乗船日和 上 - 3/6

 そのうち彼女は陵辱に身を委ねて、顔を蕩けさせて甘ったるい吐息を漏らし、脚を絡ませ腰を押し付けてくる。秘部はゆるやかに媚びて蜜を垂らし、猛る雄を歓待する。そして彼女は僕が好きだと、もっとして欲しいと断続的に呟く。この状態をよく知っていた。諦観と防衛。これ以上酷い目に遭わされたくないがために状況に順応しようとしているのだ。完膚なきまでに調伏された状態。もはや元には戻れない。彼女を壊したという暗い悦びと愉悦が脳髄の奥から滲み出る。
 そんな妄想の果てに有り余った精をうつつでも抜き、彼女に申し訳ない気持ちになりながら眠った。そんな劣情に支配された妄想は彼女の生身の肉体を見るまで続いた。つまり、彼女が両性具有と知るまで。
 その日は雷雨の悪天候で、それにも関わらず彼女はずぶ濡れでやって来て、早々に荷物だけ置いて帰ろうとするので僕は必死で引き留めた。僕の服を押し付けて、着替えるようにと風呂場に案内した。ドアを閉めてからタオルも渡せばよかったと、僕はタオル片手に慌てて引き返し戸を開け……彼女に気づかれる前にすぐ閉めた。
 既に彼女は濡れた服を床に落とし一糸まとわぬ姿となっていた。たとえ一瞬でもそれはしっかりと目と瞼の裏に鮮烈に焼きついた。
 後ろ姿はまるで少年のようでもあった。およそ無駄な肉というものがなく、痩せた臀部と脚。しかしシャツを着るために捻られた斜めの肢体には娘らしさがあった。ふんわりと膨らんだ胸、くびれた腰。一方でその下腹部には男の象徴。しかし睾丸らしきものはなく、その奥には女の秘められた部分がある事が窺えた。
 彼女においては性質の違うものがより合わさってもちぐはぐにはならず、むしろ絡まり合って調和して大変美しかった。
 雷雨が去って彼女が帰ったその後、眠る前の邪な想像は色合いを変えていた。
 相変わらず僕は彼女を組み敷いて征圧し、荒々しく腰を動かし初々しい身体を穿つ。そうしていると段々と彼女と僕の境界は曖昧になってきて、いつの間にか組み敷かれているのは僕で、僕の中を穿つのは彼女。彼女は後ろから執拗に僕の中を擦り付け、犯されて泣きながら善がる僕を詰り、平手で尻を叩く。僕は尻を捧げて全身で媚びて、もっともっとと喘いで、自分からも貪欲に腰を動かす。そして内臓に直に注がれる彼女の欲望に感じ入って果てる。
 それから僕は彼女を受け入れる事ばかりを希うようになった。僕の本当の望みは彼女の中に精を放つ事ではなく、折檻されて、身体を拓かれて、精を放たれて、厭な記憶をすべて塗り替えてもらう事だった。
 だからといって僕からそんな事を図々しく彼女に頼むなんてできはしない。僕はいつももじもじと挙動不審に彼女に相対するしかないのだ。
 そういう惨めな出来事が積み重なって、おそらく憎からず想ってくれていた彼女もやきもきして、とうとう彼女の方からキスをされたという次第だった。
 嬉しかったけれど、こんな顔に触れて唇を這わせる彼女の気がしれない。醜い不具が趣味なのだろうか。それなら十分納得できる。あの綺麗な人にもそういう容易には満たせない趣味嗜好がある。そう思いこんで安心しておく。彼女も僕と一緒なのだと。
 それか奉仕の精神。彼女くらいの人なら、もしかしたらそういう奇特で高潔な精神で僕と接しているのかもしれない。だとしても、僕は嬉しい。
 鏡でうんざりするくらい自分の顔を直視して、掌で顔と首を撫で回して、僕はやっと視線を逸らす。
 さっき身体を清めて肌が削げる程顔に剃刀を当てたから、髭の一本も頭を出すわけがないのだ。
 彼女は髭が好きではない。野放図に体毛を伸びるに任せたような奴は不衛生だとよく言う。水や物資が潤沢に使える環境ではないから、それには僕も全面的に同意だった。
