The Pilot - 2/6

「丁さん?」
 事の発端は、マナが工員として務める置菱製作所墨田工場にて。
「“てい”ではなく、Tです」マナの近くで行儀よく座る“それ”が訂正する。訂正されるのはこれで三度目。一度目は「あいつらの仲間?」と言った時。二度目は「置菱製作所製?」と口走った時。
「牧島重工製四五式トロイリ四型汎用亜人型自律特殊人形第弍号が私の正式な名称です」
 時は高度経済成長期。有象無象の技術はマナの想像を絶する速さで発展してきている。中でも各国が挙って開発しているのは機械仕掛けの超技術。この国においてよく見られるのは、ビルの大きさにも匹敵する建設・保守用大型重機、片側四車線の道路をほんの一往復で修繕してしまう巨大建機、そしてマナが部品の一部を作っている警邏装甲機などなど。
 大抵そうしたものは人の機能を拡張するために使うただの道具で、それ自体が物事を判断し動く事はない。しかしマナの目の前の汎用亜人型自律特殊人形は人と同じように思考し行動する。というのが本人から聞いた長ったらしい説明をマナなりに雑に解釈したものだ。
 それにしたって、人が乗り込んで動かす必要のある機械さえ種々煩雑な部品を載せていくと、いくら小さくとも車三つ分重ねたくらいの大きさになるというのに、目の前の機械は平均的な人間と比べれば多少大柄ではあれど、人として受け入れられる範囲を逸脱はしていない程度の背格好だ。
 一目で人間と違うと分かるのは、車のフロントライトのような丸く光る双眸、常にアルカイックスマイルが張り付いた動かぬ唇。そして分厚く着込んだ服の隙間から覗く鈍い鉄色に輝く肌。彼の表面を覆っている材質が何なのかは一見してマナには分からなかったが、とにかく金属みたいに硬そうだし重そう。
「略してT4-2です」
 声は潜めていても聞き取りやすい低い男声。多少の金属の反響と抑揚に欠ける部分も伴うが、穏やかな喋り方がそういった部分すらも美点に変えている。そしてどこか懐かしさを弄ってくるような声。少なくともマナにはそう感じられた。
「ティーフォーツー」マナも極限まで潜めた声でT4-2に囁いた。「歌みたいな名前」
 T4-2は頭を僅かばかり傾げた。その目の光が瞬きするように明滅し、何かの内蔵部品を引き絞るような音が微かに聞こえた。
「けど、わかりにくいかもね。甲乙丙丁の丁かなって思っちゃう」
「あなたがた日本人にはTより丁の方に馴染みがあるのでしょうね。では、これからは丁と名乗る事にしましょう」
 T4-2は胸の辺りに手を置いて頷いた。
「そんなんでいいの」
「私にとっては都度訂正が必要な名前は不都合です。名前が私の性能を左右するわけでもありません。薔薇が別の名前で呼ばれてもその性質には何の変化もないのと同じです」
 このロボット無茶苦茶喋るな、というマナの感想は、T4-2とマナに挟まれて座った男が押し殺した怒声で代弁してくれた。
「よくこんな状況で悠長に話していられるな、貴様ら!」
 まったく本当に極めてその通りなのだが、しかし貴様ら、などと一緒くたにされるのは心外である。マナはお喋りロボットの十分の一も言葉を発してはいない。
 マナはこの男の事はよく知っていた。置菱徹。置菱財閥の御曹司である。今日は視察という体の小遣い稼ぎのためにこの工場に来ていたのだ。言葉など一言も交わしていないが、いけ好かない男というのは見ていれば分かる。
「どうか落ち着いて下さい、置菱さん」T4-2は荒ぶる男に向けて、白い手袋に覆われた両の掌を向ける。「彼らに見つかってしまいます」そして白い人差し指が、コンテナのドアの隙間を指す。
 マナ達がいるのは物資置き場に置かれている幾つかのコンテナのうちの一つ。そのドアの隙間から見えるのは採光用の小さな窓の並ぶ壁と、工具や梱包材の入った箱の置いてある棚。そして物騒な様子の男達。彼らは丈の長い外套を着て、肩からは機銃のような物をぶら下げている。そして目深に被った帽子のせいで顔は窺えない。まるで映画に出てくるギャングかマフィアのような、ならず者といった風体だ。
 マナの隣にいるロボットも、センスに乏しい彼女が見る限りではならず者達と似たような服装に見えたが、紳士的で鷹揚な立ち居振る舞いのお陰で、悪党というよりは探偵風に感じられる。本人も、ならず者達の仲間ではないとはっきりと言いきっていた。
