「あなたが何をしようとも無駄です」その切り捨てるような言い様に気分を害したマナが悪態を吐く前にT4-2は続ける。「私の問題ですからね」嫉妬とか、執着心とか、と呟く。「四六時中、二十四時間、一日中、あなたを監視する以外にはありません」
「じゃあしょうがないね。一生やきもきしていなよ」
マナは乾いた笑いを漏らし、皮肉に歪んだ笑みをT4-2の表面的な微笑に重ねる。掛け値無しの親愛の情を込めて投げつけた接吻であったが、T4-2にその心など届きはしないだろう。言葉と自らの信ずる物しか信じない男だから。
「随分と優しい接吻をしてくださいますね」
低く心地よい声が直に鼓膜を穿つ。耳から始まり頭頂から爪先まで肌が慄く。
「気のせいでしょ」
耳元に唇を添え愛撫してくるT4-2の頭をマナは無理矢理押し戻す。しかし、腰から背筋を這い上がる手を拒む事まではしない。
「気のせいですか、それは残念です。少しは私に親愛の情を持って下さっているのかと」
そうでないならやはり頻回に肌を重ねてあなたを肉体的に籠絡して私に執着依存させる必要がありますね、と低い声が穏やかならざる言葉を散らす。
それだけで、その暗い欲望滲んだ言葉だけで、マナの身体がぞくっと震えて、既に心身共に籠絡されている事を嫌が応にも自身に知らしめる。
T4-2はマナをきつく抱きしめ、その腰に艶かしい動きで下腹部を擦り付ける。陰茎などないにも関わらず、まるでそれを奮い立たせ性感を高めるかのように。
「あつい……」
金属の軀は鬱陶しいまでの熱を溜め込んでマナをじんわり焼く。
「ええ、湯気でくらくらしてきますね。あなたも相当熱いです」
いつも雄弁なT4-2の指がマナの剥き出しの脚や脇腹を這う。弱火で炙られるような焦ったい感覚。まったくいやらしい触り方。
熱に溺れるとはまさにこの事。
彼の手はマナの下腹を思わせぶりに撫で回し、楽器をかき鳴らすように指先で軽く叩く。
「うぁっ、あぁ……」
「熱を分け合いましょう。星の汗を流して、愉悦の残り香を私に……私の物に……」
切なげな声にあてられて、尚も煽られ昂る。
しかし今朝のように主導権を握られるのは御免だった。
マナはT4-2を押し倒し床に押し付け動きを封じると、鋼鉄の重たい片脚を雑に持ち上げ、自身の肩にかける。
期待に眼光が瞬いて淫らな吐息のような音が漏れ聞こえる。望めば何でも己が思うままになると思っているだろうその物体に対しての嗜虐心が激しく燃え上がる。
マナはシャワーヘッドを外し、湯をただ垂れ流すだけになった管をT4-2の下腹部に向ける。放物線を描いて地に引かれる水流がぼとぼとと秘部を穿つ。
「あっ、ん……?」
期待していたのとは違う刺激に持ち上がる頭。
しかしそれはすぐに床に沈む。
「が……ぉ゛ッ、!?」
綺麗に反った弧の果て、他の部位より比較的柔らかな淫裂に管が突き入れられ、精液の代わりとばかりに鋼鉄の内臓に水が流し込まれる。
「な、ぜ……っ」
快か不快か鋼鉄の巨躯は震えて眼差しは潤んでいるようにぼやける。
「綺麗にしてる」
軀の隅々まで検められる前にいつも酷使している場所を洗い流さなければならない。この男が一番頻繁に粗雑に使っているのは、種々の兵器が詰まった双腕でも回転ばかりが速い頭脳でもなく、ここだ。
「ぁ……っ、だめ、です、ッ」
「修理の前に綺麗にするって言った」
マナはT4-2を磁力で圧倒し微動だにする事も許さず水を注ぎ込む。
「はっ……はぁッ……」
見えない力に縛められた軀は制約の中でびくびくと震え、切ない喘ぎ声を生み出す。いつもに比べ控えめな押し殺した音であった。おそらく望んだ以外の方法で快感を覚えていると思われたくないのだろう。
マナは無骨な腹部に手を当て、磁力で内臓を探り、受容器の入り口を無理矢理こじ開ける。
「ぉ゛……っ!? そこっ、開けては、だめっ、おぇ゛」
