このドレスを見た時、脱がせる時の事を想像しなかったと言えば嘘になります」
 男の眼光だけが伏せられて、彼自身の胸板で押しつぶされ寄せ上げられたマナの豊満な胸にじっとり注がれる。
「あんたさ、どこ見てるかバレバレなんだよね。それで仕事大丈夫なの」
 背伸びしたマナの手がT4-2の眼に触れる。つるつるしているがガラスではない、薄く丈夫そうな、軽やかな素材。仕様書には樹脂製と記されていた気がする。それがどんな物なのかマナはよく知らないが。
 眼でさえも触れられると快感が迸るようで、その光は激しく瞬き、鋼鉄の軀は柔らかくしなり、低い喘ぎが漏れる。
「所謂アイコンタクトです。視線を遮蔽する事も可能ではありますし、勿論有事にはそうしますが、普段人と接する際には私がどこを見ているか分かった方が私の感情や目的が読み取れて安心していただけるでしょう」
「やらしい感情と目的を読み取れても安心できると思ってんの」
「やらしい……ああ、そうですね、気をつけます。あなた以外にはそのような視線を送ってはいないとは思いますが、念のため」
 マナ以外にしていなくとも、マナにそうした視線を向けているのは傍目に一目瞭然だろう。少なくとも妹のアキと兄の秀にはバレている。
「あたしの身体、そういう風に感じてるんだ」
 マナはT4-2により密着し、肌を擦り合わせる。まったく性質の違う互いの肌を丹念に混ぜ合わせるかのように。
「はい。あなたは柔らかくて、しなやかで、清くて、無駄な所など一つもなくて、とても、とても善いものです。あなたの肌は私のすべてを癒します。能うならば、私もあなたの柔肌にくまなく唇を押し付けて、同じ様にしたいのです」
 手袋に覆われても尚熱っぽいT4-2の掌がマナの背をゆるゆると蛇行する。どうにかしてマナを我が身に取り込み一つに溶け合いたいと希っているかのよう。
「ふぅん」
 機械なのに、同じ機械の軀を求めないのは不思議な事だ。マナも他人の事はどうこう言えないが。
 マナはT4-2の貌を引き寄せて、快感にぼやけた眼に唇を軽く触れさせる。感電したように激烈に震える巨躯。
「ぃ゛……ッ、あ゛っ……ぁ、はっ、マナさん、それッ、もっと、してください、接吻して……舌を這わせて……どうか……っ!」
 T4-2の眼がマナの唇に押し当てられる。マナはわざと音を立てて吸い付き、舌を触れさせ、先端で突き、部品の中心から際までくまなく舐め味わう。表面に何か塗布しているのか、ちょっと苦い。
「ん゛ッ、善゛い゛ぃ……ッ」絞り出すような善がり声。まるで後ろから激しく執拗に乱暴に犯されているかのように尻を突き出し震わせる。快感極まり、達する軀。「い゛、ぐっ……ぉ゛、ほォお゛……ッ」
 絶頂し寄りかかってくる巨躯を支え、布団の上に座り込むマナ。そして広い背を撫で宥める。
「あんたレンズにまで神経通ってんの。色々心配になるわ」
「はーっ、はー……いえ、通ってはいないはずですが、情報で快感を覚えると申しますか……ふぅ、う……私もとうとう視覚器を舐められて快感を覚えるという特殊淫欲が開花してしまったようですね……」
 マナの太腿の上に座して抱きついたまま肩に頭を乗せ身を擦り寄せて甘える淫らな機械。
「あたしと女の性器使ってヤってる時点で特殊も特殊だよ」この淫乱高級外車が、とマナは毒付く。
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてはない」
 マナの指がT4-2の項から背の中心の窪みを通り、尻の谷間までをゆっくりなぞる。軽い磁力が接触面を迸り、鈍色の膚が燦く。
「ぁあ……、はあっ、ん……マナさぁ、ん……」
 達したばかりで敏感極まる軀が悶える。マナの耳元の空気を震わせる低い濡れた喘ぎと甘えた呼び声が彼女を一層掻き立てる。
「置菱の事はこんな風には触ってないよ」