 T4-2のその言葉を信じる根拠はないが、この状況では疑っても詮無い事なので、そこは考えないでおく。
 というのも、現在マナ、置菱、T4-2の三人は工場を占拠したならず者達に見つからないようコンテナに身を隠している状態で、謂わば運命共同体のようなものだからである。
 ならず者共が工場に雪崩れ込んできたのは、昼休憩が始まってしばらく後の事。彼らは白昼堂々入口から入ってくるなり、天井に向けて機銃を発砲しだした。置菱のボディーガード気取りの取り巻きやマナ以外の工員・職員達は非常口から逃げたらしい。ならず者達もそういった人々は逃げるに任せて目もくれず、工場内の各部屋に散っていった。何かを探しているかの様子にも見えて、これでは自分達が見つかるのも時間の問題だろう。
 マナが何故逃げ遅れたのかというと、今日はたまたま所用があり出入り口から遠い物資置き場にいた事、逃げ出そうとした所をT4-2に引き止められた事が重なったからだ。
「危ないですのでこちらに」と突然腕を引かれて連れ込まれたコンテナには、T4-2と彼以外の者に見捨てられてガタガタ震える置菱がいたというわけだった。
 引き止められなければ物資置き場のトラック搬入口からうまく逃げ出せていたはずなのに、とマナはお節介なロボットを少しばかり……いや結構恨んだ。
「きっと目的はこの俺だ。俺を誘拐して身代金を……」
 置菱が爪を噛みながらぶつくさ言う。金持ちのくせに貧乏揺すりも酷いものだ。
「そんなに怖いなら、あたしが気を引いてる間に搬入口から逃げたら?」こんな所で男二人と缶詰になっているよりは、機銃の的になる方がいくらかマシに思われた。
「お待ちください。どうか」
 立ちあがろうとするマナの手首をT4-2が掴む。その動きはまるで磁石が吸い付くように素早く、自然で、離れ難いようなものだった。
 どうか、と言ったのかこの機械は、とマナは驚く。取るに足らない自分の様な人間に。
 マナを見るT4-2の、文字通りの眼光は瞬きするように何度も明滅している。
 先程コンテナに匿われた時もこんな様子だった。マナの手を取った後に、驚いたように目を瞬かせて固まる。いきなりロボットに手を掴まれ驚きたいのはこちらの方なのに。精密そうに見えるが、案外ポンコツなのだろうか。
「錆びちゃったのかな、ブリキ男さん。それとも二人で行く? ボニーとクライドみたいに」蜂の巣になりに、とマナ。
 手を掴んだまま何も言わないT4-2に、唇の端を上げて冗談めかして提案すれば、「私にはそのような行為は賛同できかねます。あと、私はブリキではなく、ESM鋼鉄製です」と、真面目に返された。
「怯えちゃって可哀想だから、この人の代わりに人質になってあげてもいいかなと思ったんだけど」
「あなたがどうしてもとおっしゃるのなら、私もお供いたしますが、お薦めはいたしかねます」
 フン、と鼻で笑うのは置菱だ。
「女工と心無い機械野郎の命なんて二人でやっと一人前くらいのもんだぞ」
 いけ好かない野郎だ。よくそんな有りがちな台詞が言えたものだ。マナは寧ろおかしくなる。
「まるで人間には心があるかのような言い方ね」
 マナはT4-2の手を握り、腕輪のように自分の手首にくっついているそれを外した。ずしりと重く、硬い感触は人の手と違って少し驚く。T4-2はそんなマナを神妙に見ていた。
「貴様ら二人が、高貴で価値ある俺の代わりになどなるものか」
「そんな高貴な方なら、惨めな私達を救うために命をかけて飛び出せばヒーローになれるのにね」
「ヒーロー」その言葉には魅力を感じたようで、置菱はしばし口の中でそれを転がす。「まあ、しかし俺を失う方が世界の損失は大きいだろう」
 やっぱこいつコンテナから蹴り出して、その隙に逃げてやろう、マナが決意を新たにする。
 そこでやっと、まあまあ、と言いたげにT4-2がマナと置菱を手で制する。表情が変わらない分、彼の手は雄弁だ。指の先の先まで怜悧な神経が通っているのだろう。
「置菱さんの誘拐が目的ならば、彼らが工場に突入してきた時点で真っ先に捕まっているはずです。つまりあなたの事は眼中にはないという事です。安心なさってください」
「じゃあ、この工場にある、何か金目のものがお目当てとか?」