 洗面台の横の床から垂直に突き出た銅管についている蓋を開けて、シャツとズボンを取り出す。取りきれなかった小さな皺は熱い銅管に押し付けて伸ばす。
 服を何度か振って熱を追い出し、着替える。熱い蒸気で汚れと染み皺を駆逐された服はどことなく海の匂いがする。汚れた泥色の海のそれではなく、夏の爽やかな浜辺の匂い。
 代わりに今まで着ていた服を洗浄機に突っ込んでバルブを開けて蒸気で満たす。これで明日の朝には汗の染み付いた服も新品同様。清潔な服は病気を遠ざける。一方で彼女は僕に密着し、胸に顔を押し当てて潮の香りで肺を満たすのだ。
 僕は最後にちらっとだけまた鏡に顔を映して短く切り揃えた髪を後ろに撫で付け、身支度を終えた。
 そわそわしながら戸口で彼女を待つ。
 泊まりの日のお決まりは、一緒に食事をして、風呂に入って、その後は……僕の屈折した願望を満たしてもらう。尻の躾の具合を見てもらいながら、尻を叩いて折檻してもらうのだ。
 彼女は僕の願望とそれを抱くに至った理由を嫌というほど知っていた。
 あの日、初めて彼女にキスされた日、言いたい事があるならはっきり言えと詰られ射精した後、僕は息も絶え絶え彼女に懇願した。僕を折檻してほしいと。杖で尻を叩いてほしいと。彼女の足に縋りついた。
 彼女は眼差しだけで僕を見下ろして、まるで最初からそうするつもりだったかのように、躊躇する風もなく僕に言った。
「テーブルに手をついて」拒まれるとばかり思っていた僕はのろのろと立ち上がり「早くして」テーブルに手をついておずおずと尻を突き出した。
 彼女の手が僕の腰から尻、太腿を撫で下ろした。これから人を甚振るとは思えないくらい優しい触れ方。思わず熱い息が漏れた。
 僕の背後で何かを振りかぶる気配がした。
「やめてと言ってもやめないから」
 そんな事言うわけがなかった。
 ただ叩かれる度に服の中で射精し、歓喜の涙を流してたくさん謝った。それは彼女を想って自慰に耽っている事とか、折檻されて悦んでしまう事とかについて。卑屈な気持ちはなかった。身軽になる心地よさだけがあった。
 硬い杖で打擲される度に臀部だけでなく性器と内臓にまでゾッとするような衝撃が伝わり、揺さぶられて、間違った愉悦が背筋を突き抜けた。豚の鳴き声のような汚い嬌声を響かせた。
 あまりの暴虐と吹き荒れる快楽に、身体を支える力は尽きて上体はテーブルに伏せて、必死に地を踏み締めていた左脚は震えて内側を向き、踵は浮いて突き上げた尻を震わせていた。叩かれる度に溜まったものを噴き上げるせいで、下着だけでは抑えきれなかった精液が内股を伝い、靴下も靴も汚して床に小さな穢れの沼を作り出していた。視界は涙で滲んで、鼻水と涎で顔はぐちゃぐちゃだった。
 精が尽き果て、謝る言葉さえ失い、代わりに疲労と余韻に濁った喘ぎを漏らして小刻みに震え始めた頃に暴虐の嵐は去った。打って変わって僕の尻や臀部が優しく愛撫され、柔らかな唇で啄まれた。じんじんと焼けるような痛みがくすぐったい感覚で覆われて癒されていった。絶頂とは違う心地よさ。まどろみのような。
 汗で湿った髪の毛に彼女の指が絡んだ。撫でてくれているのだ。僕の老廃物で汚れた唇に彼女のそれが重ねられた。力無い唇はすぐに割開かれて、舌が絡めとられて唾液が混ざり合った。僕は重たい腕を持ち上げて彼女をテーブルの上で強く抱き寄せた。羽のように軽く、柔らかく、いい匂いがした。
「こんな……こと、させるんじゃなかった。ぼ、ぼくは……あぅ、う……ごめんなさい……」
「いいの、わたしたぶんサディストだから。好きな人に対しては。あんまり褒められたことではないでしょうけど」
 そう言った後、彼女は泣きそうな顔になって、少し考え込んだ様子を見せた後にこう切り出した。
