乗船日和 上 - 4/6

「ならよかったわ」
 僕の一見投げやりな応答にも彼女はにこりと笑う。僕の致命的な難所を受け流してくれる所がすごく安心できる。機嫌を損ねた相手に弁解しようとすると、焦ってしまってもっと大惨事になる事請け合いだから。
 彼女の向かいの席について、僕はグラスを軽く掲げる。
「いつも……」海を渡ってまで来てくれて「……あ、りがとう」僕は肉体的にも精神的にも灯台から外に出る事はできないから「と、とても助かる。うれしい……」
 僕は思っている事の十分の一も伝えられない。
「あなたのお家は暖かいし、清潔でとても居心地がいいからわたしもお邪魔できて嬉しいの。お料理もおいしいわ」
 一方で彼女はとても気の利いた返事をしてくれる。僕よりずっとずっと年下なのに、とても人間ができている。
 二つのグラスがかちっと音を立てて触れ合う。グラスの中で揺蕩う液体を一口含めば、鼻腔にまでよい香りが広がる。
 温度管理もされていない大昔のワインとは思えない程「……おいしい」
「あなたのお口にあってよかった」
 そして彼女も僕の料理を食べて、一口ごとに美味しい美味しいと言ってくれる。すごく嬉しい。
 僕も空腹で胃が痛いくらいだったが、頂き物のチーズとクラッカーを食べるくらいに留めておく。あまり食べ過ぎては以降の予定に差し障る。つまり……そういう事をするのに、満腹では感覚が鈍る気がする。それに今夜は言うのも聞くのも憚られるような場所をとうとう使ってもらうつもりだから、重たい食べ物が内臓に詰まっている状態は避けたい。嘔吐の憂き目に遭うのはもう嫌だった。
 空きっ腹にアルコールはよく効いた。骨の髄から血肉がほてって、古傷が甘美に疼き、準備万端のその箇所に熱が滲み出てじんわり滾る。椅子の上で尻の筋肉がぎゅう、と引き締まる。
「酔ってしまった?」
 彼女が立ち上がって、テーブル越しに顔が近付いてくる。気遣わしげな表情とは裏腹に、その次の行為はとても淫らなキス。唇を触れ合わせるだけでなく、彼女の舌が僕の唇を割って、硬く閉じられた歯列をなぞった。
「アルコールとチーズの味がする」
 発熱する前触れのような震えが背筋を貫いて、また下着が窮屈になる。彼女はもじもじとする僕の様子を見てちょっと笑い、鍋とフライパンに蓋をして、食事の終わりを暗に示す。
 バスルームの前で僕たちは向かい合って服を脱がせ合う。僕は彼女の胸元の編み上がった紐と結われた髪を解して、彼女は僕のシャツのボタンやズボンの留め具を外す。
 彼女の飾り気のない衣類と下着がふんわり床に落ちて、肌が顕になる。
 ほっそりした首、滑らかなカーブを描く肩、控えめな瑞々しい胸、薄い腹から続くラインの終点には雄々しい陽根。
 互いの裸は何度も晒して触れ合ったというのに、今日はそれ以上の事をすると思うと一層特別に見えてくる。
 蒸気満ちて温まったバスルームに入り、僕は浴槽の縁に腰掛けて杖を壁に立てかける。片脚で湿ったタイル床に立っているのはかなり危険だ。それに座ると彼女に見下ろされるくらいになって、キスすると彼女の赤毛が僕の首や肩をさらさらと撫でてすごく気持ちいい。
 湯を浴びて、泡立てた石鹸を互いの身体に塗りつける。繊細な彼女の洗い方は僕の性感を呼び起こすが、僕の方は不器用なので彼女はくすぐったそうに身体を捩る。頭のてっぺんから爪先までくまなく綺麗にして、浴槽に浸かる。小柄な彼女一人ではさほどではないが、二人で浸かると溢れんばかりに水嵩が増えて、彼女は肩まですっぽりお湯の中。
「溺れちゃう」
 彼女は僕の首に縋りつき、僕も彼女の背に腕を回す。抱擁するだけで、肌が混ざり合うようで気持ちいい。激しく折檻されるのもいいけれど、こうしてしっとりゆるやかに触れ合うのも好きだった。普通の恋人同士みたいで。いつかそうなれたらいいと思う。たぶん無理だろうけれど。