 マナは気取られないよう作業着のポケットに手を突っ込んだ。“何か金目のもの”ならここにある。先程この工場のコンテナから拝借したものだ。返さず壊すつもりなので、正確に言えば拝借ではなく回収……いや窃盗なのだが。ならず者共が求めているのは置菱ではなく、これかもしれない。
「その可能性が高いでしょう」
 T4-2の言葉はマナの心情までも肯定するかのようだ。そして彼の鷹揚な言動は置菱の怒りをただただ煽るだけだ。
「お前警察だろ! 何とかしろ!」
 置菱が広角泡を飛ばしながら不躾にT4-2の肩を掴んで揺らす。びくともしないが。
「警察なの?」
 思ってもみない情報に、マナは上擦った声を出してしまう。巡り合わせが悪すぎやしないだろうか。マナが去ろうとすると素早く手を掴むのも、薄々勘付いているからなのだろうか。悪い事をしている自覚のあるマナは猜疑心が鋭敏になっていた。
「お前新聞くらい読めよ。こいつこれでいてイギリスに次ぐ世界で二番目、国内じゃ初のロボット警官だぜ」まあ、所詮ロボットに逮捕権はないけどな、と嘲笑うように置菱は付け加えた。本当にいけ好かない野郎だな、とマナは思う。
「はい。本日四月一日付で墨田署刑事課に着任いたしました。粉骨砕身の覚悟で邁進してまいります。ちなみにロボットではなく、アンドロイドと言っていただけた方が個人的には嬉しく思います」
 墨田署刑事課、非常にかなり滅茶苦茶不穏な響きだ。なんと言ったって、そこはマナの兄の勤め先でもあるから。
 マナは盗品の入ったポケットをそっとおさえる。警官の身内が犯罪行為を行ったと知れたら兄はどうなる? 殺されるかも。自分が、兄に、である。何が兄を駆り立てるのか、警官になるためだけに生きてきたような男だから。
「警察がなんでこんな所にいるの」
「昼休憩時に散歩をしていて道に迷ってしまい、この界隈を彷徨っていたところ、偶然怪しい人物を目撃し後を追った次第です」
 T4-2は恥じるでもなく、当然の事のように滑らかに答えた。
「迷ってって、お前ポンコツかよ……」
 この世で一番気の合いそうにない男だが、この時ばかりは置菱の言葉にマナは心の中で大いに同意した。
「より人間らしく柔軟に振る舞うために、私には“ついうっかり”という機能が搭載されております。私を作った牧島博士は非常に優れた知性の持ち主です。ですからこうした欠点さえも完全無欠に再現する事が可能なのです」
 そしてマナは安堵した。隣の機械が物々しい見た目ほど、中身は鋭くはなさそうだという事に。
「意味がわからん。機械なら機械らしく精巧であるべきじゃないか?」一々もっともである。「それよりさっさとあいつらを倒してこい。鳴り物入りでやってきたロボット警官とやらの力を見せてみろ」
 本来の調子を取り戻してきた置菱がT4-2に命令する。
「申し訳ありませんが、あなたのご期待には応えられません。奴らの出方もわからぬうちに、身を守る術を持たないであろうあなた方を二人だけでこの場に残して行く事はできません」
 あるいは、自分を逃がさないためとか、とマナはやっぱり訝しむ。
「この俺が行けと言っているんだ!」
 置菱が押し殺した声で叫ぶ。彼においては、自分の命よりも目の前の者に命令を拒否される事の方が堪えるようだ。
 マナとしても、ロボット警官にはできれば突撃してもらいたい。高価な盗品を持っているが故にならず者達に捕まったり警察に保護されたりする結末は避けたいからだ。
 最も望ましいのは、あちらの勢力とこちらのロボット警官で上手いこと相討ちになる事だ。多勢に無勢でロボット警官の方が不利ではあるだろうが、せめてコンテナの近くにいるならず者達くらいは粉骨砕身の覚悟とやらで片付けてもらいたい。
 そうしたら、後は置菱を蹴倒し死ぬ気で走って搬入口から逃げて人目のない所で盗品をぶっ壊すだけた。
「致しかねます。私には美徳回路というものが搭載されております。人間を傷つける事も、倫理に反する事もできないようになっているのです。警官としても、あなた方お二人を守る義務があります。警察には通報してありますから、事態が動くその時までなんとか堪えていただけないでしょうか」
 その警察が来る前にドンパチやっていただきたいのだが。
「不自由ね」マナは誰に聞かせるでもなく呟いた。「自分の意思で悪い事できないなんて」