「あのね、こうなってから言うのは卑怯なのはわかっているの。わたし半陰陽なのだけど、いい?」彼女は恥じらうように僕の胸に顔を埋めた。「男のひとのもついているの……」
 ゾクっとした。彼女のしおらしい態度に。その時僕は随分薄汚い笑いを浮かべた事だろうと思う。刹那嗜虐的な気持ちを味わった。
「いい……なんでも、する。できるから……つかえるから……」今度は僕が恥じらう番だった。「いっ、入れて、いいから、そうしてほしい……」
 何も言わずに彼女は僕の顔を撫でた。その手がとても優しくて僕は身の内にあるありったけの蟠りを吐露した。こうなった以上、そうしなければならないような気もして。
 先の戦争で僕は捕虜になり、暴虐の限りを尽くされた。
 最初こそ情報を引き出すための歴とした拷問だったように思う。縛られ、窒息寸前まで冷たい水に頭を漬けられ、殴られ、右の下腿を鈍器でもったいつけて少しずつ潰され、膝の関節を銃で撃ち抜かれ、それを間近で見せられていた僕の隊の兵卒が口を割り、用無しとばかりに銃殺された辺りまでは。
 僕の無様な悲鳴や態度が面白かったのか、なかなか頑丈なせいで長く愉しめると思われたのか、以降は不平不満やその他の唾棄すべき感情や欲求を発散するための陵辱へと徐々に空気が変わっていった。
 失血死しないよう、熱せられたサーベルを押し当てられて傷口を焼かれた。食用でない肉が焼ける厭な臭いと血の臭いが混ざった生臭さが辺りに満ちた。脳天まで貫かれるような激甚な痛みに失禁し、食いしばった歯が何本か砕けた。これで死ねればどれだけよかった事だろうか。この時ばかりは自分の頑健な肉体を恨んだ。
 縛り付けられたまま地面に転がされ、鞭で打たれた。服は引きちぎれてボロ切れ同然となり、肌からは血が滲んだ。
 そして衣服の裂け目を広げられ、慣らしもせずに犯された。肉体の損壊よりも堪えた。一人目が終わって、続く暴行から逃れようと必死に地面を這う姿を嘲られ、踏みつけられ、蹴られ、また犯された。穴という穴を使い潰す行為の合間に思い出したかのように肉体的に痛めつけられ、段々と矜持の薄皮が剥がれてゆくのが感じられた。
 完全に慰みものにされていた。身体の自由は奪われて、獄に来る者にいいように弄ばれるだけ。
 何日経ったか、喉が渇き、腹が減り、傷口には蛆が集っていた。死すら恐れず戦地に立ったが、それは戦いの最中で死ねるからこそであったのだと痛く実感した。飢えと渇きの中、惨めに苦しみのたうちながら果てるのは嫌だと本能が喚いて、僕はとうとう屈した。
 媚びて、喜んで行為を受け入れて、対価を得た。陵辱の後には食料と治療が。生命の維持のために、精神と肉体は積極的に壊れた。痛めつけられ、強引に犯される事から快感を拾えるようになっていた。命乞いをし、自ら身体を差し出し、あらゆる陵辱に媚態を晒し、堕落した喘ぎを漏らし、望まれれば必死に抵抗し、中に欲望を撒き散らされながら無様に絶頂した。そして這いつくばって腐った残飯と泥水を啜り、手荒でおざなりな治療を施された。
 そうなると完全に怨敵の家畜だった。けれど生き延びた。こちらの圧勝という結果で戦争が終わって助け出されたものの、壊れた肉体と精神は残されて、思い出す度に気が狂いそうになる。そしてもはや普通の方法では性的充足を感じられない身体に成り下がっていた。
 この忌むべき刻印は彼女に折檻されて犯される事でしか昇華されない。僕はそう強く信じていた。
 どもったり、つっかえたりを繰り返し、どうにかこうした経緯を彼女に伝えてから僕は問うた。どうしようもない記憶を彼女を利用して塗り替えようとするような、卑怯で壊れきったものを好いてくれるのかと。
 そういう所が好きなのかもしれないわ、わたしも歪んでいるかもしれないけれど、と彼女は言った。それでも僕は構いはしなかった。むしろそれでよかった。