 軽く啄むようにキスしたりじゃれあったりしていると僕の局部は完全に興奮しきって彼女の身体に張り付く。吸い付くような柔肌に触れて堪らない。浅ましく擦り付けて全部終わらせたくなる。
「我慢する?」それとも……と続く言葉を、首を横に振って遮る。我慢すれば彼女は褒めてくれる。耐えられずに粗相をしても、それはそれで行為の火種になる。
 僕は彼女を浴槽の縁に座らせて脚を開かせた。湯の雫が滑らかな内腿で弾けて流れ落ちる。かさついた唇で瑞々しい腿をなぞって、中心へ。彼女に見えるよう精一杯舌を伸ばして彼女の陰茎の裏側を根本から先端に向けて何度も舐め上げる。興奮半ばだったそれはすぐに硬くそそり立つ。華奢で清楚な雰囲気にそぐわしくない、太く硬く随分立派な陰茎。剥けきれていない僕のよりも雄々しく、気後れして、だからこそ惨めに興奮してしまう。僕の感性は色々と手遅れだった。
 竿に浮く血管を上へ辿り亀頭の先端に吸いつきながら舐め回す。無味の唾液に生理的な塩っぽい味が混ざり、彼女の性的な高揚が見てとれた。僕の与える刺激がそうしているのだと思うと嬉しい。
 口を開け、勃起を深く迎え入れる。下歯と肉棒の間に舌を挟み、頭を動かして扱く。勃起の先端を喉奥に当てると勝手に喉が締まって息苦しくて頭がぼんやりしてくる。彼女は愛玩動物にそうするように僕の喉を撫でて顎を上げさせ、顔にかかる濡れた前髪をかきあげる。苦痛と愉悦に歪む僕の顔がよく見えるようにだと思う。
「ああ、すてき。眉を苦しげに顰めて、けど、目は気持ちよさそうに細めて……」やっぱり、思った通り。「精悍なお顔が台無しで、ん……はぁ、淫らね男の人のそういうの」滑らかな彼女の内腿が僕の頬をふんわり包み込んで撫でた。「わたしがそうさせているのね」
 何度目かの喉奥への刺激の後、突然僕の後頭部が掴まれて柔らかな下腹部に押し付けられる。彼女の絶頂の時が近いのだ。
 彼女は苦悦に勃起した僕の肉棒を柔らかな足で踏みつけ、浴槽の底に押しつけて扱きながら、直に食道に長々と精液を注いでゆく。
「ぐっ……ぉッ、ごぼっ……おォ」
 溺れたような声が漏れて、鼻腔から肺まで雄の匂いで支配される。粘質のものが喉に絡みながら胃の腑に落ちて溜まってゆく。息が詰まり、小刻みな痙攣に身体が揺れる。勃起で気管を塞がれ、肉棒を乱暴に扱かれ、僕は呆気なく湯の中に白濁を撒き散らすしかなかった。
 一週間溜めたのであろう彼女の射精の勢いが収まり、やっと口から怒張が抜けて、唇との間に涎と精液の糸がかかる。彼女の指が僕の口をこじ開けて舌を引き出し怒張の先端を擦り付けて残滓を拭う。道具のように使われている感じがしてすごくよかった。僕は犬のように小刻みで浅ましい息を吐いて悦ぶ。
「いい子」
 荒々しい行いが終わると彼女はとても優しくなる。彼女の手が僕の頭を撫でて、僕は彼女に擦り寄る。従順なペットのように。
 とはいえこれでお終いというわけではなく、淫らで過激な交わりは続く。
 僕はリビングのソファの上に尻だけ掲げて伏せる。両腕は背中で纏めて拘束されているので四つ這いになる事はできない。彼女は僕の下腹部の辺りに膝が来るようにソファに座っていて、いうなれば僕は悪戯した子供がお仕置きされるような姿勢を取らされている感じ。
 傷だらけの剥き出しの尻に彼女の平手が飛ぶ。肉同士がぶつかり合う湿っぽい音が部屋中に響く。
「ああっ、うぁ……っ」
 ぶたれた衝撃が肉を振るわせ骨の髄を奔り下腹部と脳天を貫く。叩かれた所がじんわり熱を持って、それが段々全身を犯してゆく。
「あ……ッ、ひ……ぃっ」