「私には悪い事をする必要も理由もありません。しかし、不自由、そうですね」
 T4-2はしばし考え込むように首を傾げるが、思索らしき沈黙はすぐに置菱に破られる。
「美徳なんちゃらいうそれは、この世の何よりも優先されるべき物なのか!?」
「いいえ。人間や私自身が危害に晒される可能性があればその限りではありません」
 それだ、とマナは閃く。あれこれ思い悩む必要などなく、当初の考えを貫けばいいだけだった。
「例えばこういう時?」マナは前触れもなくコンテナの扉を開けて外に飛び出した。「騎兵隊突撃!」
 マナに銃口が集まるが早いか、T4-2は外套をはためかせてコンテナから躍り出てマナの手を取る。「あなたは悪い人ですね」彼は顔色も声色も変えずに言うと、ダンスでも踊っているかのようにマナをコンテナへ軽々と投げ戻し、後ろ手に扉を閉めた。
 先程までの鷹揚な様子からは想像もできない程の機敏な動きだった。
 T4-2は棚の間を飛ぶように駆け抜け、まずは一人目。自身に向けて今まさに発砲しようとしている機銃を掴み、照準をずらす。見当違いの方向へ飛んでいく連弾。泡のように飛び散る白い梱包材。
 機銃を掴んだまま、卓越した膂力で一人目を盾にしながらハンマーか何かの様に振り回し、二人目三人目を打ち倒す。そして一人目を軽々ぶん投げて四人目。
 そのまま流れるような所作で壁の防災用具入れから手斧を引っ掴み、持ち上げざまに斜めに切り上げる。五人目、六人目を一息に両断し、軀を優美に傾けて銃弾を交わすと無駄のない動きで斧を投げて七、八、九。彼自身の腕力と速さのお陰で、消防斧さえ業物のよう。そして壁に刺さった斧を引き抜き、振り返りざまに十人目の首を飛ばす。
 倒れ伏し、あるいは首を吹っ飛ばされて帽子が脱げて、ならず者達の顔が晒される。皆一様に同じ顔。つるんとした白い逆三角形の輪郭に、黒地の一つ目の中で瞳のように動くのは赤いライト。
「あっちもロボットだったのか」コンテナの扉の隙間から様子を窺うマナが驚きの声をあげる。
 しかしこの場にいるロボット達はT4-2ほどの知性や人間性はなさそうで、簡単な条件と指示に従って動いているだけのように見えた。存在の認められているはずのマナや置菱を捕まえて人質にしようなどという行為は見られず、ただ目の前のT4-2にだけ狙いを定めている。
 頑健さの点でも分が悪い。T4-2が軽く己の腕を薙ぐだけで、一つ目ロボット達はまるで積み木が崩れるように倒れ伏す。機銃を失った者が素手で殴りかかろうがその軀には傷一つつかず、寧ろ拳の方が弾かれ砕け散る。
 ついでに武装でも勝ち目はなさそうだ。T4-2が左の手首を外側に曲げれば、風を切り裂く音と共に鉤付きケーブルが勢いよく射出され、数多の機銃を弾き飛ばす。その勢いの収まらぬうちに、T4-2はケーブルを左手で掴み西部劇の鞭か投げ縄よろしく振り回す。機体の継ぎ目を狙って繰り出されるそれは当たったが最後、いとも簡単に部品が吹っ飛んでゆく。体に巻きつければ、締め付ける力で剪断。
 相手も自分と同じロボットと判明したからなのか、それとも明確な害意を向けてくる者に対しては人間相手でもそうするのか、T4-2の攻撃は怖いほどに容赦ない。打ち据え、振り払い、撒き散らし、踏みつける。それも、微笑みさえ浮かべて。
「ロボット警官の方が勝ったらまずい」とマナは呟くが、そのロボット警官の戦い振りには惚れ惚れするものがあるのも確かだ。それどころか妙な色気すら感じた。その豹変ぶりに。辣腕に。しなやかな動きに。野蛮さに。
 心臓が送り出す血が逸るのは緊張の為せる技か、それとも……。
「ゔぁっ!」
 マナが悲鳴に振り返ると、開け放たれた後方の扉の前で硬直している置菱の背が見えた。怯える目が見つめているだろう先には、この大騒ぎを聞きつけてやってきた様子の並みいる機銃の援軍。
 マナがT4-2に見惚れている間に、置菱は一人逃げようと、よく外を確認もせずに彼女が居るのとは反対側の扉を開けたようだ。
「何やってんの」
 マナは咄嗟に床の工具を手に取り置菱の背に向けてぶん投げた。それはコントロールの妙で直撃し、置菱はコンテナから落ち、顔面を強か床に打ち付けて昏倒した。
 マナは「スカッとしたわ」そして後悔した。これでは代わりに自分を機銃の的にしてくれと言っているようなものだ。