 その名を出したせいで、淫奔な声が突然平坦なそれに切り替わる。ピンと正される背筋。
「情交の最中に彼の名を出さないで下さい」
「いきなり正気に戻るな」
 T4-2は熱温度低そうな真円に近い眼光をマナに投げつける。
「興が削がれました」
「情緒がわかってきたみたいだね」
「それとは別です。ちなみに、私以外の人体に無闇矢鱈に触れるのは性犯罪です。たとえ支払いの為だとしてもです。また、あのような行いは昏睡強盗と取り違われる可能性もありますので、二度となさらないで下さい」
 お説教に眉を顰めるマナの顔の前で振られるT4-2の人差し指。置菱の金を拝借したのは飲み代を持ってない誰かさんのせいでもあるのだが、それをまた俎上に乗せると面倒なのでわかったわかった、と頷く他ない。
「あんたを触るのは犯罪じゃないんだ」
「そうです。私に対する行いの殆どは犯罪にはなりません」ただの物であるが故にだろう。
 マナはT4-2のがっちりと引き締まった脇腹を掌全体を使って撫で上げる。緊張がほどけるように快感にうねり捩れる軀。
「ですから私で我慢なさって下さい」と言うT4-2の声はうっとりと蕩けている。熱の篭ったマナの愛撫を享受して眼光も濡れたようにぼやけている。
「あんたで十分」
 マナは目の前にある硬く張り出した胸に唇を押しつけた。
「嗚呼……いつでもどうぞ、四六時中、いいえ昼は忙しいですけれども、その他なら朝でも夜でも……」
 マナに全身で甘えて身を寄せてくるT4-2。体重をかけてくるわけではないが、マナより頭二つ分は大きい巨体はなかなかの圧迫感。まるで尻尾を振って抱きついてくる大型犬だ。
「もっと、触って、接吻してください」
 懇願の通り、マナは唇や指、時には柔らかな胸で、T4-2を構成する外殻部品の一つ一つを丹念に検めてゆく。
 西洋甲冑か、あるいは古の水底の巨大な甲殻類めいているが、しかしその機械の膚を構成する部品に威圧的で鋭利な部分など一つもない。どんなに乱雑に触れようと人肌を切り裂く事などなく滑らか。そしてしなやか。マナと身を重ねるのに大変優しい造り。
 銃弾だの弾倉だのが詰まっているであろう右肩から上腕、機関銃や短銃の納められている太い前腕を唇で辿り、そして手袋を脱がせて指先を口に含んで深い接吻の代わりとする。
「嗚呼……マナさん、すき……好きです……」
 触れれば即座に反応して身を震わせて快感の音を発する様は、確かになかなか楽器めいている。
「指舐められるの好きだよね」
「ちがいます」
「やだ?」
「わかっていらっしゃるのでしょう、意地悪をしないで。勿論、指をあなたの口に含まれるのも好きですが……」
 泣いているように目を伏せて、くたりとマナにもたれかかるT4-2。背を丸め、マナの首筋に貌を埋める。熱い金属の唇が触れて、互いの肌を軽く痺れさせる磁力。先程は犬かとも思ったが、媚びるように柔らかく身を寄せてくる今の様子はさながら猫。
「あなたが好きです、内藤マナさん。心から、お慕いしているのです」
 病の熱に浮かされている時のような譫言めいた様子で好きだ好きだと囁かれると、マナまで何だか心地よく蕩けてくるようだった。
「家族にだってそんなに好きって言われた事ない」
「私はあなたの家族ではありませんから」
 マナの首筋から貌を上げて彼女を見下ろしてくるT4-2の眼差しには快感と思慕の情と、それ以上に、マナにはよくわからない複雑高度な感情が渦巻いて見える。
「そうなるつもりもありません」
 突き放すような物言いに、マナの頭をぼうっとさせていた熱が引く。
「調和などと最もらしい言葉を弄しましたが、あなたと私が一緒にいるに足る理由が欲しかっただけに過ぎません。そうでもしなければ私はあなたとまったく釣り合いがとれません。ただ私はあなたと不可分な何かになりたかったのです。このような身の上では愚かでおこがましい望みでしょうが、願うのは自由でしょう」