 叩かれる度に頭が真っ白になって、厭な記憶が反転して焼き切れていく。それは軽い絶頂だった。
 萎え切っていた肉棒にまた血流が集まってきて先走りが垂れる。勝手に腰が揺れて折角風呂で清めた彼女の太腿に穢れたものをなすりつけてしまう。柔らかくて滑らかで気持ちいいのと、痛くて気持ちがいいのとがぐちゃぐちゃで、情けない声が溢れる。
「んうっ……ぐう」僕はクッションに顔を押し付けて嬌声と息を封じ込める。
「声が聞こえないわ」
 首がぐっと後ろに引っ張られる。僕につけられた首輪から伸びる紐を勢いよく引かれたようだ。
「あっ、ああ、ごめっ……なさい……」
 僕はなるべく背と首を反らす。腕が使えないのですごく辛い。辛くてきつくて気持ちがよくて涙が溢れる。
 お仕置きとばかりに一際強く叩かれて、僕の身体の隅々まで暴虐が行き渡る。
「お゛……ッ」
 喉が詰まって嬌声は途切れ、肉棒から精液が溢れていた。どぼりと、液体の並々注がれたグラスをひっくり返すように。
 一瞬漲った筋が弛緩して僕はソファに沈んだ。射精を伴う絶頂を三度もすると、かなり疲労感があった。
 ただ彼女に僕を休ませる気はなく、首輪をぐっと引かれる。言われなくても何をすればいいのかよくわかっていた。彼女をきれいにしなきゃ。僕の身体で。
「ごっ……ごめんなさい……」
 僕はのろのろ身体を起こし、彼女の前に跪く。
「どうして謝るの」
「よごし、た……から。ぼ、ぼく、の汚い……つかいみち、ない、むっ、むだな、精液っ、で……」
 惨めったらしく謝り情けなく自分を卑下していると涙が出そうになる。気持ちよくて。肉体的な刺激がないのに果てそうになる。最低で最高だ。
「いいのよ。それに使い道ならたっぷりあるもの」
 彼女は人差し指で膝の精液をなぞり、それをピンと伸ばして差し出した僕の舌になすりつけた。
 僕は彼女の太腿と膝についた精液を舐め取りきれいにする。自分のを舐めるなんて倒錯しすぎて変な感じだった。彼女のものより粘度が高く生臭い感じもするし。でも嫌悪感はなく、彼女から僕の穢れを取り去る事だけを一心に考えていた。
 無防備に晒された僕の項や頭を撫でながら彼女は呟く。「三回目なのにこんなに出るなんて」浅ましいと言いたいのか、足るを知らないと言いたいのか「羨ましい」僕にはよくわからない。
 胃の中で彼女の精液と僕の精液が混ぜ合わさり、彼女の腿にかかった精液が僕の涎に置き換わると、次は僕の尻の仕上がり具合を見てもらう事にする。躾が完成したと早くわかってもらいたかった。そしてその先の愉悦を味わいたかった。
 ソファに腰掛ける彼女の前に膝をつき脚を広げて背と腰を反らし股間を晒す。いつもやっている事だけれど、何度やっても——慣れるよりはましだろうけれど——羞恥心は拭えない。しかも腕は縛られたままで、首輪と紐で彼女に繋がれて。高揚に息が上がる。犬のようだ。
 腹と尻に力を入れて、意識的に括約筋を絞める。中に埋められた淫具の膨らみが尻の中のいい所を圧迫する。
「おっ……あぁ……」
 太腿がぶるりと震えて、ゆるく勃ちあがった肉棒の先から透明な汁が滴る。
「ふうっ……うぅ」息を吐き力を緩める。じんじんと腰骨とその奥が疼いた。身体中が熱くぼんやりとして、男のそれとは違った、ゆるやかな快感が背筋を昇ってくる。
 何度か尻を締めたり緩めたりを繰り返して快感の源を自分で押し潰していると首輪がぐいっと引かれて、快感を追う事に夢中になりすぎて無意識に顔が俯いていたと知る。ぼやけた目で彼女を見ると、ソファの上で脚を組み気怠げに僕を睥睨していた。とても綺麗で、蠱惑的だ。しなやかな指が紐を弄んで、その刺激が紐と首輪を通して伝播してくるようだ。
 僕は悪戯を見咎められた子供のように謝って、喉を逸らして顔をよく見えるようにすると自分を害し冒涜する行為を再開した。