 彼女は僕と交わりたいと言い、僕は今すぐにでもしたかったが、彼女は気が長いのか用意周到なのか、僕に本当に傷を負わせるのは本意ではないようで、こうして躾も兼ねて肛門の慣らしが始まったのだった。
 そしてつい昨日、彼女は僕の尻に嵌った張り方を抜き差しして弄び、僕が尻だけで何度も絶頂したり惨めに精を垂らす様を見ながらながらこう言った。
「もうそろそろわたしとできそう。明日……そうね、明日しましょう、お泊まりの日だもの」
 僕は感極まった。とうとう彼女自身をこの身深くに受け入れる時が来たのだ。
 螺旋階段を登ってくる音が聞こえてくる。規則正しく、穏やかな。
 階を打つ足音が止まり、ノックの音が聞こえるか聞こえないかのうちに、僕は分厚く重たい扉を勢いよく開けて待ち人を迎える。毎日のように会っているのに、いつも久しぶりに会うような気持ちになってしまう。
「こんばんは」
 彼女は顔を綻ばせて僕を見上げてくる。僕は途切れ途切れ同じ挨拶を返して、背を丸めて彼女を包み込んでキスをする。
 つい先月くらいまでは、はっきりと彼女に請われるまで僕から口付けする事はなかったが、近頃はそれを待っている時には分かるようになってきた。それに僕からそうすると彼女はとても嬉しそうだ。
 彼女の手に顔や肩を撫でられながら、柔らかい身体を抱きしめて、菓子のように滑らかでほんのり色づいた頬に唇を寄せると興奮半ばの身体が芯から目覚めてくる。いつもと違う期待のせいもある。知られたくなくて僕は腰を引くが、そうした事で寧ろ気付かせてしまう。
「辛そう。出してしまった方がいいわ」
 彼女の瞳の中には浅ましく蕩けた醜い顔がある。
「まだ……いい」
 僕は首を振るが、彼女は「でもそれじゃあお食事楽しめないもの」と言い、膝頭で僕の股間を擦る。張り詰めた陰嚢ごと肉棒をやわく扱きあげられ、腰が引き攣り痛みに似た快感が押し寄せる。
「っだめ、や……うあぁあ……」
 僕は彼女に縋りつき、杖に体重をかけ、情けない声をあげて射精するしかなかった。それも、服の中で。
 彼女は荒く収縮する僕の背を撫でて、肩の辺りに顔を埋めて幽かに笑う。
「すっきりしたわね」
 瞬間的な性感に関してはそうだけれど、下着の中でべっとりした物が肌に絡まり事後はいい気分ではなかった。けれど、あえて着替えたり拭いたりはしない。不快感に居心地悪そうにする僕を見るのも彼女の嗜虐心が高まって気分がいいらしいから。
 僕は彼女の手を引きダイニングテーブルにつかせる。
 蒸気の通り道である銅管の上に置いて保温していた片手鍋とフライパンをテーブルに移して、蓋を開ける。豆のスープとパエリアは湯気といい香りを部屋いっぱいに吹き上がらせて食欲を誘う。彼女の顔も輝いて、唇は感嘆の吐息を吐く。
「わたしもワインとチーズとクラッカーを持って来たの。乾杯しましょうね」
 僕は彼女が荷物から出した白ワインのボトルを受け取り、互いのグラスにワインを注ぐ。
 その間に、彼女はテーブルにチーズとクラッカーを並べてくれる。乳製品を都合してもらえるのは本当にありがたかった。灯台は暑すぎて、そういう物を保管できる場所がない。彼女がうちで食事を摂る時には大抵生鮮食品を差し入れてくれて、それ用いて料理をしたり、そのまま味わったりするのも楽しみの一つ。
「ワインと言ったらいつもスクリューキャップばかりでごめんなさいね。コルク栓のものを見つけても、なんとなく衛生的に気になって」
 僕に酒の良し悪しは分からないが、一般的にコルク栓のワインの方が高級と見做されるらしい。僕はあまり味覚に優れているわけではないので、彼女と愉しめるなら「なんでも、いい……」うん、これでは語弊があるな。