 マナはポケットの中に手を入れて逡巡する。マナは戦う術を持っていない、とロボット警官は言ったが、実際のところそうでもなかった。人前で披露したくないだけで。
「失礼します」
 仕方ない、やるかと決意したマナのその眼前に、猛禽のように舞い降りるT4-2。コンテナを跳躍してきたとしか思えない動きだった。
 T4-2はマナと昏倒する置菱の前に背を向けて立ちはだかると、肘を曲げて左腕を己の胸元に構えた。瞬間、左前腕から勢い良くT4-2の身の丈程の金属板が展開する。古代の四角い大盾の様相を示すそれはT4-2自身とマナ達を弾丸の嵐から守るのに十分だった。機銃の弾丸が軽い音を立てて弾かれ、足元にただ落ちてゆく。
「飛び道具は好きにはなれませんね。あまりに一方的過ぎます」
 T4-2は広い盾の内側でそう呟くと今度は右腕を前に突き出した。右前腕に格納されていた円筒型の銃身が展開し垂れ下がる。「少々うるさくなりますよ」機関銃は間髪入れずに小気味良い音を立ててならず者達を蜂の巣にしてゆく。散らつく火薬の閃光、床で跳ねて転がる薬莢。けたたましく圧倒的な武器にマナの心は躍るのではあるが……。
「本当にそう思ってる!?」
 飛び道具が好きではないと言った舌の根も乾かぬうちに機関銃をぶっ放しだしたT4-2にマナは耳を塞いで叫ぶ。
「はい。好まないのと、最終手段としてやむを得ず使うのとは両立します」
 機関銃の乾いた音が止んだ時には、室内の実働可能なロボットはT4-2を除いて一体もなかった。
「あのような無茶な行いをなさるのは、あまり褒められた事ではありませんね」
「ごめんなさいね。状況に呑まれて血迷ったのよ」
 T4-2はマナを嗜めながら得物を腕に格納し、盛大に破れた自身の両腕の袖を見た。
「嗚呼、コートが、ブレザーが、シャツが……」
 相変わらず表情は穏やかに微笑しているが、声色はどことなく落胆の色を含んでいる。
 しかしあれだけの軍勢と対等以上に渡り合い、それ以外の被害がない事は賞賛に値すべき事ではないだろうか。
「高そうな服だものね」
 マナから見ても、T4-2の身につけている物は仕立ての良い上等の物とわかる。皺一つなく、糊もばっちり効いている。お金持ちビッグスペンダーなんだろうか。
「値段の話になりますと、一番高級なのは私自身という事になってしまいます。値段どうこうではなく、気に入っていたというだけですよ」
「今度からは全部脱いでから戦ったらいいわ」
「それには心理的抵抗があります」と瞑目するように双眸の明かりを落とすT4-2だったが、それはすぐに鋭くなり、手でマナを後ろに制する。「うっかりしていました。まだ一人います」高性能な目が引き締まる。
 トラック用の搬入口が力任せに引きちぎるように開かれる。あ、逃げなくて正解だったんだ、とマナは瞬時に悟る。
「さすがの強さ! けど、まさか兵隊全部を粉微塵にする程強いとは思いもよらんかったわあ。ワンマンアーミーって現実に使える言葉なんやね」
 現れたのは、全身を西洋甲冑のような銀の装甲に包んだ何かだった。頭をすっぽり覆うフルフェイスのメットには特殊な仕掛けがあるのか、声が歪んで聞こえ、年の頃も性別すらもわからない。もちろん顔の造作もだ。こうまで己の属性を隠すということは、案外と中身は麗しい妙齢の女子なのかもしれない。マナの拙い憶測だが。
「ロボット?」T4-2と同様の知的な機械なのかという意味でマナが呟く。
「ううん」銀の頭がゆるく横に振られる。「ま、身体の三分の一くらいは機械ですけども、それでロボットって事にはならんでしょ。ていうかお姉さん、うちのことご存じない? じゃ今日はこれだけ覚えて帰ってくださいねー。うちは機械公爵様」
 ニュースに疎いマナにもその名には聞き覚えがあった。警察の目と網をすり抜け、各国で特殊な機械製品を大小値段問わず盗んでゆくという機械愛好家。とうとう外国は荒らし尽くしてこの国に来たということだろうか。しかも今日この時この場所へ。迷惑な奴である。
 T4-2は機械公爵“様”の方へ相変わらず穏やかな笑顔を向けながら問う。
「この工場にあなたのお眼鏡にかなうものがあるとも思えませんが」