 切なげな声色と、苦しみに押し潰されそうな眼差し。
 マナはT4-2の心情に圧倒されていたが努めてつまらなそうな顔で吐き捨てるように言う。
「もうそんなようなものでしょ」
 自惚れて自意識過剰気味にしか見えないくせに、T4-2はことマナの前では自分は取るに足らないと思いがちなようだった。
 精密機械にとっては何かと一緒になるのには互いにしっくり部品が嵌り合うような理由がないといけないのかもしれない。
 こうやって不意に弱々しく情けない所を強く押し出されるとマナは庇護欲を無理矢理引きずり出されて離れ難い。自分が無碍に放ってはおけばこの鉄屑は他人様に迷惑をかけかねない。それが彼女にとって何かと一緒になる動機だ。それが不可分でなければ何なのか。だから、“もうそんなようなもの”だ。
「それがいい意味であれ、悪い意味であれ、嬉しいです、とても」
 微笑がマナのアルコールに塗れた吐息を奪う。浅く清い接吻が長く執拗にマナの血色のよい唇に落とされる。
 背や首筋を這うT4-2の手もまた、柔らかな磁力を帯びてマナの肌を撫でる。
 マナの豊かな胸の先端が愉悦を孕んで硬く尖る。胸を持ち上げ、金属の膚に擦り付けると痺れるような快感が弾ける。相手もその感触に酔いしれているようで歓喜に軀を震わせる。
「気持ちいいよ、T4-2。とけてくみたい」果たしてこれが法悦か。射精の爆発的な快感とは違った、ゆるく炙るような快楽が続く。「ほんとに不可分だよ不可分」
「はぁ、ん……そうですね……ああ、善い……です。ですが……そのように優しくされると壊れてしまう……」
 啜り泣くような声を出して、マナに身を擦り寄せてくるT4-2。己をこの世に繋ぎ止めるかのように硬い唇を必死にマナのそれと重ねる。
「乱暴にしても優しくしても壊れるのね」
「精密機械なので」
 マナはT4-2の股間に手を差し入れ、上蓋を開放する。途端、どろりと垂れる潤みがマナの太腿に滴り、肌を焼く。
「あぁ、マナさん……、入れて、私を使って……」
 T4-2の軀は蛇身のようにマナに絡みつき、マナのイヤリングを揺らす。清廉な金属の音と男の低い喘ぎが相俟って、邪教の儀式か何かの音楽のようにも聞こえる。
「うん」
 気のなさそうに聞こえる返事をしながらマナは熱く沸るそこに指を埋める。手仕事で荒れ放題の手ではあるが、さほどの抵抗を受ける事もなく淫らな音を立てて簡単に中へ潜り込む。
「あっ、ああ……指ではなく、あなたの……」
 マナの勃起で中を満たして荒らして欲しいのだろうが、しかし機械仕掛の膣はいたく満足げにマナの指を喰む。膣道で指全体を締め上げ、入口から奥へとぞわぞわとした戦慄が奔る。
「指じゃだめ?」
 指の腹で中を磨くように扱き、時に指全体を動かして中を広げて掻き回す。金属製で機械仕掛なのに、そこは生身の臓物のように柔らかく蠢く。
「んっ、い……いぃ、です」
 内壁に指を押し付けてぐるりと混ぜるとがっしりとした腰が小刻みに震える。そして短く弾けるような吐息が漏れる。
「あぁっ……そこ、ぉ……」
 彼の中は全体的に満遍なく快感を生み出すというよりは、確固たる源のようなものが偏在するようだった。
 反応の良い特定の場所を重点的に捏ね回すとT4-2は敏感に快感を受け取り声も身体も蕩ける。
「明らか他のとこより感じやすい場所あるよね」
 横壁の中程を指の腹で磨くように触ってやると喘ぎ混じりの声が漏れる。
「はぁ……はい……元より備わっている神経を最大限使ってもすべての部位に平均的に接続する事は叶いませんでした。私を構成する部品は希少ですので、増設は難しいですからね……」
 T4-2の部品にふんだんに用いられている隕鉄は金さえ出せば買えるというものではない。ただしマナがその気になれば元手いらずで手にする事はできる。
「じゃ隕石落としてあげようか」
「おとす……?」