押し寄せる文字通りの奔流に喘ぎが濁る。受容器はすぐに満たされ、膨満した感触が磁力を介してマナの手に伝わる。
軀全体の大きさに対して彼の受容器は小さすぎるようにも思えた。しかしそのアンバランスさもまた妙に湿っぽい高揚をマナに与えてくる。さっさと終わらせないと欲が滾りそうだった。
手早く受容器から水を排出するためには、とマナが一つの暴力的な方法を思いついた時には、目の前の単純な精神構造の人間がしそうな事など精密機械にも当然気取られていた。
「それだけは……ッ、あぁ……」
追い詰められた切ない喘ぎ声がマナの神経を昂らせる。努めて冷静に、海綿を握り込んだ時よりも優しく、と考えていたが無理そうだった。嗜虐心が爆発的に燃え上がった。
青く輝く表皮を通り抜け、磁力は金属の内臓を押し潰す。ひどく柔らかく弱々しい場所だった。
「お゛——ッ」
射精か失禁もかくやという勢いで迸る水。これまで出しに出してきたマナの精液が混ざり込んで白濁した穢れた水だ。
「はぁッ、お゛ぉ……ッ、受容器にっ、あなたの精子たくさん詰めて……っ、たのに……ぃ」
「気持ち悪いな」尚更洗い流してやる以外にない。
マナはT4-2の秘部に乱雑に管を突っ込み水を流し込んでは受容器を握り潰し洗浄を試みる。
「ん゛ォ゛ッ、ぎ、い゛ぉッ」
内臓を潰す度にどぼり、どぼりと手押しポンプから迸る井戸水のように溢れる温水。激しく明滅する瞳の光。
「フーッ、うぅーッ、やめっ……くださ……」
「感じてるくせにやめろはないでしょ」
何度そうして嗜虐心を満たしただろうか。
「ふ……う、ん」
最後にちょろりと漏れる水が清純になって、やっとマナは矛を収めた。暴力的な快感の余韻にひくつく機械の秘所はなるべく見ないようにしながら。
「終わり。中も外も綺麗になってよかったね」
身を支配していた磁力が消えて、T4-2がゆるゆると起き上がる。普通の人間なら足腰も立たないところだろうが、彼は普通でも人間でもない。それを証明するかのように風呂場を後にしようとしたマナの背に絡みつく男の熱い軀。
「まだあなたは満足されていらっしゃらないです。私へのあの嗜虐的な行為に加え、体温と心拍数の上昇が見られます。湧きかけた欲望をそのままに蟠らせていてはいけません」
耳に流し込まれるマナにだけ特効の毒薬。それに冒され我を忘れたい気持ちもなくはないが、流されてしまっては元の木阿弥だ。何のために中を洗浄したのか。修理中に性行為の残り香を充満させないためだ。
「もういいよ。朝やったしあんまり寝てないからそんなにできない」
「だめです。あなたが疲れ果てて起き上がれないまでにならないと」私は安心して修理を受けられません、とT4-2。
マナの身体が濡れた床に押し倒されて、重たい軀がのしかかってくる。吐息がかかるほどの至近距離で見つめてくる、なんだか苦しげな目。
「そういう事より自分の心配をしなよ。身体熱い。早く治してもらって」
T4-2は黙って頭を横に振る。本当にこの聞き分けの悪さと強情さは五歳児以上だ。
「あんたはあたしの物でしょ」つまりマナにとっては逆もまた然り、という事を言外に伝えたいわけだ。「言うこと聞きなよ。これ以上何が引っ掛かるわけ」
「あなたはご自分ではお気づきになっていないようですが、時折遠い目をなさいます」
「してないよ」
「切なげで、とても穏やかな。そういう時のあなたは大変美しいとは思いますが、私は気が気ではない」
「他人の話を聞いてくださいねー。してないって言ってますが」
「しています。私の言う事は確かです、あなた以上に」
「自分以上に自分の事わかられてたまるか。ほんとにしてないってば」
「お見せしましょうか、証拠を」
自分の酷い顔をまた壁かスクリーンに大写しにされると思うと気が滅入る。
「やっぱり観察じゃなくて監視してる! わかった、じゃあしてる、してます。これでいい?」