 マナは身構える。T4-2の一人舞台に魅せられすっかり忘れていたが、自分は結構いいものを持って……いや、盗んでいたのだ。鷹揚にしてないで、さっさと斧で首を落とせ、縛りつけろ、機関銃ぶっ放せ! とT4-2の背後から気配で訴える。が、そこまで察しのいい機械でもない。
「ふっふっふ、そんな事ないよ、全然ない。うちの目的は」そして機械公爵の銀に耀く指が真っ直ぐに指差したのは果たして。「きみ! 牧島重工製四五式トロイリ四型汎用亜人型自律特殊人形第弍号ちゃん」
「ああ」T4-2は困惑に瞬きするかのように眼光を明滅させながら自分自身を指差した。「私」
 この中で一番価値ある物。それは置菱でも、マナが盗んだ物でもなかった。
「うんうん。新聞で見た時から、きみを手に入れたいと思っててん。だから、この辺で騒ぎ起こしたら警察が来てくれて会えるかなーって」
 迷惑な奴だ。それなら直接墨田署に行けと言いたい。どいつもこいつも、自分を邪魔するために存在しているかのようにマナには思えた。
「ご存じかとは思いますが、これは犯罪行為ですよ」
「逮捕権ない警察に言われてもなあ。というか、そんなつまらん組織、見切りつけてうちに来たらどうやの。人間といても、色々つまらんこと多いと思うよ。もったいないよ、人より数段優れとるのに」人はそれを嫌がり、特別視する、と機械公爵。
「お誘いは大変嬉しく思いますが、お断りします。私は平和と自由を守るために作られました。あなたのように、自己の欲望のために他者の平和と自由を侵害する方とは相いれません」
 言い切る言葉は忌々しい程に清々しい。己の使命を信じられる事は幸いな事。マナはT4-2を羨望した。そして同時に憎くも思った。
「真面目くんか。けどおつむの出来は今一歩ってとこかな? 優しくお誘いしてるうちに乗るのが賢いやり方よ」
 機械公爵は持っていた掌大の何かを天に翳して叫んだ。
「来い、ダークフェンダー!」
 身体が浮くような地響きに次いで、工場の屋根が力任せに引き裂かれる。
 雲一つない青い空を裂くように立っているのは、見上げてもまだ有り余る巨大な漆黒のロボット。身の丈は優に工場の屋根を越えるくらいはある。いままで高いと思っていた工場の屋根は、そのロボットの腰丈にも満たない程度しかない。
「うちの一番大事な子、ダークフェンダーや。以後お見知りおきを」
 機械公爵は漆黒のロボットを背に優美にお辞儀した。言葉遣いは怪しいが、お育ちはいいのかもしれない。
 屋根がなくなったお陰で、工場の外の銃声と怒号がよく聞こえるようになった。どうやらちょうど警官隊が到着したところのようで、突如現れ工場の屋根をむしり取った巨大なロボットにやたらめったらに発砲している様子だ。
 その中には確実にマナの兄もいるだろう。
「そんなことしても弾と税金の無駄やで、まったく」
「今すぐ操縦機を置き、投降してください」
 T4-2は右手首から手の甲に沿うように伸びた小銃を機械公爵に向け、淡々と呼びかける。
「それも無駄な事やで」
 漆黒の巨大な手が機械公爵を包み込み遥か上空へ運ぶ。T4-2が放った弾丸も、ダークフェンダーの装甲の前ではおもちゃ同然だった。
 機械公爵はダークフェンダーの肩に乗るとリモコンを操作しながら言う。
「ダークフェンダー、あれを捕まえろ」
 その声に応えるかのように、ダークフェンダーの手がT4-2に迫る。しかし彼は逃げるでもなく、悠然とその場に立ち、まるで何かを待っているかのように漆黒の手を見つめている。
 マナの目的を完遂させるためには警官など目の前で攫われてくれた方が有難いと理性で分かってはいるのだが、マナは咄嗟に囚われる間際のT4-2に向けて“力”を使おうとしていた。
 磁力である。
 突然だが説明すると、マナは超能力者だ。
 金属に磁力を帯びさせ、その物質を思念だけで反発•誘引して動かすことができる。一番容易いのは物体を自分に向けて誘引する事だ。それ故にマナは自身を人間磁石と呼ぶ。
 しかしその力も万能ではなく、動かせるのは自分の腕力で実際に持てる程度の重さで、自身の想像•可視しうる範囲の動きに限られる。
 例えばマナは銃の構造を知らないので金属から銃を作り出す事は出来ないが、目視範囲に銃の引き金があり、それが金属製ならば動かして銃弾を発射させる事は出来る。
 例に照らせばT4-2はマナの腕力には有り余る程の重量級で、ダークフェンダーの手の届く範囲から逃れさせるのは不可能だろう。