「ハッ、ハァっ、ア……ふぅ、ッう……」括約筋を戒めたり放ったりの繰り返しに浅ましい息と嬌声が勝手に漏れてしまう。「はひぁ、いっ、ぐ……い、いきた、い……おね、がい……」
「いいわ」
 お許しを得て、僕はみっともなく肉棒を揺らして下腹を打ちながら追い上げる。淫具が前立腺を責め立てる刺激に勝手に腰が淫らにうねって、まるで後ろから激しく犯されているようにも見えるかもしれない。
「あっ、ぐっ、おぉォ……ッ」
 けたたましく咆哮して、僕は達した。傷口に焼き刃を押し付けられた時と同じように頭が真っ白になって、しかし痛みはなく全身を震わせながら肉悦を享受した。
 射精を伴わない絶頂だった。硬く勃起したままの肉棒は透明な汁をだらだらと垂らしていた。
「女の子の快感ね……すごい」
 女の子と言うと語弊があるだろう。そう可愛いものでもなかった。どちらかと言うともっと獣性強い雌の快楽だ。
「はあ……はっ、あ……あぁ……」
 僕は無防備に喉を晒して荒い息を吐くしかない。身体は怠く、淫具を喰んだ尻は余韻で不随意にひくついて快感の残滓を追う。
「今日もがんばったわね。本当にかわいい」
 彼女が目の前に来て僕を抱きしめるように包み込んで、そして僕の尻から淫具を引き抜いた。
「……ッ!?」
 声を上げる間もなく射精していた。
 達したばかりの敏感な肉穴を遠慮なしに勢いよく擦り抜かれ、我慢など考える暇もなかった。尻の穴から潤滑剤代わりに仕込んでいたオリーブオイルがとろりと垂れる感覚さえも暴力的な快感として受け取ってしまう。
「ふーッ、ふーッ、ふぉ……ほ、はぁ……」
 身体を支える力までも放出してしまい、僕は床に尻を落として放心する。
 そうなると女の細い腕でも簡単に——元々抵抗する気もないけれど——押し倒されて、開脚させられてしまう。これまでの継続的な躾と度重なる絶頂に緩み切った股関節は柔軟に開放されて、膝はぺたりと床につく。
「男らしくてがっしりしているのに、しなやかに柔らかいのね。ほんとうにいい身体。お淫らなことするためのものみたい」
 この醜く穢れて無駄に大きいだけの身体をそう思ってくれるならば本望だった。彼女と閨事に耽るためだけに生まれたかった。彼女の所有物とか隷属物になりたかった。
 ほっそりした指が僕の中に侵入してくる。乱雑に抜き差しするのではなく、繊細にやわやわとマッサージするように、蠕動する肉環の一つ一つを指の腹で奥から手前へ馴染ませるように揉み込まれる。
 自分を守るための絶望的な快感ではなく、身のうちから湧き上がる円熟した愉悦。受け入れる事だけを求めて、もはや僕の肉棒は完全に雄の務めを放棄して、その分の感覚をすべて性器と化した内臓の方へ明け渡していた。
 中に埋まった指の腹でいい所を押されて、親指は肉棒と肛門の間の何もない部分を撫で摩る。女であれば性器のあるそこを。
 そうされると身体の奥深くは熱く溶けたようになるのに、肉壁はびくびくと跳ねる。腿の内側が震えて引き攣り、確固たる兆しを求めて腰が上向く。
「きもち、い……」
 しかし快感にうねったり痙攣したりする僕の腹は死にかけの虫のそれみたいで気持ち悪かった。傷だらけだし、ところどころ変色しているし、荒れ野か廃墟かという感じ。その荒涼とした肌を白く透き通った蜻蛉のような手が這う。どんなに苛烈な行為をしても、それはひんやりして情動とか情念らしきものを見せず、本当に蟲のようだった。
 激しく引き裂くような触れ方も好きだけれど、こういう淡々と死体を検めるような触れ方もよかった。与えられる引導に死にかけの段階は去り、ゆるく果てて、硬直なんて一足飛びで弛緩に至り、老廃物の代わりに無用の性器から透明な汁を垂れ流す。