「何故あのような表情をなさるのです。理由がおありでしょう」
「ないけど」
マナの言葉に明らかに嘘と隠し事の気配を感じ取ったのか、T4-2は表面上素直に身を引くが発する雰囲気は不満げだ。いみじくも自称精密機械がこの体たらく。不完全の中の不完全だ。
「では、それでいいです。さようなら、内藤マナさん。次の私ともどうか仲良くしてやってください」
T4-2は服も着ず、その上軀の水滴さえも拭ききらずに、濡れ鼠のマナをその場に置き去りにして浴室の扉をぴたりと閉じる。
「なんで裸なの、二号。ちゃんと服着なさいよ。楽園じゃあないんだから」
「そうですね、この世は失楽園です!」
という廊下のやり取りを聞くでもなしに聞きながら、マナは浴室から出るために仕方なく残されたT4-2の服を身に纏うしかなかった。
それはやはり石鹸の清廉な香りがした。
作業台に横たわる軀には珍しく沈黙の気配が厚く垂れ込めて、さながら死体のようにも見えた。
牧島に案内されて入室したリペアルームとやらは所狭しと大小様々な機械や計機類が並べられ、床面積の割に狭苦しい。
中央には手術台か、歯医者の診療台のような作業台があってT4-2はそこに横たわっていた。というより、横たえられている、とマナには感じられた。微動だにせず、黙りこくって、瞳の光も失せた彼はあまりにも物体的だった。
マナは計器の上に転がっている鉛筆を手に取って、黒い先端でT4-2の腕を強か突く。
常ならば妙に艶かしい声を上げる筈だが、当然のごとく何も言わないし反応もない。剥がれて砕けた黒鉛がぱらりと舞い落ちるだけだ。
「死んでる!」
マナはT4-2の死体を指差し騒ぎ立てる。
「死んでも生きてもないよ。いつもはやたら生き生きして見えるだけで」
牧島はそんな無作法者に目もくれず計器類を弄っている。暗緑の画面に流れる文字はマナには意味不明な古代文字にしか見えない。
お直し見るかい!? ぜひ見て!! と浴室を出るなり牧島に半ば強引に誘われて来たものの、手持ち無沙汰で所在ない状況になりそうだとマナは予想した。
来てみれば既にT4-2は意識のない状態で、せめてそうなる前に一言、何かマナにあってもよかったのではないかと悶々とした気持ちになった。
作業台に取り付けられたアーム状の装置が無抵抗の手脚を持ち上げ、牧島はそれを検分しては機械に何かを入力する。
マナは作業台の横に置かれた丸椅子にだらりと腰掛けて、何を観察するでもなく汎用亜人型自律特殊人形に目を落とす。魂を失った、まるで抜け殻。
牧島がおもむろに計器から視線を上げてマナを見る。その手に握られたペンがアンドロイドの右腕と左脚、そして左指を指し示す。
「素人臭いくっつけ方じゃないの。これ誰が?」
「あたしですが」
改めて見るとやはり不恰好ではある。
「これは失敬失敬。今度溶接と接続のやり方を教えようか」
「うん」
牧島は丸くした眼をマナに向けて、そしてにんまりと笑った。
「二号に色々聞いて想像していたよりずっと素直だね」
「なんて聞いてるか知らないけど……」
マナの言葉が途切れないうちに牧島が二の句を重ねる。
「隣の家に住んでいる人をババア呼ばわりして食ってかかるって聞いたから、わたしはジジイと呼ばれるのじゃないかと戦々恐々としていたんだ」
「そういうのは仲いい奴にだけ」
わたしも仲良くなりたいもんだね、と牧島は鷹揚に返し、愛おしむように鋼鉄の貌の輪郭をなぞる。空気の抜ける音と共に外れる鉄の仮面。
「気持ち悪い」
その中身はさながらザクロの果実を断ち割ったかのようだった。小さな赤い艶やかな粒が敷き詰められて、生物的というか、血肉的。
「言われてみれば確かにグロテスクかもね。でもただのセンサーと回路だから」
あとこっちはコンパウンドアイ、と牧島が指差したのは三角形の回転土台に三つの光学鏡が乗ったレンズシステム。それが左右に一つずつの二対。用途によって光学鏡が切り替わったり組み合わさったりという寸法。