 ただ、そんな困難をたちどころに解決してしまうアイテムも存在する。
 隕鉄だ。
 宇宙より飛来したその希少な石は、人間に人知を超えた知識と力を与え、時に増幅させる。それ故に危険で魅力的だ。マナは危険物としか思っていないので見つけ次第壊すつもりでいたのだが、先程回収しポケットに入れたままの隕鉄があれば……T4-2をダークフェンダーの魔手の及ばぬ範囲まで引き寄せる程度はできるだろう。彼が見た目通り、磁力を帯びやすい金属製ならばの話だが。
 マナはT4-2に向けて腕を伸ばす。その手が届くことはないが磁力は届き、確かに掴んだ。その片手は。
 T4-2は磁力に引かれた片手を中空にぶらんとさせて、その手先が向いたマナの方を見る。ちかちかと、明滅する光。
「重すぎる!」まるで冷蔵庫だ。マナは叫んだ。
 あわやT4-2が機械公爵に捕まるかという瞬間、ダークフェンダーの手に鉤つきの太いケーブルが巻き付き極める。
「間に合いましたね、T1-0」
 ケーブルの持ち主はダークフェンダーに引けを取らぬ巨躯。全体的に丸みを帯びたフォルムで体表の色は黒だが、ダークフェンダーとは違って光を吸い込む漆黒ではなく、陽光が当たれば抜けるように反射する艶めく黒だ。背に負う二本のブースターにはMaximaaa! と読める悪目立ちする赤白黄のロゴがついていた。ロゴの趣味だけはちょっと安売り的というか玩具的で悪いかもしれない。
 主と同じように鷹揚な所作で伸ばされたT1-0の手にひらりと飛び乗るT4-2。
「私がこれに乗っている事は秘密にして下さい」T4-2は自身の唇に白い人差し指を当てた。「どうか」
 マナは鼻白んで肩を竦めた。
 一瞬でも助けようと思ったのは馬鹿げていたかもしれない。鋼鉄の偉丈夫の前では磁石人間なんてちっぽけなものだ。冷蔵庫に買い物メモを貼り付けるのがやっとの小さな緑のマグネットが、冷蔵庫を引き寄せられるか? という話である。
 T1-0は右拳をダークフェンダーに向け、巨大な機関銃を展開する。
『今すぐ操縦機を置き、投降してください』
 T1-0内部に乗り込んだT4-2の声が大きく響く。
『悪魔の……』機械公爵の息を飲む悲痛な声はすぐに持ち直す。『そうか、いい物持っとるやん! ダークフェンダーもやっと互角にやり合える相手ができたって事や』
 ダークフェンダーは腕に巻かれたケーブルを振り解き、T1-0の脇腹をぶん殴った。
 T1-0が片道一車線の車道に窮屈そうに倒れ、盛大な粉塵をあげてアスファルトの礫が舞い上がる。T1-0は左腕から巨大なシールドを展開し、辺りの建物やパトカーを礫から守った。
 倒れた巨体はその体躯に見合わぬ素早さで体勢を立て直すと『自衛的制圧を開始します』と宣言し、敵性機械に向けて肉薄し、拳を突き返した。かくして巨大ロボット同士の近接戦が始まった。
「銃は使わないのかよ!」
 聞こえないと分かっていてもマナは叫んだ。
『市街地で飛び道具を使うのは感心できません』
 T4-2が言う。マナにではなく、ダークフェンダーから迫撃砲を発射した機械公爵に対してだ。
 T1-0は砲弾に自ら飛び込み、自身の胴体と盾の間で破裂させた。
 間合いを取ったダークフェンダーがその背中から迫撃砲を連射する。砲は煙で軌道を描きながら空を泳ぐ。
 砲が上空高くにあるうちに、T1-0はライフルの精密射撃でそれを爆破する。さながら白昼の花火大会である。
「そこの黒いロボットともっと黒いロボット! わけわからん戦いをやめろ!」
 精度の悪い拡声器の声は、どうやらマナの兄のもののようだ。巻き込まれる前に撤退して、と都合のいい事を考えるマナ。
『やめるわけないやろがいアホ!』
 ダークフェンダーが路上の複数のパトカーを掬うようして投げ上げる。
『申し訳ありませんが、いたしかねます』
 T1-0の手や盾が慎重にパトカーを受け、安全な場所に降ろしてゆく。
 T4-2のロボットもダークフェンダーに力負けはしていなかったが、しかし天を突く巨躯にとっては狭い片側一車線の道路で、周りの建物やパトカー、警官に被害が出ないように徹して戦うのは至難の技のようだった。相手はなりふり構わず向かってくるというのに。