「これが」あの執拗で変態的で穏やかな眼差しの正体。皮一枚剥げばただの光源と光学ガラスと鉄屑。「拍子抜けだわ」
「目は壊れてなくてよかったよ。わたしじゃあ細かい調整は難しいからね」
「作ったのになんで」
ああー、と牧島は溜息をついて視線を宙に彷徨わせる。「しくじったな、口が滑った。トロイリ四型はわたし一人で作ったんじゃあないんだよねえ」
「じゃあ誰と」
「暮谷博士」
「くれや」
「わたしのお友達にして先生。親みたいなものでもある」
牧島は感慨深げにT4-2の軀と手にした貌を眺める。しかしマナはそんな感傷をすげなくぶち破る。
「目がイカれたらその人が治してくれるんでしょ。じゃないと困る」
ええ、いやあ、どうかなあ、と牧島は暫く歯切れ悪くぶつぶつ呟いた後、いやにはっきりと「今いないんだよね」と言う。「消えたというか」
「消えた?」「逐電」「蓄電?」「蒸発」
蒸発ならわかる。
「ああ、失踪したって言ってよ」あたし学ないんだから、とマナ。「じゃあどうするの、目壊れたら」
「強化素材だからそうそう壊れるものでもないよ。銃弾だって跳ね返すんだから。さすがに対戦車砲は無理だけど」
話し込んでいる最中も手は止めず、牧島は汎用亜人型自律特殊人形の軀を開き検めてゆく。左腕を開けば、みっしり詰まった金属の肉の合間に、盾が収まっているはずのスペースがぽかりと不自然な穴を空けている。対戦車砲を撃たれて損失したせいだ。
「マナさんから調整したい所を聞いてその通りにやってくれと二号が言っていたのだけど、今のうちにご希望伺っておこうかな」
「何でもできるの」
「大抵は」
「この会話聞こえてたりする?」マナは少しだけ曲げた指の関節で鋼鉄の軀を軽く叩く。コツコツと、虚な音。「記録に残って後から見られるとか」
「どちらの心配もないよ。本人に聞かれたら困るような事を言うつもり?」
「まあね、そう」
「つまり、二号の直して欲しい所?」
「ない」なるべく興味なさげに言うよう試みるマナ。
「え、本当に」
マナは重ねて、うん、と頷く。
「ない、別に、今のままでいい。ただ、壊れてる所は治してほしい。それだけ」
牧島は少しの間目をしばたいて、そして何か思い出したのか白衣のポケットを弄る。
「わたしが頼んでいるんだが、君のお兄さんはきちんと毎週マメに評価を送ってくれるんだ。それによるとかなり修正改善点はあるみたいなんだけれど」
渡された紙束にはぎっしりと兄の呪詛にも似た不満が渦巻いていた。
時間にルーズ、と短い走り書きから始まり、続く不満は徐々に長ったらしく、筆跡にも怒りが宿ってゆく。仕事にピンクの柄付きシャツを着てきた、刃物を持った犯人に煽るような物言いをして刺された、などなど。締めの文句は、言わなくていい事まで言うくせに重要な事は聞かれるまで言わない!
「その通り」
マナにとっても大体殆ど概ねすべて同感だ。しかし「でもそれがこの人なんだ」そう言うマナの声色は諦観とも許容ともつかず、ただ穏やかだ。
「こんなの、自分がうまくT4-2を使えてないですって白状してるようなもん。T4-2には必要以上の機能が十分詰まってる。性格と行動の欠点は指導したり補ったりするべきでしょ。じゃなきゃ何のための相棒」
マナは嫌味に笑んで紙を握り潰して自分のポケットに突っ込んだ。
何も言わずにマナの一連の行動を見届けた牧島は作業台を挟んでマナの向かいにある椅子にゆったり腰掛けて、腹の前で指を組む。澄んだ瞳が何か言いたげにマナを窺う。
その仕草はまるでT4-2がマナに話しかけようかどうしようか考えあぐねている時に似ているが、マナは黙ったままでいる。T4-2なら何も言わなくても痺れを切らして勝手に話し出すからだ。牧島も例に漏れずそうであった。
「わたしが二号の代わりに謝っておくね」