 ダークフェンダーに蹴り飛ばされたT1-0は、道路の両側に立ち並ぶ建物に触れないよう無理な姿勢で受け身を取りながら、路駐している置菱の高級車を潰さないギリギリの所で止まった。
『どうやら私は弱く、いたく不自由なようです』
 ダークフェンダーは近くの建築現場から二本アームの重機を掴んで放り投げる。それは偶然にもマナと置菱のいる工場の、それも二人の真上に落ちてくる。
「畜生! なんでこんな奴を!」助けてやる事になるんだ、と悪態をつくマナ。
 マナは昏倒している置菱の傍に立ったまま天に向けて片手をぴんと伸ばした。中指の爪のほんの先にすべての力を集約させるイメージを持つ。そうすれば爪の先に触れるか触れないかで重機は反発して逸れマナと足元の置菱には当たらない……はず。
 しかし運が悪い事に、マナに真っ先に向かってくるのは金属フレームの方ではなくゴム製の履帯の方だった。
「無理な方だ」
 無惨に押し潰されるのを覚悟した寸前、重機の気配はふと消えて青空が広がる。
『人命優先の緊急避難による破壊です。倫理規定違反には当たりません』
 建設重機を捻り潰しながら巻きつけた太いケーブルは唸りながら取って返し、それをダークフェンダーに叩きつけた。輝き飛び散るガラス、アーム、履帯、コアメタル、燃料。次いで小爆発。
 ダークフェンダーはよろめくがただでは転ばず、ケーブルを掴んで引き寄せる。T1-0はたたらを踏み、片手をついて地に膝をつく。漆黒の拳がぴたりとT1-0の背にあてがわれる。
『ジェットパンチで王手。まあ、避けてくれても全然構わんけど』
『どうぞ』T1-0の下には電線があった。『私は避けません』
 噴射の音とともにダークフェンダーの肘から勢いよく火が吹き、そして。
「避けろよな、馬鹿保安官」
 マナは片手をダークフェンダーの肩に乗る機械公爵に真っ直ぐに向ける。
 磁力の見えざる手は機械公爵の持つリモコンを紙切れのようにくしゃりと丸めた。
 たが一度入力した指示は敢えなくそのまま行われ、結果としてT1-0のブースターの片方が破裂する。ただ一つ幸運な事は、操縦機を失った機械公爵とそのロボットが撤退してくれた事だ。
 リモコンしか潰せなかった事をマナは悔やむ。できれば機械公爵もクシャッとしたかった。
 マナは鼻から滴る血を無造作に袖口で拭い、置菱の隣にぐったりと座った。消耗して、頭も心臓も脈打ち痛い。
 置菱を庇うつもりも、T4-2を援護するつもりもなかったのだが、マナには劣勢の者に加勢したくなる捻くれた悪癖があった。
「お二人ともご無事ですか」
 T4-2が鷹揚に工場に戻ってくる。
 人には秘密にしろと言い残して行った手前、警察に見られやしなかったろうな、とマナはT4-2を睨む。横目にボロボロのT1-0がフラフラ飛んでいくのが見える。衆人に操縦者が露呈したという事はなさそうだ。
「この人は寝てるだけ。まったく大物」
 マナは置菱のきっちり整えられた髪をぐしゃぐしゃにする。
「あなたは」T4-2はマナの前でかしずくように片膝を折って屈む。「血が出ていますね。どうか私の不手際をお許しください」
 T4-2が懐からハンカチを取り出してマナに差し出してくる。
「あんたのせいじゃないから」
 マナは真っ白で糊のきいたハンカチを押し返し、首を横に振る。上等な物を使うのは慣れていない。代わりにT4-2はマナに手を差し出した。
「立てますか」
 紳士的過ぎるのも慇懃無礼に思えて気に食わず、マナはその手を無視して自分で立ち上がる。しかしT4-2は気にした様子もない。
「傷ひとつないね。死んだと思ったのに」
「ご安心ください。私は死にません。T1-0も私も、打たれ強いのです」
「でも負けたよね」
 口角だけ上げて笑い、意地悪く冷たく言い放ってみるが、T4-2にそうした悪意は通じないようだ。
「初めてというものは、大抵酷いものですよ」
 そしてT4-2は上背のある軀を少し窮屈そうに丸めてマナに視線を合わせた。
「ところで、まだあなたのお名前を伺っていませんでした」
 そのうち兄か誰かから知れる事だし、今正直に名乗ってもいいか、とマナが口を開こうとした所に。
「マナ!」
 息急き切って工場に駆け込んできたマナの兄が、彼女の名を叫び、安堵のあまりその場にへたり込んだ。
「なるほど。内藤マナさん」
 察しの悪いようで良い精密機械は、マナとその兄に交互に目をやり、深く頷いた。